やわらかな夜 -5ページ目

2008/05/23

今日は色々な方達と久々にお会いして、喋り倒して、スッキリ!!!という感じ。
しかし顔色悪すぎて最後は心配されました;
それは昨夜の2時間余りの語らいのせい。

しかし、根は深く厄介な悩みも人知れずあるのです。


今年の行動指針は感謝と謙虚。

汗くさい私ですが、泥くさくやっていこうと思う。

決するとき、そのとき

ぐるぐるぐるぐる…

悩みは尽きない。


妥協と諦めってどう違うんだろう?
選択と決断って同じこと?


そもそも私は過適応なタイプかもしれぬ、といういつも過信。



人事を尽くす、という感じ。この感じ。

今日も淀川を越えてゆく。


今夜はキースに逢える日。本物の夜。

レイトショウへようこそ

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パフェをこうして年甲斐もなく一心不乱につつきあえる仲、というのは本当に素晴らしいと思う。

わらうメロディ

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全ては連続した繋がりの中にある。

私はきっと片想いしてたんだと思う。
公務というものに対して。
一方的に熱を上げていただけで、何にもアタックできてなかった。


そんなことをぼんやり年明けくらいから気付きはじめて、時すでに4月半ば。

全ては自分の意志なのだ。


そして私自身の意志で振り出しに戻ろう。
今はとても心身のバランスのとれたストレスレスな健やかな日々。

100メートルを11秒で走ることは、今の私にはできっこない。

可能性のよき断念

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自分が持っているモノの価値をそのままに評価する事は難しい。
そのくせ足りないモノを持っている人間に羨望の眼差しを投げる。
なんて強欲で罪深いんだろう。


自分の評価をするのは自分自身以外にあり得ない。

納得できるか、幸福かという意味で、一般論など存在しないから敢えてどちらが正しいとも思わない。
ただ、断念という言葉から感じるネガティブさには少々疑問符。
……これを一般に優柔不断というのか?

人が思う以上に私は人の話を良く聞く。
人が思う以上に私は人の影響を受けてしまう 。
少なくとも自分らしさという曖昧なモノを私は人が思う以上に自分で分かっていない。

自分の事なのにね。

何か違う。何かが違う。私の考えている事。
環境的にも、今年度は機動力が必須。
面白い事には率先して首を突っ込んでいかねば。

そして時間はいつも私を置いて流れていく。
「行く河の流れは絶えずして しかも元の水にあらず」
同じ位置にいる様でも、1年前の 、1ヶ月前の、1分前の私は常に新しい私へと変わっている。

キャンパスに後輩がきた。一年の短さを想う。


いつからだろう。以前の自分を「恥ずかしい」と思う様になったのは。
それはなんだか青さを認める様で。
でもその時確かに、今の私には決して出来ない事をしていたわけで。

すこし、悲しくなる。


“可能性のよき断念”。
見失っているが、それでも前に進もうとしている。