こちらは2015年に野村総研とオックスフォード大による共同研究で、曰く「人工知能やロボット等による代替可能性が高い100種の職業」とのことです。10年あまりが経過して人工知能も大いに開発が進みましたが、代替の方はいかがでしょうか? むしろ代替されるどころか、現実には人手不足が進んでいる職種の方が多いようにも見えます。ここまで無様に予測を外した原因は何か、「対象となる職業への理解に乏しかった」から、業務の実態を知らぬまま「あんな仕事はAIや機械で置き換えられるだろう」と切り捨ててしまったから……思い浮かぶのはそんなところです。

 私に言わせれば、こんな適当な発表しか出来ない野村総研やオックスフォードの関係者の方こそ能力不足による解雇がふさわしいと思うのですが、得てしてそういう輩ほど地位は安泰なのかも知れません。結局、待遇をや評価を決めるのは「偉い人がどう思っているか」であって、それは必ずしも実態に即したものではないわけです。世の中に欠かせない仕事ほど軽んじられて低賃金が常態化する一方で、コンサルのように世の中に害しかもたらさないような仕事には高額の報酬が何ら疑問を持たれることなく支払われる等々、全ては偉い人に気に入られるかどうかの世界ですから。

 

省庁の予算の無駄をAI点検、今夏に厚労省や国交省など実証実験…効果確認なら28年度実施(読売新聞)

 政府はこの夏、各府省庁の予算の無駄を点検する「行政事業レビュー」でAI(人工知能)の活用を始める。事業内容の評価や改善提案といったレビューをAIに行わせる初の実証実験を実施する。効果が確認されれば、同様の機能を導入した新システムの運用を2028年度から開始する。

 各府省庁は毎夏、事業の目的や予算額、成果指標などをまとめた「レビューシート」を作成し、外部有識者を交えて自己点検している。点検結果を踏まえて事業内容を改めて精査し、必要な予算を要求する流れだ。作成するシートは全府省庁あわせて毎年約6000部に上り、点検に膨大な手間がかかることから、AI導入で効率化を図る。

 

 私の勤務先でも上の方々が「AI! AI!」と年甲斐もなく大はしゃぎしていて辟易させられていますが、官公庁も似たようなものなのでしょうか。これが本当に業務の効率化に繋がるのであれば結構なことですけれど、しかし「行政事業レビュー」なんて代物の方こそが真っ先に削減すべき無駄なのではないかと思えてなりません。記事でも「点検に膨大な手間がかかる」とのこと、ならばAIを使うよりもまず、不必要な点検作業そのものを削ることの方がずっと効果的では?という気がします。こんなものは元より「無駄削減のための取り組みを進めました!」というアリバイ作りにしか見えませんし。

 組織のどこに無駄があるのか、そんなことは実際に業務を担っている人に聞けばすぐに分かるものです。しかし「何が無駄であるか」は、何がAIで代替可能であるかと同様に「偉い人が決めること」というのが官民問わず常識なのかも知れません。現場の平社員の見解で組織が動くようなことがあってはならない、幹部層が指揮を執って組織全体を動かして初めて問題が分かる、そして上層部の示した「改革」によって問題が改善される──どこもかしこも、そんなシナリオに沿って動いているものなのでしょう。

 実務を担っている人々がいくら実情を訴えたところで組織は動かない、しかし偉い人々が「こうだ」と思い込んだら、その思い込みに従って組織に属する全員へ号令が飛ぶものです。だからこそ、間違った人間を「上」の地位に就けてはならないのですが、政治の世界も経済の世界も、同じ過ちを繰り返して今に至るのかも知れません。そして地位を得た人が再び間違った人間を引き上げる、そんな負の輪廻が出来上がっているわけです。現状をどうにかしたくとも決める権限は常に偉い人の手に、こうなると出来るのはテロぐらいしかなくなってしまいますね。

 何はともあれ私の勤務先でもAI万能論が吹き荒れ、ことあるごとに「AIを使って○○を××しました」との成果発表を求められています。「行政事業レビュー」も然り、「AIを使って」解決したと、そうアピールしたい思惑が象徴の上の方で渦巻いているのでしょう。確かに流行の手法で解決した(かのような)発表が出来れば当人の評価は高まるものと思われますが、しかし業務にAIをねじ込むよりももっと他にやるべきことがいくらでもある、ただ権限のある人々が耳を傾けないだけ、みたいなことは少なくないはずです。AIの発展で何かが良くなったと言うよりは、ただ浮かれ騒ぐ阿呆が増えただけ、ぐらいが現状のような気がしますね。それでも何でもかんでもAIを使うのが最先端だと偉い人が思い込んだが最後、重視されるのは現場の声ではなくAIの生成物の方のようです。

 アメリカとイスラエルによるイラン攻撃に端を発し船舶の滞留が続くペルシャ湾ですが、先日は「出光丸」のホルムズ海峡通過が発表されました。高市政権はあたかも政府の交渉の成果であるように語っていますが、しかるに現時点で通過を確認されたのは出光丸の一隻のみ、そもそも日本政府はこれまでアメリカに忖度してイラン政府との交渉を拒んできた、抜け駆けはしないなどと称して個別に通過許可を取り付ける国とも距離を置く側であったはずです。普通に考えれば「日本の」船を通すという話ではなく、「出光」だけの特別扱いと理解すべきでしょう。

 

ホルムズ海峡通過の出光丸、行き先は「名古屋」 厳戒下の決断、73年前の日章丸事件想起(産経新聞)

 ホルムズ海峡を通過した出光興産系の原油タンカー「IDEMITSU MARU(出光丸)」は日本時間29日午前、オマーン湾をインド洋に向かって航行しているとみられる。イラン革命防衛隊に近いとされるタスニム通信は、出光丸はイラン側と調整の上で通過したと報じた。船舶位置情報の提供サイト「マリントラフィック」の目的地表示は「FOR ORDER」(注文用)から「Nagoya, JAPAN」に変わった。出光による厳戒下の石油輸送は、73年前の「日章丸事件」を想起させる。

 

 出光の何が特別なのか、その経緯は産経新聞すらもが紙幅を割いて説明しています。要するに70年以上前もイランは制裁下に置かれていたのですが、そんな中でも出光興産のタンカーがイギリス海軍の封鎖を突破して石油を買い付けた過去があるわけです。イランから見れば出光は制裁の中でも変わらぬパートナーだった、そして英米の脅迫に屈せぬ勇気と行動を示した存在でもありました。現代の船舶は至って恣意的な船籍に始まり、乗組員も多国籍、船の所有者とは無関係な国との取引に使われる等々、一口に「どこの国の船」とは言い切れずイラン側も通すべき船と通さない船の選別には苦労していると思われますが、それでも出光の威光は長い年月を経てもなお消え失せてはいなかったようです。

 

日章丸描いた百田尚樹氏、ホルムズ通過「さすが出光」 飯山陽氏「イランのプロパガンダ」(産経新聞)

 出光興産系の原油タンカー「IDEMITSU MARU(出光丸)」がホルムズ海峡を通過し、日本に向かっていることについて、昭和28(1953)年の日章丸事件などを描いた「海賊とよばれた男」の作者で日本保守党の百田尚樹代表は「さすが出光」と称賛した。一方、イスラム思想研究者の飯山陽氏は「通過を巡ってイランのプロパガンダが行われている」と警鐘を鳴らした。

 

 この出光の過去と現在の逸話をどう評価するか、「右」の反応は興味深くもあります。取り上げられている片方は百田尚樹で、流石に自身の小説のモデルだけあって肯定的に評価している一方、飯山陽はイランのプロパガンダ云々と、ある意味で予想通りの反応でしょうか。「プロパガンダ」の代わりに「ナラティブ」とか「認知戦」みたいな用語を使うと一層、今風の国際政治学者っぽい感じが出そうですね。何はともあれ世間の反応を見るに「右」に傾倒するほど出光丸の一件に対する反応は飯山陽のそれに近くなるように思われます。

 はだしのゲンが書かれた当時から日本の右翼はアメリカのヒモ、日本の国益よりもアメリカ崇拝が勝るのが多数派でした。それに加えて冷戦終結後はアカデミズムの領域でも「勝者」たるアメリカの絶対視が徐々に支配的になっていったかに見えます。今や宗主国の言語に通じていることこそが教養の証、アメリカで認められることこそが日本人にとっての最高の栄誉、アメリカに付き従う以外に日本の進む道はなしと、極めて偏った主張を繰り広げる「研究者」や「専門家」は産経人脈に限った話ではなくなってしまったようです。



 イラン政府は今回の一件で日章丸事件を引き合いに出しています。一律に日本の船を通すのではなく、あくまで出光の船を通しただけ、そこには当然ながらイラン政府からのメッセージが含まれていると理解すべきでしょう。日章丸の精神を思い出せ──英米諸国にひれ伏すだけではなく自国のために勇気を持って行動した昔の日本人にイランは敬意を示したわけです。日本に限らず、とりわけ冷戦後はアメリカ一極支配の中で「先進国」ほど宗主国に付き従う外交が当たり前となりました。しかしイランがそうであるようにアメリカを敵に回しても自らの主権を守り続ける国もあります。ならば日本にだって同じことができるはずだ、と。

 「SNSのせいてお前らは他人をバカにしても顔面を殴られない環境に慣れすぎている」とはマイク・タイソンの言葉ですが、似たようなことはアメリカとその衛星国にも言えるような気がします。とりわけソ連が崩壊した後は、ライバル不在で「国際社会」はアメリカの思うがままという時代が続きました。一方で近年はアメリカに服属しない主権国家が着々と影響力を強めており、これまで想像できなかった反撃を受けて日米欧諸国が混乱に陥る、そんな場面が増えているのではないでしょうか。

 一つは俄に「認知戦」や「ナラティブ」と呼ばれるようになったもので、曰く中国やロシアが世論工作を仕掛けており、それに対する防衛策が必要とのこと。もっとも認知戦こそアメリカの最も得意としてきた領域であり、世界中の独立国の民主化=反政府運動を操って民主主義=親米政権の樹立に繋げるのがこれまでの常套手段だったわけです。ところが中国の「戦狼外交」を皮切りに独立国の側からの反撃も目立つようになってきた、反撃されて慌てて「認知戦だ」「ナラティブだ」と大騒ぎしているのが日米欧の有識者の姿であると言えます。

 そしてもう一つはウクライナを巡るロシアとNATOの争いで、2014年のクーデターで反ロシア派に政権を掌握させたところまではアメリカの狙い通りの進行でした。そこからさらにロシア系住民の排斥やNATOの東方拡大が企図されて来たわけですが、2022年にロシア側の大反攻が始まって現在に至ります。一貫してロシアからの外交上の警告を黙殺してきたNATO陣営ですが、これもやはり反撃されない、自分たちが何をやっても相手から顔面を殴られることはないと高をくくってきた結果と言うほかありません。

 アメリカとイスラエルによるイラン攻撃も然り、アメリカの威光に相手がひれ伏すことを前提に出来るのであれば非合理ではないのかも知れませんし、実際のところ従来はイラン側が折れて終わることも多かったわけです。しかし、それが永遠に続くと考えたのが間違いで、今回ばかりはイランも不退転の決意で反撃してきた、そして相手が殴り返してくることを想定できていなかったアメリカとのその傘下の国々が右往左往しているのが現在なのではないでしょうか。

 相手を一方的に攻撃できる、そんな都合の良い展開に慣れきった人々は反撃を受けて初めて事態に驚き、あたかも自分たちが攻撃を受けた被害者であるかのように振る舞いがちです。それは日本の対中関係においても典型的と言えますが、とにかく自分たちの「攻撃」に対してあまりにも無自覚であるがゆえに、相手から殴り返される可能性を想像できない、逆に自分たちが一方的に攻撃されているかのように思い込んでしまうわけです。これもまた「認知のゆがみ」なのかも知れませんね。

 ともあれ反撃されずに相手を一方的に攻撃することに慣れきった人々は、自覚のないままエスカレーションの引き金を引いてしまいがちです。特に懸念されるのはウクライナを舞台にした戦争の関連で、昨今はロシアのバルト海に面した港湾施設への攻撃が相次いでいます。もちろん双方に攻撃があるのは当然なのですが、問題はこれがウクライナからロシアへ直接の攻撃ではなく、エストニアやフィンランドの上空から飛来してくることにあります。なぜウクライナの無人機がエストニアやフィンランドから飛んでくるのか、それに対するロシア側の反応は当然ながら考慮されるべきものでしょう。

 イランはアメリカの攻撃に対し、中東諸国の米軍基地や関連施設を標的とした反撃を行いました。ペルシャ湾の対岸にある国々がアメリカに基地を提供し、それを支えている以上は正当な攻撃目標であると、そう判断されたわけです。ではエストニアやフィンランドから飛んでくる「ウクライナの」攻撃に対してロシアはどう反撃するのでしょうか? ウクライナに兵器を供給する施設への攻撃や、ウクライナから発射されたことになっているミサイルやドローンを打ち落とすべく、エストニアやフィンランドの上空に迎撃ミサイルを放つ……ぐらいのことはロシアの立場からすれば決して道理のない話ではありません。

 ウクライナの内戦にロシア軍が介入を始めた2022年以来、欧米諸国は徐々にウクライナへ供給する兵器を増やしていきました。当初はエスカレーションを防ぐためと自制する向きもあったものの、より射程の長い飛び道具が徐々に解禁されるなど、ロシアが反撃してこないとみるや制限は次々と緩和され、さながらチキンゲームの様相を呈しています。そして遂に、ウクライナから直接ではなくエストニアやフィンランドの上空を介した攻撃がアンロックされるに至った次第ですが、この「次」はどうなることでしょうか。

 実際のところロシア軍は損耗を避けるべく地上戦で慎重な進軍を続けており、着実に占領地を広げてこそいるものの決定打には至らないまま開戦から4年目を迎えています。この状況にロシア国内の強硬派が不満を強めているとの報道は複数あり、ウクライナへのより積極的な攻勢を求めると共に、ウクライナに兵器を供給する拠点やウクライナのために上空を開放する国々への攻撃も辞さずとする論調が強まっているようです。まさかNATOの正会員である自分たちを攻撃する国などあるまいと高をくくっている国が大半と想定されますが、ロシアを侮りすぎて失敗した2022年の再来は、いつ訪れたとしても不思議ではありません。

 このままチキンゲームを続け、ロシアが反撃してこないことを前提に代理戦争をエスカレートさせるのか、それともウクライナの前線基地化を諦めて2014年以前の中立国に戻す──即ちロシアの要求を受け入れるのか、前者の危険性にはもう少し自覚的であるべきと私は思います。ハンガリーでは独自路線のオルバン政権が親NATO派に敗れるもブルガリアではNATOに懐疑的な野党が勝利するなど、ヨーロッパ情勢は一進一退です。悪の枢軸たる英独仏も今は中道=ネオコン政権が続いていますが、NATOという陣営ではなく自国単独の優先を説く極右勢力が与党に次ぐ地位を占めており、その足下は盤石ではありません。一方で日本だけは旗幟鮮明なまま変わらない様相ですけれど、それはいかがなものでしょうかね。

 蛙の目は動くものを捉えることに特化されており、反対に静止したものには気づくことが出来ないそうです。人間の目と比べるとアンバランスなものに見えるかも知れませんが、自然環境下で生きた昆虫や小動物を捕食するためには有利な特性となっているのでしょう。もっとも人間の目にはトロクスラー効果なるものがあって、1点を注視していると徐々に周辺の視覚情報に反応できなくなってしまう、そこにあるはずのものが見えなくなってしまうことがあるとのこと、本人は全てを見ているつもりでも実は見えていないものがあるわけです。

 本人は「鷹の目」のつもりでも実は「蛙の目」で物事を見ている、本人は「鳥瞰」しているつもりでも実は「蛙瞰」している、そんなこともあるように──勤務先の幹部社員層を見ていて──思いました。そして昇進だけは得意だけれど仕事は何も分からない、実務には一切携わらず口出しだけが専門の上位役職者も多いのですけれど、こうした人々がことあるごとに要求するのが「変化」だったりします。だから「○○を△△するように変えて、◇◇が××改善されました!」と美しい報告さえすれば昇進に繋がるのですが、実態として改善されているかは分かりません。そもそも「今の」やり方だって過去に上の人々から「変えろ」と言われて「変えた」結果なのですから。

 先週は「自分の手柄になるかどうか」がアメリカの行動を左右していると書きました。もしアメリカの現大統領がオバマやバイデンやハリスであったなら、自身の手柄と見なされなくともアメリカの覇権維持に繋がれば良いと考える、アメリカの関与は隠して現地人の意思を装って政権を転覆させ「民主化」する──すなわちカラー革命をイランでも望んだことでしょう。しかしトランプは違う、自身の関与を隠すようなやり方は好まない、自身のリーダーシップによって成し遂げられたと他人から認められるやり方を好む、その結果として軍事侵攻という「オープンな」戦略に踏み切ったと私は判断しています。

 ただこの「自分の手柄になるかどうか」を基準にした行動は決してトランプだけのものではない、弊社の役員層だって同じだし、他の会社の偉い人もまた似たようなものではないかと思います。つまりは会社が順調でも自分の手柄にならないなら失敗、自分がナタを振るった結果として会社が良くなったのだと、そう誇れる状況を作りたがるのが上位役職者の標準的なメンタリティではないか、と。そして彼らは現状に何の問題もなかったとしても、とにかく「変えない」ことを許さない、とにかく何かを「変える」ことにしか価値を見いだせない、いわば蛙の目を持った人々として振る舞うわけです。

 実際のところ、役員層が口を出さずとも現場は回る、実務は滞ることなく進みます。ただ、だからといって何もせず状況を見守っていては役員の存在意義が問われてしまいます。上位役職者が自らの価値を示すためには、「自分が○○を指示したから好転したのだ」というストーリーが必要です。だから会社は常に「変革」が求められ、飽くことなく永遠に組織再編を繰り返し続ける、認知度が高かった社名は奇怪なカタカナ語の新社名に置き換えられ、確立されていた業務フローも現状維持は許されず、どうにかしてAIをねじ込んだ新しいやり方への変更を求められる、そして現場は「変化」への対応に追われることになります。

 私の部署の仕事も組織再編への対応が主たる業務となりつつあり、では組織再編がなければ仕事がなくなるのではと思いながらも、結局のところ組織再編は毎年行われているので仕事がなくなることはなく……と言った状況です。そもそも組織再編の対象となった部署だって前任の役員の時代に再編された結果として出来上がっているのであって、これから新たに編成される組織もまた次の役員が着任したら「変化が必要」との理由でまた別の形へと編成されていくに違いありません。組織再編は会社が続く限り繰り返される、そこに終わりはなさそうです。

 昇進の専門家は「○○を△△に変えた結果として××が改善されました!」と美しい報告を作ることに長けています。そして蛙のように「動いているものしか見えない」幹部層は「変化」だけしか評価できないわけです。そして「変えた」ことを評価された社員が地位を得て、部下にも「変える」ことを求め続ける、そんなスパイラルが弊社では確立されています。しかし「変えなければ」何か問題が起こるかというと、実は業務上では何も支障がない、それどころか「変える」ための稼働が不要になるので定時で仕事が片付くようになるぐらいです。唯一のデメリットは、偉い人から「何もしていない」と評価を下げられることだけですね。偉い人の目は蛙の目、彼らは動いているものしか捉えられない、「変化」の有無しか評価できないですので。

 さてイランとアメリカの間では停戦協議が行われ、株価などは相変わらず期待感だけで上昇したりもしましたが、予想通り合意には至らず、この先の展開はどうなるのでしょうか。イスラエルは合意事項を歪曲してレバノンへの攻撃を続行するなど、決着までには相応の時間がかかる可能性が高そうです。イラン側も最高指導者だけではなく少なからぬ民間人まで殺害されていること、さらに最高指導者殺害自体がアメリカとの外交交渉の最中に行われただけに、安易な妥協に走る可能性は低いと考えられます。早期決着があり得るとしたらトランプ大統領が停戦を自身の手柄に出来ると判断した場合だけ、ですね。

 トランプ外交については各種メディアや国際政治学者だという触れ込みの人物がアレコレと解説していますが、どれも正しくない、トランプ外交の本質は「好き嫌い」の一点であるというのが私の説です。気に入ったか/気に入らないか、トランプ外交とは至ってシンプルなものであり、ビジネス的な損得で説明しようとすれば矛盾したものに見えてしまう、そんなものだと思います。だからトランプはアメリカの伝統的な戦略も損得も何もかも無視して行動する、従来の政治家と同じ評価軸に照らせば無秩序に見えても、本人の好き嫌いで動いているという点では一貫しているわけです。

 そしてもう一つ付け加えるとすれば「トランプ個人の手柄になるかどうか」が鍵と言えます。つまりアメリカにとっての成功であるかどうかよりも、トランプ自身の功績として評価されるかどうかが重要になっている、アメリカにとってはマイナスでもトランプ支持に繋がるのであれば成功である、そんな指針で行動しているのではないでしょうか。とりわけネオコンにとっての輝かしい勝利である2014年のウクライナと、そしてネオコンにとっての深刻な躓きになろうとしている現在のイランを比べるとこの点は明らかになるように思います。

 2014年、かつてのルーシ(現在に至るロシアの原型)の中心地であり、ソヴィエト連邦の花形である重工業を担った大国ウクライナの政権を転覆させ、ロシアからの切り離しに成功したことは欧米ネオコン勢力にとって輝かしい勝利でした。欧州の最貧国へと転落していたとは言え、長大な国境を接する人口4,000万人超の同胞国家が反ロシア派の牙城とされたことはロシアにとって大打撃であり、それは如何なる手段を用いても解決せねばならない問題となって今に至ります。そしてイランにもまたウクライナと同様の運命を辿らせることは、間違いなくネオコンにとっての理想であったことでしょう。

 ただアメリカの傘下に属さない主権国家──政治的に正しい呼び方をすれば"権威主義国家"──の「民主化」は、表向きはアメリカの関与を隠すものでもあります。2014年ウクライナの政権転覆にはアメリカ政府高官の参加が当時から確認されており、その政府高官はバイデン政権時代に国務次官へと「昇格」したりもしましたが、これはあくまで「調べれば分かる」話であって一般的に語られるものではない、大手メディアによって報じられるのは当事国(ウクライナ)の民意として「革命」が行われたというストーリーだったわけです。すなわち「民主化」とはアメリカにとっての輝かしい勝利であってもアメリカの功績ではない、あくまで現地人が自ら手にした勝利であると、そうした装いを求められるものなのです。

 イランについても然り、アメリカ・イスラエルによる攻撃に先立ってイランでは大規模な反政府デモが発生しました。アメリカが民主党政権であったなら、これに徹底的なテコ入れをしてイランの「民主化」を第一の戦略としていたことでしょう。しかし「民主化」は表向きには現地人の手柄であり、トランプの手柄にはなりません。もし仮にイランの「民主化」が成功していたとしても、これは決してトランプ自身の欲望を満たすものとはならなかったことでしょう。望まれていたのはもっと、トランプ自身の手柄になること、トランプの功績であると誰からも認められるような方法での解決だったと言えます。

 そもそも、「権威主義国家」を「民主化」するための工作機関──NEDやUSAID──の予算を無駄として削減してしまったのが第二次トランプ政権の第一歩でした。もし軍隊を動かすよりも前にイランの「民主化」に成功してしまったのならば、それは民主化工作の予算を削ったトランプの決定が誤ったものであると証明するものになりかねません。アメリカにとっての問題は、あくまでトランプ自身が牽引する形で解決されなければならない、そんな「縛り」が現在のアメリカ政府には課されているのではないでしょうか。結果として議会の承認を待たずにトランプの独断に近い形で軍隊が動員され、今に至るわけです。

 ともあれ現在は混沌とした状況にありますが、この責任をトランプ個人に帰結させようとする論者こそ要注意であると私は思います。つまりトランプやネタニヤフに責任を求めることで、アメリカそのものの問題から目をそらそうとする意図を持っている、こうした論者は米政権が民主党に代わってより伝統的なネオコンの手法──民主化=親米でない国の政権転覆──を支持することに躊躇がありません。しかし裏表を問わずアメリカの介入によって政権が転覆され「民主的な」親米国家が成立したとしても、それは決して長続きするものではない、いずれは騒乱の火種としかならないものです。だからむしろ現地人の望みであることを装った「民主化」よりも、誰の望みであるかを全く隠さないトランプの方が、私にはずっと健全であるようにも思えます。少なくともトランプ政権に変わって以降、「どの国が悪いのか」は至って鮮明な状態が続いているのですから。

 先日は春闘結果の賃上げについて触れましたが、私の勤め先の給与体系はなかなかに複雑でして、社員の「グレード」や採用形態によって色々と異なる、一概に何%の昇給とは言えなかったりします。そこで人事からの通知を開けてみたところ──私のグレードは約1,700円/月の昇給でした。「定期昇給」の対象に選ばれた人であれば5%を上回る賃上げなのですが、残念ながら私は選ばれし者ではなく、僅かなベアの上昇のみで終了、賃上げ率は5%ではなく0.5%でファイナルアンサーです。

 なお新卒初任給を30万円台まで引き上げた結果、私よりも「グレード」の低い社員は給与が新卒者と逆転してしまう可能性があり、それを避けるためにベアが大きく引き上げられ、定期昇給なしでも5%程度の賃上げとなりました。一方で私の属しているグレードは元から月給が30万円を超え、新卒者を下回る恐れはないためかベアは1,700円の上昇に止まっています。新卒者も私より下のグレードの社員も目出度く月給は30万円超、昇進してもしなくても賃金は大差ありません。個人の努力ではどうにもならない、生まれた時代の方がずっと重要なのだと痛感しましたね。

 一般的に日本では米飯を左手前、汁物を右手前、主菜を奥に配置します。ただこれは汁椀を持ち上げる際に腕がクロスする、主菜を取るには椀を飛び越えて手を伸ばさねばならない等々、食事の難易度を無駄に引き上げる非効率極まりない配膳です。タイプライターのQWERTY配列などは打鍵速度を落としてアームの衝突を防ぐために考え出されたとの都市伝説がありますけれど、似たような発想で和食の配膳もまた、無闇な早食いとなることを戒めるために考え出されたのかな、と私は推測していました。

 しかるに関西では配膳パターンが異なる、米飯を左手前に置くのは同じでも汁物は左奥に、主菜は右側に配置するのだとか。これは非常に合理的な配膳様式で、器を持ち上げるご飯と汁物は左手側に、主菜には自然と箸を持つ右手側からアクセスできるようになっているわけです。「標準」の配膳では無駄に腕をクロスさせたり椀の向こうに手を伸ばしたりと無駄が多い一方で、関西式は問題点を全て解決できている、それでも合理的な方が普及するとは限らないものなのだな、と再認識しました。

 フォークとナイフの使い方も、これでいいのかと思うところがあります。一般的にはフォークを左、ナイフを右に持つことになっているわけですが、むしろ逆の方が合理的ではないでしょうか。肉や諸々をナイフで切り分けた後、それを左手のフォークで口に運ぶ、あるいは右手にフォークを持ち替えるよりも、最初から右手にフォークを持ち左手でナイフを使った方が合理的ではないかと、自分としては長年そう考えてきました。

 なお前提として、私は日本食中心で育った右利きで、最も使用頻度が高い食器は箸であり、それを利き手である右で持っています。だから「食べ物を口に運ぶ道具」である箸もフォークも、いずれも利き手の方=右に持つのが合理的である、切り分ける程度の簡単な作業ならば左手で十分、という前提で「ナイフは左、フォークは右」説を唱えてきた次第です。左利きが多数派の文化で「ナイフは右、フォークは左」の文化が形成されたのなら理解は出来るのですが、逆では?と。

 ただ世の中が右利きを前提に作られている云々とも言われる一方で、結局は「慣れ」の問題の方がずっと大きいようにも思います。例えば私は生まれて以来ずっと、放尿時にはTintinを左手で保持してきました。右手でも同じことが出来るか試してみたところ、どうにも狙いが定まりません。あるいは野球のキャッチャーに左利き用のグラブを装着させて「明日からは利き手で捕球するように」と指示しても、大半の選手は苦戦することでしょう。利き手じゃない方の手で可能なことなら利き手でも簡単に出来るかと言えば、必ずしもそうではないのかも知れません。

 だから右手の箸で食べ物を口に運ぶのが当たり前だった自分の人生に照らせば左手でフォークを持つのは不合理なのですが、ずっと左手にフォークで生きてきた人からすれば何ら不自然なことではないのでしょう。利き手か否かよりも、慣れの問題の方がずっと幅を利かせているわけです。電車の改札口も右手側でタッチするように作られてはいるのですが、生まれてからずっと左手側にあったのなら、Tintinの保持と同様それが利き手側でなかったとしても、何ら問題にはならないと思います。

 楽器やキーボード、ゲームパッドなど両手の使用を前提に作られているものは世の中にたくさんあります。取り敢えず私はキーボードの左側でも右側でも打鍵速度は変わりませんし、ゲームパッドも「右利きなので十字キーの操作に苦労する」みたいな経験はないです。もしかすると左利きのピアニストやギタリストだったりすると、「この曲は右利きの人間を中心に作られていて左利きだと弾きづらい」とか感じたりすることもあるのでしょうか。まぁ文字を書くのは訓練しても利き手でないと難しい、出来る人と出来ない人に分かれてしまうようではありますが。

京都府知事選挙は新人2名と現職の戦い!4月5日投票(選挙ドットコム)

3月19日に告示された京都府知事選挙には、日本共産党が推薦する無所属新人の藤井伸生(ふじい・のぶお)氏(69)、自由民主党・国民民主党・中道改革連合・立憲民主党・公明党が推薦する無所属現職の西脇隆俊(にしわき・たかとし)氏(70)、政治団体「日本自由党」新人の浜田聡(はまだ・さとし)氏(48)の3名が立候補しました。投開票は4月5日に行われます。

 

 選挙戦の構図としては与党自民党に野党が共闘する「野党共闘」の黄金パターンですが、「中道」は立憲や公明とは別立てで共闘に加わっているようです。やることが一緒なのに分派を増やしてどうするのか、内部で対立しても派閥が出来るだけで党は不変の自民党との違いが際立ちますね。

 さて連合が発表した2026年春闘の一次集計によると、「定期昇給を合わせた」平均賃上げ率は5.26%なのだそうです。3年連続の5%超とのことで良くも悪くもインパクトがない、今ひとつ話題になっていない印象もありますけれど、いかがなものでしょうか。物価上昇も著しいだけに5%を超える賃上げでも実質賃金の上昇としては実感が得にくいところ、政財界の一部では「日本経済は安定した成長軌道にのった」等と宣い利上げを匂わせる輩もいるわけですが、まだまだ日本経済の先行きは明るくないと言わざるを得ません。

 なお私の勤務先も「定期昇給込で」5%を上回る賃上げ結果となりました。しかし「定期昇給」とは何なのでしょうね。今時、勤続年数に応じて自動的に昇給が決まるような会社も珍しいように思います。そこは弊社も同様、毎年の決まった時期に「(会社から)選ばれし者」が昇給するだけで、会社から選ばれなかった人はずっと昇給からは無縁のままです。定期昇給分と併せて5%超の賃上げ──というのは嘘ではないにせよ、あくまで一部の選ばれし者を混在させた話でしかない、ベアの分だけしか賃金が増えない人も少なからずいることは、もう少し組合側も意識すべきだと思います。

 ちなみに組合員すなわち既存の社員が定期昇給込みで5%の賃上げとなった一方、組合員でもなければ社員でもない、これから採用される新卒者の賃金については5%どころか10%以上、時には20%を超える大幅な引き上げが近年は随所で報じられています。私の勤務先も例外ではなく、ついに大卒初任給が30万円の大台に乗りました。30万円台に乗るとなれば流石にインパクトがある、景気の良い話にも見えるでしょうか。ちなみに私の給与は──勤続11年目となる昨年にようやく30万円を超えたばかりです。

 組合は定期昇給込みの賃上げを「成果」として大々的にアピールしてきましたが、しかし組合の有無は賃上げにどれだけ影響するのでしょうね。今となっては組合のない企業の方が多数派で、しかし組合がなければ賃金も上がらないかと言えば当然そんなことはないわけです。例えるなら組合のある企業はアクティヴファンド、組合のない企業はインデックスファンドのようなものであり、結局は市場の水準こそが賃金を動かしているのが実態ではないでしょうか。その典型が組合員でもなければ会社で何かを成し遂げたわけでもない新卒者の初任給であるように思います。

 少なくとも私の勤務先グループの組合要求を見る限り、掲げてきたのは組合員=既存の社員の賃上げであって、まだ見ぬ新卒社員の初任給引き上げではありませんでした。そして組合が要求した既存社員の賃上げ率は定期昇給を含めてすら5%程度、しかし組合の要求になかったはずの新卒初任給は10%以上の引き上げ──こうした状況に組合側はどれだけ危機感を持っているのか、私は気になります。組合とは関わりのない新卒採用の方が賃金の上昇スピードが遙かに速い、それは労組にとって敗北ではないのかと。

 地位のある「おじさん・おばさん」が「若い子」に鼻の下を伸ばして財布の紐を緩くする、良識ぶった企業でもメンタリティは水商売の世界と大きく変わるものではありません。若い人だけでも賃金水準が上がるのは決して悪い話ではないにせよ、初任給20万円から昇給なしで賃金据え置きが当たり前だった私の世代と比べると、世代間格差は深刻だなとも思います。同じコンビニのバイトでも都市部と地方では時給も段違い、同じような仕事でも先進国と途上国とでは賃金は全く違う、そして同じ会社でも入社した時期によって得られる給与は大きく異なる、本人の努力よりも生まれた地域や時代の方が物を言うようです。