いやはや驚きました!
出店とライブペイントの準備に追われる最中、4年半掛け続けたメガネが真ん中からポッキリ折れた翌日、、、
ボヤけて見えない…
そう、遡るは前日夜。
今回の新作である日本シリーズの写真群を切腹ピストルズの紅緒くんに送ったのであります。
メガネを急遽失い、
更に出店やライブペイント前だと云うのにメガネを買うために銭を失って打ちひしがれてたら、紅緒くんからの返信が翌日の夕刻に着。
内容に驚愕。
そこには、先日の新潟松代で開催中の"野良着で逆襲展"で話してた通りに
海外の革命家たちの後に、我が国日本の革命家に辿り着いたことにより、
其処に込められたメッセージがより親近感とスピードを伴って届くだろうって感じで褒めて頂いたワケであります。
その先には、先日、着物の型染め用の非常に細かい版制作をしてくれる職人が何処かに居ないかと相談されたらしく、
その時に紅緒くんは、僕のことがチラッと思い浮かんだみたい。
我がステンシルが日本の伝統技術にまで通じてる気がするとも云ってくれまして、非常に恐縮しておる次第です。
が、勤務地が浅草なのと、20代が希望とのことで割愛されたようである。
うむ。
なぜなら、僕に富山を離れて欲しくないからだと云うのです。
そして、ココからが驚愕!!
何と、ステンシルと云う技術はココ、日本発のモノだったのです!!
じゃあ日本の何処だ?
それが僕の在住地、富山が発祥の地だと云うのです!!
どうですか!お客さん!!
この以下の文章を読んで賜う。
■シルクスクリーンの大元は日本の捺染型紙
シルクスクリーンの歴史は約100年ほど、木版画などに比べたら新しい技法と言えるでしょう。
しかしその大元の技術は、何を隠そうこの日本で昔からあったものなのです。
皆さんは「ステンシル」と言うのはご存知でしょうか?型紙に花やら文字やら切り抜いて、絵の具をポンポンとのせていく、あれですね。
日本古来から捺染型紙(ステンシル)を使ったものと言えば、江戸小紋や伊勢型紙、紅型(びんがた)などの型紙があります。
これらの型紙は驚異的な細かさでした。ステンシルの型紙を見たことある方はおわかりでしょうが、二重丸◎などの模様は真ん中の丸が落ちないように、一部繋げたままのものがありますね。
古来の型紙では生糸を細かく張り、型紙ではさんで貼り付ける、「糸入れ」などの技術が生まれて精巧な美しさを誇っていました。
その後、明治末に富山で和紙に柿渋を塗った型紙に絹の紗(しゃ)張り*1をすることを発明。「ジャパニーズ・ステンシル」として世界に広まりました。
これら日本の捺染型紙からヒントを得た英国人・サミュエル・シモンが1907年に絹のスクリーン印刷法の特許を取ったのです。
この他シルクスクリーンの起源は、古紅型紙(琉球)、襖紙型(中国・18世紀)、カッパ版型紙(江戸時代)、ステンシル(型抜き)印刷(ギリシア時代)などなど様々あります。
「型抜き」・・・これがキーワードですね。
必要なところを版に残すまたは描き込む、木版画や銅版画とは
ちょいと違うな?とわかっていただけましたでしょうか。
以上。
何ともまぁ、なかなかの爆弾情報を投下して頂きまして~
何を隠そう、僕がステンシルで最も影響を受け、始めるキッカケだったのが、英国のBANKSYなワケです。
日本、富山の捺染から生まれたジャパニーズステンシルが英国に渡り、シルクスクリーンとなり、
そのシルクスクリーンでなく、ストリートに飛び出した旧技術であるステンシル。
また時代も海も越えて、ルーツの土地に住む僕が無意識にキャッチした。
ステンシルで英国のパンクロックスターである、JOE STRUMMERを作り、TURTLE ISLANDのヨシキくんとお近づきになれ、
ヨシキくんもまた、ステンシル作品を沢山創ってたという偶然。
そしてTURTLE ISLANDの主催する橋の下世界音楽祭で切腹ピストルズを知った。
TURTLE ISLAND や切腹ピストルズの放つ、強烈な創作ジャパニーズルーツにヤられ、また自分も其処に少しずつではあるが、足を踏み入れた。
それにより、今回の情報を知るに至ったって話。
自国ルーツを探り、民族や革命家を掘ってたら、思い掛けず自分の技術ルーツにまで繋がってしまった。
まるで導かれたかのように…
ただ真似るでなく、自分の見聞き体感してきたモノを信じ、混ぜて生み出した作品軍。
もう、半纏着てギター掻き鳴らして叫びたい気分ですよ。
ジャパニーズステンシルのルーツな魂が、僕を呼び込んできたと信じ、未だ未だ自分の空くなきステンシル創作活動に喝を入れて貰ったのであります。
バンザーイ!!!
ご静見ありがとうございました。
バイバイ、またね。
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