この時期は何かと記念される日が続きますが、その実態への理解はいかほどのものでしょうか。一つは8月15日で「終戦の日」と呼ばれているものですけれど、しかし日本が参戦した戦争は数多ある中で「終戦の日」と呼ばれるものが一つしかないことは問われるべきものと思います。そしてもう一つは8月10日で「野獣の日」、これについては賛否両論あるようですが、巷の盆踊りなんかに比べれば至って慎ましい集いでもあり、それまでのステレオタイプなオカマ像を自然体のゲイ像へと上書きした偉人を讃える日として語り継がれる価値はあるように思います。


 参考(2025年の記事)
 8月10日:日中友好 野獣先輩 LGBT YJSN
 8月15日:日本は今、再びファシズムの側に立っている
 

 そして広島と続いて長崎では原爆投下の日として式典が執り行われました。これも例年通りと言いますか、広島の方はイスラエルを招待しつつもロシアは招かず、平和宣言ではロシアに言及しつつもアメリカへの言及は避けるという代わり映えのないスピーチが繰り返されたわけです。2024年にロシアのザハロワ報道官は、岸田首相(当時)の演説を指して「日本当局の公式見解によれば、これらはアメリカの原爆投下ではなく、単に空から爆弾が降ってきただけ」と語りました。それから2年が経過しても、日本側は何も変わっていないことが分かります。

 広島市長や広島出身の岸田元首相、そして現内閣の面々は結局のところ何を望んでいるのでしょうか。アメリカは決して非難しない、イスラエルとも手を握り続ける、その一方でアメリカの傘下に入らない国を安全保障上の脅威である、権威主義であるとレッテルを貼り続けてきた事から推測するに、要は「アメリカと衛星国による核の独占」を目指していると言えそうです。NATO陣営の核は抑止力のために必要なもの、しかしアメリカの意向に従わない国の核保有は世界の平和を脅かす脅威──それが最大公約数的な我が国の「平和」論なのかも知れません。

 日本でも核保有論議は盛んですけれど、そもそも核兵器は本当に抑止力になるのでしょうか? もしイランやベネズエラ、キューバが核保有国であったならば、アメリカは侵略を思いとどまったかどうか、そこは仮定の話になるので不確かではあります。一方で両国共に核保有国であるインドとパキスタンは何度となく武力衝突を繰り返しているわけです。イランやイエメンはイスラエルの核兵器を恐れることなく立ち向かっていますし、ウクライナは停戦合意を無視してロシア系住民の虐殺を続けてきた、エストニアやラトビアはウクライナのドローンが自国の上空を通過してロシアを攻撃するのを黙認し続けています。どうにも核兵器が抑止力として機能しているようには見えないのですが……

 日本では核保有に前向きな人々も多い一方、彼らが隣国の核兵器を恐れているかというと、全くの逆です。核保有論者は隣国の核兵器を全く恐れず、ひたすらに隣国の脅威を説き、最大の貿易相手国との関係悪化を喜んでいるばかりです。もし本当に核兵器が抑止力になるのならば、日本は近隣の核保有国に対してもう少し慎重な態度を取っていなければおかしいでしょう。それでも自国が核兵器を保有すれば何らかの抑止力に繋がると考えるのは、シンプルに矛盾した話です。結局のところ誰も核兵器など恐れてはいない、ただ憎悪する隣国に負けたくない、ぐらいの気持ちで日本の核保有論議は進んでいるように思われます。日本の核保有は手段ではなく目的、ぐらいに捉えていた方が間違いはなさそうですね。

 さて先の衆院選では各政党が挙って消費税減税を掲げていたものの、選挙後は進捗の見られない日々が続いていました。結局のところ選挙向けの公約とはそういうものなのだとしか言い様がありません。これもまた有耶無耶になるのかと思っていたのですが──意外や高市首相が「食料品限定」かつ「期間限定」で消費税率を1%に引き上げると言い出したことで波紋が広がっています。もちろん対象品目を限定すべきでない、あるいは1%たりとも悪税は残すべきではない、期間を過ぎたら復活させるなど論外と問題点は尽きません。ただ、これを契機に財務省の牙城を少しでも突き崩すことが出来れば良いなとは思います。

 一方で不毛な批判は多く、異論ではなく妄言でしかない類いも目に付くところです。政府与党の言っていることもおかしいけれど、それを批判する側の方が輪をかけて誤っているのでは選挙を何度繰り返してもロクデナシが選ばれる現状を変えることは出来ないでしょう。そんな妄言の一つに「消費税減税は富裕層の方が得をする」云々があります。確かに月収20万円で食費5万円の世帯と月収50万で食費10万円の世帯、月収200万で食費20万円の世帯で減税される「額」が最も大きくなるのは3つめの世帯です。ただ税を「率」ではなく「額」で捉える発想を21世紀になって復活させるのは、いかがなものでしょうかね。

 もっとも「消費税減税は富裕層の方が得をする」と説く人の大半は日頃は富裕層の優遇を暗に訴えてきた人々でもあります。実際には低所得層の方が恩恵を受けることが分かっているからこそ消費税減税を阻止したい、その方便として「消費税減税は富裕層の方が得をする」とのフィクションを流布すべく努めているだけなのかも知れません。「リモートワークは生産性が落ちる」みたいな類と同じで、実際にそうであるかは関係なく、自身にとって好ましい世界観を広めるために彼らは尽力しているだけ、「嘘も100回言えば真実になる」の理論を実践しているだけなのだと言うことも出来そうです。

 

26年度実質成長率が1.3%→0.9%に下振れ 政府見通し、原油高を反映(日本経済新聞)

内閣府は30日、2026年度の国内総生産(GDP)の実質成長率が0.9%になるとの見通しを公表した。中東情勢の悪化による原油高の影響を反映し、25年末時点の見通しから0.4ポイント下方修正した。試算には消費減税は織り込んでいない

(中略)

同日、中長期の経済財政に関する試算(中長期試算)も公表した。成長力強化に向けた追加財政支出が毎年度、実質ベースで10兆円生じるとの前提で試算した。6月にも同様の試算を出したが、この時は27年度の基礎的財政収支(PB)を2.1兆円の赤字と見積もった。税収の上振れを踏まえ1.4兆円の黒字に修正した。

 

 2026年度の実質成長率が1.3%→0.9%に下方修正された一方、27年度の基礎的財政収支は1.4兆円の黒字に修正されたそうです。政府の黒字とは即ち民間の赤字ですので、これは不思議でも何でもありません。政府が市場から資金を回収して黒字を出せば、必然的に民間の資金は減って経済成長が鈍る、民間が赤字になった分だけ政府の収支は増える、当たり前の話です。しばしば高市政権や安倍政権を積極財政であるかのごとくに語る人もいますけれど、これもまた妄言に過ぎない、現実には緊縮財政であって民間の市場を犠牲に政府の黒字を目指しているのが本当の姿です。ただ消費税を巡っても同様で、実態に基づいて話をしようとする人は決して多くない、むしろ根拠のないフィクションに沿って自説を広めようとする人が目立つのが我が国の政治・経済を巡る現状と言えます。

 なお政府の赤字は民間の黒字であり、国債発行もお金の所有者が変わるだけの話、それで何かが失われることはありません。ただ「使われずに貯め込まれたお金」になってしまうようですと、それは市場から見て消滅したのと同じです。だからこそ「使われていないお金」を政府が回収して適切な循環を担保することが政府に求められる財政政策だと言えるでしょう。すなわち人件費にも設備投資にも使われなかった利益剰余金すなわち内部留保や、含み益を眺めるだけで終わってしまう金融投資など、社会を豊かにする上で何の役割も果たしていないお金に重税を課し、逆に企業活動や住民の暮らしを活性化させる行為すなわち消費は免税とするのが正しいのですが……長らく我が国の政府は間違った選択を続けてきました。

 失われた10年、20年、そして30年の長きにわたり日本の経済成長は低迷が続いているのに対し、企業の内部留保だけは一貫して右肩上がりが維持されています。そして家計が苦しいと語る人が増える一方で、近年は金融資産の「平均」保有額も増大が顕著です。では内部留保が増えて日本の企業は事業規模を拡大させていったのでしょうか、金融資産が増えて日本に暮らす人々の生活は豊かになったのでしょうか。確かなのは、政府の赤字が増えたことぐらいです。株は売れても製品は売れない、循環すべき「金」に明確な滞留ポイントがある、それは間違いなくメスを入れなければならないところで、まずは消費に税という罰を科してきたことを改めなければならない、そこで財源を問いたいならば消費ではなく「金」の循環を止めることに対する罰を設けるべきと言えます。

 ドイツには「憲法擁護庁」と訳される組織がありまして、これは日本で言うところの公安に相当し、民主主義(=アメリカを盟主とする国際体制)を守るべく、国内の反対派を監視するための組織です。なんとなく「憲法擁護」という言葉のイメージからはかけ離れた実態に感じられるかも知れません。ただドイツ語では"Verfassung"、英語なら"Constitution"を守る機関との位置づけで、どちらも「憲法」あるいは「国体」と訳されます。だから「憲法を守る=国体を守る」という点では不可分なのですが、一方で日本のように憲法と国体が別物と認識されている社会では「憲法擁護」から「公安」のイメージが湧きづらいのではないでしょうか。

 いずれにせよ、民主主義という絶対正義を掲げつつも、その実は政府機関が国民を監視下に置き、既成の国際秩序を揺るがす存在を「敵」として国内に見出しているのは必ずしも珍しいことではありません。政府も治安機関も軍隊も、戦う相手は決して自国の「外」を想定してはいないものです。とりわけ軍隊など、専ら他国の脅威への備えであるかのごとく喧伝されてきたと言えますが、その実は反体制派と戦うことも多い、外国の軍隊ではなく自国民にこそ銃を向けてきた歴史もまた少なくないわけです。

 

【独自】陸自情報部隊が「愛国心」など調査か 国内有識者ら対象に個人情報収集 数千人分、シビリアンコントロール逸脱も(熊本日日新聞)

 陸上自衛隊中央情報隊(東京・埼玉、朝霞駐屯地)の対外情報部門「現地情報隊」が、日本人の大学教授やNPO法人代表ら市民を対象に、「愛国心」や「対自衛隊感情」といった思想信条の情報を組織的に調査・収集しているとみられることが22日、元隊員らへの取材や関係資料で分かった。本来は海外でのインテリジェンス(情報活動)を任務とする部隊が、明確な法的根拠なく国内での人的情報収集活動(ヒューミント)を担い、集められた情報は数千人分に上る可能性がある。活動内容は、防衛相をはじめとする政治家や官僚らにも知らされていないとされ、シビリアンコントロール(文民統制)を逸脱している恐れがある。

【独自第2弾】「性的嗜好」や「異性関係」の項目も 陸自部隊による情報収集 日本人大学教授ら対象
【独自第3弾】陸自部隊、身分隠し情報収集か 開示程度4段階で運用 国内有識者ら対象 愛国心など調査

 

 日本では自国の軍に対する肯定的感情が極めて強いところですが、ただ国民が一方的に好意を寄せているのに対し自衛隊側からは必ずしもそうではない、市民の監視を怠らない実態が報じられています。国民の側も、もう少し自国の暴力装置に対して疑いを持って、その権力の行使に厳しい目を向けた方が良いのではないでしょうか。何かと日本との共通点が多いウクライナでも、軍隊が最初に銃を向けたのはロシア軍ではなく自国内の反体制派でした。自衛隊もまた隣国との戦いではなく、まず自国内の反対派と戦う準備を進めていると考えた方が、より正しく実態を捉えていると言えます。

 

外務省が米に圧力要請 “安倍首相に多国籍軍参加決断促せ” 2014年の集団的自衛権容認の前に(しんぶん赤旗)

スクープ 入手の米秘密公電で発覚
 米国いいなりに「戦争国家づくり」を急ぐ高市政権。この大軍拡の始まりは12年前の2014年7月1日に強行された集団的自衛権行使容認の閣議決定でした。当時、同行使容認とともに国連の軍事的措置への自衛隊参加などを狙っていた外務省。いずれも歴代政府は違憲としてきたものの、米国が長年要求してきた課題でした。その実現のため同省幹部がひそかに、米国に安倍晋三首相(当時)へ“外圧”をかけるよう要請していたことが編集部入手の米側秘密公電で分かりました。結局、安倍首相は姿勢を転換。米国の圧力で政治がゆがめられたとすれば、ことは重大です。高市政権は真相の解明が求められます。

 

 では自衛隊が国民を監視してまで守ろうとしているのは何なのか、それが日本の国益に適うものなのかは問われることでしょう。安倍内閣の頃はまだしも私利私欲が窺え、その中には日本の国益も多少なりとは含まれていたように思います。一方で岸田内閣以降は滅私奉公に徹している様子で、ひたすら米国の利益に仕えているようにも見えるところです。2014年の閣議決定に関しては外務省によるアメリカからの圧力という外患の誘致が行われていた、その結果として安倍晋三が姿勢を翻したとも伝えられています。しかし近年の日本は外圧を待たず、率先してアメリカへの奉仕を続けているのでは?と。

 自衛隊は何のために国民を監視しているのか、それは"Constitution"すなわち憲法または国体を守るためなのか、それとも現政権を守るためなのか、あるいは自国ですらなくアメリカの覇権を守るためなのか──周辺諸国との関係を悪化させることで国民の喝采を浴びる政治家が幅を利かせている昨今ですが、これは当然ながら日本の安全を脅かすものでもあります。日本の国益を考えるのであれば、そのような政治家こそ排されねばなりません。しかし自衛隊が警戒対象としてきたのはどのような層なのか、アメリカからの干渉は素通しし、むしろ現状に異議を申し立てる人々を監視下に置こうとするのであれば、自衛隊もまた我が国を誤った方向に導く害悪であると言うほかありません。自衛隊が守るのは国民ではないのですから。

 とかく経営層とは流行を追いかけるもので、自社がどれだけ流行に迎合できているかを以て「時代の先端に立っている」つもりになりがちではないでしょうか。猫も杓子もAI活用を喧伝するのはまさに典型ですが、時には「ブルー・オーシャン戦略」ですら「周りが同じ事を言っているから」自社も同様の戦略を唱えてみた……ぐらいのノリもあったように思います。何はともあれ時代のトレンドに敏感な経営層にとって重要なのは結局「周りと同じであること」で、要するに世間の多数派の方へと靡きがちです。

 

GMO、在宅勤務を完全廃止 熊谷氏、AI時代に「負ける要素排除」(朝日新聞)

 IT大手GMOインターネットグループは、コロナ禍で導入した在宅勤務を13日付で完全に廃止した。熊谷正寿代表が14日、自身のSNSで明らかにした。生成AI(人工知能)の普及で企業間競争が激しくなるなか、対面での意思疎通や組織力を重視し、出社を基本とする働き方を徹底する。

 熊谷氏はX(旧ツイッター)の投稿で、「在宅で生産性が上がる方もいる。否定しない」とした上で、「データ上、時間当たりのパソコンタイピング数は確実に減少。トータルで在宅勤務はマイナス」と説明した。

 さらに「人類最大の産業革命の真っただ中。負ける要素は排除する」として、出社を原則とする方針を強調した。

 

 この辺の出社回帰もまた流行の一つであり、それが実際に有効であるかの議論を飛び越えて実施されてきたと言えます。すなわちリモート(在宅)勤務が生産性を落とすという客観的なデータが示されることがない一方、「なんとなく」出社して仕事をさせた方が生産性が高まるかのような雰囲気に同調する人が多いのではないでしょうか。このGMOの思慮が浅い社長もまた「タイピング数」などという生産性に関連のない数値しか挙げられないにも拘わらず、在宅勤務を廃止することの「正しさ」だけは確信している様子が窺えます。私に言わせれば、トップの能力不足こそが負ける要素の筆頭ですけれど……

 リモート勤務の廃止については賛否両論あるように見える一方、賛成派だけではなく反対派の論者もまた「リモート勤務で生産性が落ちる」との前提で語っているケースを少なからず目にしました。この辺は経済成長が格差を拡大させるという世界観を新自由主義者と脱成長論者が共有しているのと同じようなものでしょうか。同じ前提に立って「成長か」「格差か」を論じる点で新自由主義者と脱成長論者はいつか分かり合えると私は思うのですけれど、同様に「リモートで生産性が低下」との(証明されていない)前提を共有している人々もまた、いずれは同じ結論へと至るに違いありません。

 先述の通りリモート勤務が生産性を落とすという明確な研究結果はないです。ただ、人によって適性の差が出ることは経験的に納得できるでしょうか。例えばロジャー・フェデラーは全豪オープンで6回、ウィンブルドン選手権で8回優勝していますが、クレーコートの全仏オープンでは1回しか優勝していません。ノバク・ジョコビッチも全豪オープンで10回、ウィンブルドン選手権で7回優勝していますが、全仏オープンでは3回しか優勝していません。一方でラファエル・ナダルは全仏オープンだけで14回も優勝しています。芝のコートが得意な選手もいれば、土のコートが得意な選手もいるわけです。

 同様に昔ながらの出社環境で周囲を蹴落とせるタイプの人もいれば、リモート環境で強みを見せる人もいる、それぞれに得意な「働き方」があると言えます。そして2020年の非常事態宣言が出るまでは、長らく前者の天下が続いてきたわけです。私の勤務先にも組織の「お殿様」として権勢を振るい、続々と休職者を作り出すことで評価を高めてきた人もいました。それが政府の非常事態宣言でリモート化に舵が切られると途端に存在感を失い、挙句の果てには自身が休職してしまった事例もあります。会社全体の業績はリモート化が進んでも落ちることはありませんでしたが、個人単位ではパフォーマンスを落とした人もいるようです。

 2020年の非常事態宣言までは、出社環境での評価こそが全てでした。それがリモート環境に変わると今まで冷遇されてきた人が活躍し始め、逆に主役の座を奪われた人も多かったのではないでしょうか。ゆえに出社環境で幅を利かせていた人々がこれまでの地位を守り通すためには、リモート勤務を終わらせて出社を前提にした過去の体制に戻す必要があったと言えます。すなわち旧体制派による「反動」こそが出社回帰の本質であり、それは組織全体の生産性の問題ではなく、2020年までの主流派による権力維持のための試みと捉えられるべきものです。

 結局のところ2020年までに権力を握っていたのは、出社ありきの働かせ方に適性がある人です。彼らからすれば最大の脅威はリモート化による生産性の低下という架空の懸念ではなく、昔ながらの働かせ方では本領を発揮できなかった人が、リモート環境で自分たちよりも高いパフォーマンスを発揮してしまうこと、自らの評価を上回ってしまうことの方ではないでしょうか。このままリモート環境が続けば自分たちの優位が失われてしまう、そうなる前に働かせ方を過去に戻す、再び出社ありきの環境に巻き戻すことで自分たちを守る、その試みが出社回帰の本質であると言えます。

 ただ日本社会の抱える問題を考慮すれば、本来リモート化は国策的に進められるべきでした。例えば東京一極集中にしても、リモート化によって東京にオフィスを構える必要性を減らす、通勤のために東京近郊に暮らす必要性を減らすことができれば、事態解決の大きな要素となれたことでしょう。そして熱中症対策にしても通勤ラッシュにしても、不必要な通勤を減らすことが出来ればそれだけで問題は劇的に緩和されます。宗主国のIT企業を真似るばかりではなく、自国の状況を鑑みて日本が世界に先んじてリモート化を推進していく、ぐらいの判断はあって良かったはずです。しかし経営者も政治家も、先進的であるよりも流行の中にいることの方を好んだわけですね。

モナコの住宅で爆発、「暗殺未遂」でウクライナ出身の富豪が負傷(CNN)

(CNN) モナコの集合住宅で先月29日、小包爆弾が爆発し、3人が負傷した。当局が明らかにした。ウクライナ出身の実業家を狙った暗殺未遂を受け、モナコとフランス全域で大規模な捜索が行われている。

CNNのフランス提携局BFMTVは、爆発の標的は実業家のバディム・イエルモライエフ氏(58)だったと報じた。イエルモライエフ氏は祖国を離れ、2019年にウクライナ国籍を放棄している。

 

(中略)

 

イエルモライエフ氏は、旧ソ連崩壊後の混乱期にウクライナ南東部のドニプロで財を成した。主な事業分野は不動産で、ウクライナ有数の富豪に名を連ねたこともあった。

公開されている文書によると、オリガルヒ(大富豪)であるイエルモライエフ氏は現在、キプロスの国籍を持つ。フォーブス誌ウクライナ版によると、ウクライナ国籍を放棄したのは「国際的な保護」を求めたためで、「ウクライナの司法制度は控えめに言っても完全ではなく、税制も客観的ではない」と発言している。

 

手配の女、遺体で発見 ウクライナ情報当局者ら2人拘束―モナコ富豪爆殺未遂(時事通信)

 モナコでウクライナ出身の富豪らを爆発物で負傷させたとして、殺人未遂容疑で国際手配されていたウクライナ国籍の女の射殺体が6日、同国の首都キーウ郊外で見つかった。地元メディアが報じた。捜査当局は7日、女を殺害した疑いで情報当局職員ら2人を拘束したと発表した。

 遺体で見つかったのはアナスタシア・ベレゾフスカ容疑者(39)。6月29日にモナコの高級マンションで起きた爆発の実行犯として指名手配されていた。

 

 キエフ政権に阿らない反対派が殺害されるのは、ウクライナ国内では珍しいことではありません。またロシアに逃れた反体制派がウクライナの治安機関によって暗殺される事件も、何度となく発生しています。しかるに今回は富裕層の楽園として世界一の安全性を誇っていたはずのモナコでの犯行とあってか、日頃はウクライナ応援団の国内メディアすらもが報道する事態に至りました。そして実行犯として国際手配されていた容疑者は遺体で発見されたとのこと、普通に考えれば口封じという事になりますが、これはまさにウクライナの現状を象徴している事件とも呼べるでしょう。

 2022年、ロシアが突如ウクライナに攻め込んだと、そんなシナリオが大本営からは発表され国内メディアや専門家もこれに追随してきました。しかし現実には2013年末の段階でウクライナ人とウクライナ人の戦いが始まっていたわけです。翌2014年には首都キエフが反ロシア派武装勢力によって占拠され大統領は逃亡、ハリコフやオデッサではクーデター政権によって反対派が殲滅された一方、クリミアは議会が一致してウクライナからの分離独立を宣言しロシアへの編入を主張、ドネツクとルガンスクでは地元勢力がクーデター政権の軍を斥けて徹底抗戦を始め、今に至ります。

 根本的にはウクライナ人同士の争いこそが起源であり、反ロシア派の牛耳るキエフ政権と、クーデター政権に反対する人々との戦いは当然ながら今も継続しています。だからこそ、ウクライナ支援を唄う日本政府も「ロシア側に協力している」との理由で一部のウクライナ人を制裁対象に含めているわけです。要するにウクライナ支援といってもあらゆるウクライナ人を対象にしたものではない、あくまでキエフ政権への支援であって、これに抗うウクライナ人の殺害には日本政府も手を貸しているとすら言えますが──この辺りはどこまで自覚されているのでしょうか。

 何はともあれキエフ政権と対立する「ウクライナ人」が、また一人殺されました。同じウクライナ人でもNATOへの傘下入りを請う傀儡であれば支援対象、しかしクーデター政権に抗い主権国家であろうとする人々であれば制裁対象や暗殺の標的となってしまう、それが我々の属する自由で開かれた民主主義という代物なのかも知れません。今は何があろうと日米欧はウクライナ支援と称してキエフ政権の後押しを続けるでしょうけれど、いずれ歴史として振り返られる頃にはその評価も大きく変わってくるように思います。

 ヨーロッパ各国から半完成品をウクライナに送り、それをウクライナで組み立てることで「ウクライナ製」ドローンの生産数はロシアのドローン生産数を上回ったと一部界隈では語られています。そしてこの中には明らかにウクライナ領外から発射されたものもあり、ロシア側のインフラも一定の打撃を被っているようです。ただロシアの製油施設の一部が損傷しただけでロシア側が窮地に追いやられているかのような報道は流石に大本営発表が過ぎると言いますか、この程度の損失でロシアが負けるなら、真珠湾攻撃の時点でアメリカも負けたことになってしまいます。

 ロシア側のハッカーがキエフ政権のデータベースに侵入した結果、240万人の死傷者が確認されたそうです。また前線ではウクライナ軍の中に若年層の姿を見かけるようになったとの報告もあります。これまでキエフ政権が前線に送るのは年齢順なのか専ら中高年が前線で人間の壁とされてきたのですが、それがいよいよ枯渇して若年層まで前線に動員されるようになったのでは?とロシア側の報道では推測されていました。兵員数の不利を覆すべく欧米諸国が若年層の動員を求める中、この点だけは頑として主に抗ってきたはずのゼレンスキーも、流石に限界が見えてきたのかも知れません。

 かつてパラグアイが、ブラジル・アルゼンチン・ウルグアイの三国と戦争になったことがあります。国力面で劣るにも拘わらず勇猛に戦うパラグアイ軍はアメリカ公使からも賞賛されたそうですが、最終的には敗北しました。そして当初は半年程度と見込まれた戦争も結局は5年以上の長きにわたって継続し、戦勝国側も相応の損失を被ることになったようですが──パラグアイは国土の4分の1を割譲することになったほか、人口も戦前の4割程度まで低下、とりわけ成人男性は3分の2以上が死亡したとすら伝えられています。加えて資金援助国であったイギリスから莫大な借款を負わされ、国内の経済基盤も実質的に奪われてしまったとか。

 戦争に至る背景は全く異なりますが、今のウクライナの状況はパラグアイのそれに近いのかも知れません。ソ連時代に5000万人を誇った人口は既に半減し、国内に残った中高年男性は枯渇が見えている、軍事支援の代償として国内の権益は全て欧米諸国に差し出すことを約束してしまっている有様です。それでも欧米諸国は戦争継続を支持(指示!)し、キエフ政権は前線の兵員の30~50%を外国人志願兵で補うと宣言、ヨーロッパで受け入れを拒絶された「移民」がウクライナへ送り込まれていたりしますが──この戦争の一方に肩入れし続けている日本政府や、それを正当化してきた国内のメディアや大学教員は、少し頭を冷やした方が良いのではないでしょうかね。

反動政権、排外主義に反対する運動のあり方について(しんぶん赤旗)

「暴力行為を連想させるパフォーマンス」と日本共産党員の行動について

 高市・反動政権の政治、極右・排外主義の横行に対して、市民が強い怒りをもち、それをさまざまな形で表現し、抗議するのは当然のことです。そうした運動を進めるさいに、憲法が保障する表現の自由が最大限に尊重されなければならないことも当然のことです。

 同時に、日本共産党は綱領で、日本の社会進歩の事業は、暴力ではなく、あくまでも平和的な手段で進めることを一貫して明らかにしている党です。私たちが目指す社会主義・共産主義社会の目標として、「いっさいの強制のない社会」―あらゆる暴力が根絶される社会を目指すことを綱領に明記している党です。

 また、わが党は党規約で、「党員の権利と義務」の冒頭に「市民道徳と社会的道義をまもり、社会にたいする責任をはたす」ことを明記しています。こうした立場から、第6回中央委員会総会(2025年9月)では、極右・排外主義とのたたかいで「党は、運動が、市民的モラルを守り、広い人々に共感される方向で発展するよう、積極的役割を果たす」ことを決定しています。

 日本共産党員が「暴力行為を連想させるようなパフォーマンス」を行ったり、それを支持したりすることは、いまのべたわが党綱領、党規約、党の中央委員会総会の決定とあいいれないものであり、また、わが党に対する信頼を傷つける行為であって、党として許容することはできません。

 

 「日本の」共産党の方針としては上記の通りなのですが、それが奏功しているかは別問題なのかと思います。確かに共産党は、共産主義の理念を否定することで「広い人々に共感される方向」を目指して来ました。しかし世間からも公安からも、実態から完全に乖離したイメージで見られ続けたままであり、そこは何も変わっていないのが共産党の現状ではないでしょうか。どれほど共産党が共産主義の理念から決別したところで、部外者は共産党への偏見を維持し続けており、共産党の反共路線は全く目的を達成できていないのでは?というのが私の説です。

 2014年のウクライナでは正真正銘の暴力革命が発生しました。もし「あらゆる暴力が根絶される社会を目指す」のであれば、少なくとも共産党はこのクーデターを否定しなければならなかったはずです。しかし現状は他の親米右派政党と足並みを揃えてキエフ政権に喝采を送ってきたわけで、他党との差別化が出来ているとは言えません。実態はよくある親米右派政党の一つであり、それでいながら反共宣伝に乗せられた偏見だけは拭い去れずに残ったまま──これでは他党に押されて埋没するのも当たり前です。

 加えて日本の反共思想を主導してきた統一教会を巡っても、「暴力の根絶」以上に優先されるべきものがあるのではと私は思います。統一教会と日本政界の癒着は遙か昔からずっと警鐘を鳴らされてきたことであり、「心ある」人には常識でした。もっともそれが政界の勢力図を変えることはなく、言論によって世の中が動くことはなかったわけです。そして実際に世間を動かしたのは、2022年に放たれた一発の凶弾でした。これもまた当然ながら暴力の一つですけれど、しかし統一教会の問題を世に知らしめるために果たした役割は認められるべきと私は考えます。

 理想があっても、そこに至る段階では妥協が必要になる場面があります。理想は共産主義でも、そこに至るまでの前段階として資本の蓄積は無視することが出来ませんでした。理想は世界革命(全世界の共産化)でも、当面の平和のためにはソ連一国の社会主義で一段落とせざるを得ない等々、何事も段階を飛ばして理想に到達することは不可能です。暴力の根絶という「理想」は私も否定するものではありませんけれど、しかしそれは暴力なしでも問題を解決できる前提が整ってから先の話ではないでしょうか。

 統一教会と政府与党の関係を言論によって糾弾した人はいくらでもいました。しかし「言論で動かされる人」が有権者に占める割合は、微々たるものでしかありません。統一教会の問題は決して権力によって秘匿されてはおらず、誰でも知ろうとすれば知ることが出来ました。しかし圧倒的多数の人々は、山上徹也が凶弾を放つその日まで無関心で居続けたわけです。もし我々の社会の大多数が、統一教会の問題を言論によって認識できる段階にまで成熟していたならば、暴力は不要だったと言うことが出来ます。しかし暴力なくして問題を認識できない社会である限り、暴力でしか解決できない問題も残るはずです。

 果たして共産党の最優先目標は高市反動政権を止めることなのか、それとも暴力の根絶のどちらなのでしょうか。非暴力で反動政権を止めることが出来るのであれば大いに結構な話ですけれど、党が世間の支持を失い続けている実態にも向き合わねばなりません。選挙制度の改悪や議席の削減など権力側に都合の良い仕組みが次々と作られていく中で、党がやるのは単に反対意見を述べるだけ、というのでは政党としての役割を果たしているのか大いに疑わしいところです。この「反革命」路線にしがみついている限り、共産党が緩やかな衰退から脱することは永遠にないでしょう。

 先般の衆院選は解散から投開票までの期間が戦後最短であったとのことで、とりわけ海外在住者による「在外投票」の機会が損なわれたとも批判されていました。批判自体はもっともな話ですが、ただ日本の場合は有権者に占める国外居住者の割合も小さく、かつ与党の圧勝ぶりを見れば在外投票の権利が手厚く担保されていたとしても結果が左右されることはなかったでしょう。それでもなお「投票する権利」は保証されていなければならないと、建前上は認められているように思います。しかし実際に「民主的」と欧米諸国から評されている国ではどうかというと、必ずしもそうではなかったりするわけです。

 たとえばモルドバの場合、全有権者の内25~30%程度が国外に居住していると推定されています。このためモルドバ政府は在外投票所の設置を戦略的に進め、2025年に行われた議会選挙では300カ所に上ったそうです。ただし在外投票所の設置先には顕著な偏りがあり、例としてドイツには36カ所の在外投票所が設置された一方でロシアには2カ所のみ、しかもロシアに設置された投票所には各5,000枚の投票用紙しか配布されなかったと伝えられています。ロシア政府発表では国内に約50万人のモルドバ人が居住しているとのことで、いかにモルドバ政府が「国外からの投票」を操作しようとしたかが分かるでしょうか。

 その他にもモルドバでは野党候補の身柄の拘束や、独立を主張するドニエストル川東岸(沿ドニエストル共和国)に投票所を設置せず、当該地域住民からの通行を妨害して投票を阻止するなど、「民主主義を守るため」の様々な努力が見られました。ドニエストル川東岸(沿ドニエストル共和国)の独立主張をモルドバ政府が認めるのであれば、そこからの投票を阻むのは理解できます。しかし独立を否定する=モルドバ政府の管轄地域であると主張するのであれば、当該地域住民もまたモルドバ国民であり投票は受け入れられるべきもののはずです。しかし「独立は認めないが投票も認めない」という姿勢によって──モルドバは民主的であると「国際社会」からは扱われています。

 そしてモルドバ以上に国外在住者が多いと言われるのが先々週も取り上げたアルメニアで、アルメニア国内の居住者が300万人に満たない一方、ロシアには100万人から300万人程度のアルメニア系住民が存在する、内40万人程度がアルメニア国籍の有権者と推定されているわけです。さらにアルメニアは出稼ぎ国家で、世帯の4分の1から3分の1程度が国外の季節労働に従事するとされており、その9割はロシアに向かうと言われています。アルメニアの有権者は少なからぬ割合でロシア国内に居住していることになるのですが──アルメニアは一切の在外投票を認めず、アルメニア国内にしか投票所を設置していません。

 それでも祖国の政治に無関心ではいられないと、投票のために帰国したアルメニア人も少なくなかったと伝えられています。そして「ロシアからの介入があった」として、帰国したアルメニア人が身柄を拘束される事案が頻発しました。この結果、先日の総選挙ではロシアに居住するアルメニア人の投票を阻止することに成功した親米派の与党が僅差で勝利を収め、コーカサス3国の中では最も民主的であるとの評価を不動のものとしています。しかしアルメニア政府が在外投票者の権利を認めていれば結果は別のものになった可能性がある、アルメニアが「民主主義の後退」や「権威主義国家」と誹られる未来もあったはずです。

 「左翼のデモには金が出る」との言説は定期的に繰り返されています。これは実際のところ右翼のデモには賃金が支給されることが多いため、(右から見れば)相手も同じことをやっているだろうと考えられてしまうのだと、そう説明されるところです。とかくネオコンの世界観に反する情報が流れると「ロシアの認知戦」や「中国の工作」云々と断定されがちですけれど、当たり前のように他国の政治に介入してきた欧米諸国からすれば(ロシアや州国も)同じことをしているに違いないとしか考えられないのでしょう。ロシアの圧力云々を語る人ほど、実際には圧力をかけている当事国の可能性が限りなく高いように思います。

 そして日本もまた、警戒対象(中国やロシア)ではなく崇拝の対象(アメリカ)から、最も強く干渉を受けている国と言えます。真に世論工作が成功しているのはウクライナでも台湾でもアルメニアでもなく実は日本である、高市内閣を支持しない風を装うオールドメディアや大学教員でも、アメリカの威光に平伏さない主権国家の悪魔化に勤しんできた点では政府与党と足並みを揃えている、これほどまでに言論界が劣化している社会というのも珍しいでしょう。今はまだ在外投票も普通に行われていますけれど、いずれモルドバのように特定国の在外投票機会を阻むなど、「中国の介入を防ぐため」の民主的な措置が行われる可能性は否定できません。

(今週は予定を変更、アルメニアでネオコンが勝利を収めた経緯などについては来週書きます)

 

立憲「経済的に厳しい子が自衛隊」発言議員を国会の委員会筆頭理事から解任 「撤回・謝罪しているが責任は重い」(FNNプライムオンライン)

立憲民主党は16日、前日行われた参議院決算委員会で「自衛隊に経済的に厳しい子供たちが行く。豊かな子供たちは自衛隊とかならない」などと自説を展開した同党の古賀千景議員について、参議院文教科学委員会の筆頭理事の任を解くことを決めた。

斎藤国対委員長は、「発言を直ちに撤回したうえで謝罪し、深く反省をしているが、その責任は重い」と述べ、党として幹事長から厳重注意を行ったと説明したうえで、「本人が務めている文教科学委員会における筆頭理事の任を解くことにした」と明かした。

 

 世の中には事実をどうしても受け入れられない人が多く、政治家もメディアもそうした人々の方向を向いている、事実よりフィクションを語ることを好んできたように思います。ここで騒動になっている一件は典型的で、取り沙汰されている発言の後半部分(豊かな子供たちは~)は例外もあるのでしょうけれど、前半部分(経済的に厳しい子供たちが~)については現実の指摘に過ぎません。しかし事実陳列罪などとも揶揄されるように、本当のことを述べることで強い非難に晒されることは珍しくなく、今回の件では所属政党からの処分まで下されたわけです。

 社会的な要因で経済的に恵まれない人間が已むなく軍隊を選ぶ=経済的徴兵制という概念は広く定着しており、自衛隊を世界の例外として扱うのは無理があります。ヒゲの隊長などと称された佐藤正久元議員も自衛隊入りは家系を案じてのことであると自ら語っている他、烈士・山上徹也被告も大半の卒業生が大学に進むという県内有数の名門校を出ながら、家庭の事情で進学を諦め自衛隊入りを選びました。古来より軍隊とはそういうもの、現実には向き合わねばならないでしょう。

 ロシアでは経済的に貧しい地域や国の出身者を高給で釣って前線に送り込んでいる──そうした報道は日本で幅広く受け入れられています。しかし現実はもっと厳しく、ウクライナでは富裕層の子弟が国外へと逃れる一方、その術を持たない庶民は路上で徴兵され強制的に前線へと送られているわけです。そしてウクライナ人が「枯渇」しつつある現在は前線の兵員の30~50%を外国人「志願兵」で補うという目標が掲げられ、これを支援すべくEU諸国からはアフリカ出身者を中心とした「移民」が続々と送り込まれていたりもします。軍隊の本質のなんたるかは、日本人も直視しなければならないはずです。

 

連合「極めて不適切」 立憲・古賀氏を厳重注意 自衛隊巡る発言(毎日新聞)

 連合の芳野友子会長は18日の記者会見で、立憲民主党の古賀千景参院議員(比例)が15日の参院決算委員会で「経済的に厳しい子どもたちが自衛隊に行く」などと発言したことについて「組織内議員として推薦した連合としても発言は極めて不適切だったと考えている」と述べ、本人に厳重注意したと明らかにした。古賀氏は連合傘下の労働組合「日本教職員組合(日教組)」出身。

 

 立憲民主に続いて母体である連合からも、古賀議員の発言を非難する声明が公にされています。まぁ連合というのは労組版の勝共連合、アメリカの世界戦略を支えることが第一ですから、それに水を差すような意見は決して受け入れられないのでしょう。連合の政治姿勢からすれば、さもありなんとしか言い様がないです。ただ立憲民主も連合も、実態と世間の評価があまりにもかけ離れているように思います。つまり野党/労組の最大集団として、与党/経営側の対概念としての立場を「一方的に期待されている」ところがあるのではないでしょうか。

 野党第一党であるからには与党とは逆の立場であるに違いないと──支持層とアンチの双方から一方的に思い込まれていたのが民主党の本質です。実際は選挙向けに「中道」と称するなど「自分たちは左派ではありません」と訴えてきたものの、結局は政治的に距離が近い層からは嫌われたまま、逆に政治的に距離のある人の一部から勝手な期待を寄せられたまま、それを打破できなかった結果が前回の選挙結果に反映されたと言えます。そして連合もまた、経営側との対決を辞さない労組を排除すべく労使協調路線の組合が集って出来上がった団体であるにも拘わらず、経営者目線の国民からは好かれていないわけです。

 ただ今回の自衛隊を巡る古賀議員の発言に立憲民主や連合がどう反応したかを見れば、何が現実かは明らかであるように思います。すなわち、立憲民主も連合も自民党と価値観を同じくする同志である、と。立憲民主も連合も自民党と同じ世界観を共有しており、時には主導権を巡って争うことはあるにせよ、根本的なところで目指しているものは変わらないことが今回の一件でより鮮明になったのではないでしょうか。打倒すべきは自民党だけではなく、立憲民主と連合もまた同様です。

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 なお「経済的に厳しい子どもたちが自衛隊に行く」という現実を語ることに対する激しい反発の根幹には、自衛隊ではなく「経済的に厳しい」人々への蔑視があると考えられます。問題視された発言は単に事実を述べただけなのですが、しかし「経済的に厳しい」人々を蔑んでいる人からすれば、それ即ち自衛隊が汚されたと受け止めてしまうわけです。我々の社会は経済力のない家庭から教育機会を奪い職業の選択肢を狭め、そうすることで経済的に報われない不人気な職種の人員を確保してきました。その括りに自衛隊も実は含まれると言う現実を、どうしても受け入れたくない人が世の中には犇めいているのですね。

 三国志演義は日本でもよく知られているところですが、作中で西涼の軍閥を率いる馬超は「父親を処刑された」ことから復讐を誓い、曹操の牛耳る漢王室への反乱を起こしたことになっています。これは史実と因果が異なっており、馬超が反乱を起こした時点で父親は存命でした。しかし息子が反乱を起こしたため、漢王室に出仕していた父親は処刑されてしまいます。ただ父親の身を顧みず反乱を起こすとあっては儒教道徳にもそぐわず、馬超を英雄として描き出すため三国志演義では物事の順序を入れ替えた、「反乱を起こしたから父親を処刑された」のではなく、「父親を処刑されたから反乱を起こした」と改変したわけです。

 これは昔の創作の話と思う人もいるかも知れません。しかし現代もまた、特定の国への印象を操作すべく因果を入れ替えて描写するような企ては普通に行われています。典型的なのは先日の総選挙で親欧米派の与党が「僅差で」勝利を収めたアルメニアで、この国を巡って国内メディアや大学教員からは「ロシアがアルメニアを防衛しなかったために、アルメニアが欧米に接近した」と説明されているわけです。ただ現実は順序が異なり、「欧米に接近するためにアルメニアがカラバフ地方を切り捨てた」と見た方が実態に近かったりします。それでも何らかの思惑を持ってロシア側に責任があるかのように報道されている、この点は意識されるべきでしょう。

 アルメニアと隣国アゼルバイジャンの間にはナゴルノ・カラバフ地方などと呼ばれる係争地があり、地理的にはアゼルバイジャン国内に位置している一方、この地域の住民はアルメニア系が多数を占めていました。これがソ連という重石が外れると軍事衝突に発展、アルメニアが勝利を収め実効支配を確立するに至ります。しかるにアルメニアがカラバフ地方の領有を主張していたかというと微妙なところで、現地勢力は「アルツァフ共和国」を称しアルメニアの一部ではなく独立国という建前を取っていました。そしてこのアルツァフ共和国は「どの国からも」国家として承認されていなかった──ロシアはもとよりアルメニアからも国家承認されていなかったのです。

 アルメニアとロシアは集団安全保障条約を交わしており、アルメニアそのものの防衛であればロシアの支援を要求できることになっています。しかしアルメニアすらもが承認していない「アルツァフ共和国」に関しては当然ながら、集団安全保障の対象外でした。いかにアルメニアの実効支配と言われようとも、アルメニア自身が承認を避けている以上、その地域を守る法的な根拠をロシア側は有していません。もしカラバフ地方を本当に守りたいのであったなら、まずアルメニア自身が立場を変える必要があったわけです。当該地域を公式に併合することもなければ現地の政府を国家承認するわけでもない、国際法上はアゼルバイジャン領のままであることに異議申し立てをしないまま、同盟を盾にロシアによる防衛を期待するというのは無理筋でしょう。

 そして2023年、アゼルバイジャン軍がカラバフ奪還に動き出した際、アルメニア「本国」は軍を派遣せず、現地勢力が蹂躙されるのをただ見守っていました。当然ながら孤立無援のアルツァフ軍は敢えなく駆逐され、地域住民の避難を担ったのは専らロシアの停戦監視団だったほどです。そしてこの結果を以て持ってアルメニアのパシニャン政権と西側諸国による「ロシアはアルメニアを守らなかった」キャンペーンが本格化します。しかし実際に起こったことはどうだったのか、そもそもロシアにとって「アルメニアすら公式には認めていない領土」を守る大義名分はありませんでした。一方で地域を実効支配しながら国際的には領有を主張せず、軍の派遣も行わなかったアルメニアは今なお自らを被害者であるかのように宣伝し続けています。

 ロシアは国境外のロシア系住民の保護を掲げており、とりわけ内戦状態にあったウクライナ東部住民に関しては粘り強く外交を続けてきました。しかし2022年になってキエフ政権による現地住民への攻撃が激化するに至り、当該地域の共和国(ドネツク/ルガンスク)を国家承認して内戦への本格介入に踏み切ったわけです。欧米諸国からの囂々たる非難が盛り上がったことは今さら言うまでもありませんが、この時にアルメニアがロシアの立場を支持することはありませんでした。ただ国境外のロシア系住民を守ることをアルメニアが支持しなかった以上、国境外のアルメニア系住民を守ることをロシアに期待するのは、あまりにも都合の良い話と言わざるを得ません。

 隣国アゼルバイジャンとの領土紛争を抱えている限り、何かしらの後ろ盾がアルメニアには必要でした。そしてカラバフ地方を奪取するなど強硬派が主流を占めていた当時であれば、オスマン帝国時代にアルメニア人の絶滅政策を採った西の隣国などは絶対に組めない相手であり、同盟候補はロシアぐらいしか選択肢がなかったわけです。ただ時代は流れてアルメニアでもまた他の旧ソ連構成国と同様「西側」に靡く方向へと世論が傾き始めます。カラバフ地方を放棄すればアゼルバイジャンとの衝突理由はなくなる、ロシアとの同盟関係も不要になる、往年の虐殺よりも西側の一員であることの方が重要──そう政府が判断するようになった結果、アルメニア本国はカラバフ地方に援軍を送ることを止めました。

 だから事実関係としては「欧米に接近する」という目的が先にあり、そのためにはロシアとは縁を切る必要がある、そのためにはカラバフを手放す必要があったわけです。とは言え「EU/NATOの傘下入りのためにカラバフ地方を放棄して良いか」の二択では十分に国内の支持を固められるだけの勝算がなかったからこそ、物事の順序を入れ替えて「物語」を広めていく必要があったのではないでしょうか。アルメニアがカラバフを切り捨てたのではなく、ロシアが守らなかったからこうなってしまったのだ、と。そうすることで政府首脳は領土喪失の責任を逃れつつ、同時に欧米諸国への接近を正当化してきたのですが、日本のメディアや大学教員は見事に一方が描いた筋書きだけを広め続けています。

 かつて韓国が軍事独裁政権であった頃、最優先事項は「反共」であり、そのために反共の同志である日本との間で歴史問題は棚上げされてきました。しかし韓国が民主化されると封印されていた歴史問題が争点化し、政府間の関係には亀裂が走るようになります。アルメニアで起こっているのはこれと逆の流れで、トルコとは歴史問題から啀み合う間柄でした。しかし「反ロ入欧」が優先事項になると両国間の歴史問題は黙殺されるようになります。旧アルツァフ共和国の亡命政府についても「存在しない」と活動を否定されるなどアルメニアでは色々なものが切り捨てられているのですが……それでも先日の総選挙では現与党が「僅差で」勝利を収めました。ここに至る流れについては次の記事でも取り上げようと思います。

 先日の阿部慎之助前監督の逮捕は国会質疑の対象にもなったそうで、「巨人」ブランドの影響力を感じさせてくれるところです。さらには一部週刊誌で当初の報道内容とは異なる児相の「リーク」情報が伝えられるなど、もう一ひねりの展開もあるのでしょうか。なお私としては今回の件で暴力への嫌悪感を覚えると共に、「暴力嫌悪への嫌悪感」もまた同様に抱いています。暴力自体は良くないことではあるものの、しかし暴力であることだけを理由に一切を否定する風潮には、私は同調できません。

 詰まるところ抵抗権には暴力の行使もまた避けられない場面があり、あらゆる暴力が否定されてしまえば抵抗権もまた否定されてしまいます。また統一教会の問題を巡っては諸々の言論人が告発を続けてきたにも関わらず、多少なりとも世間を動かしたのは言葉ではなく山上被告の放った凶弾の方でした。日本の国政と統一教会との癒着関係が「言論によって」正されるような社会であったなら、我々には山上被告の暴力を否定する権利があるのかも知れません。しかし我々の社会は長らく言論を黙殺してきたわけで、結局は銃声によって強制的に目覚めさせられることを必要としていたのではないでしょうか。

 そしてもう一つは、暴力を全否定するようでいながら実際に行使された暴力を容認しているケースもあることです。典型的なのが2014年のウクライナで起こったクーデターで、この時は武装勢力が首都を占拠し大統領を追放するに至りました。言うまでもなく純然たる暴力革命なのですが──暴力革命を全否定しているはずの我が国の政府とメディアのいずれもがウクライナのクーデターを自然と受け入れてきた現実があります。ウクライナの2014年クーデターが許容されるなら、我が国でも暴力革命を「実際に」掲げる政党が市民権を得ていても良さそうなもの、何とも都合の良い話です。

 

ゼレンスキー氏、第2次大戦時の「ポーランド人10万人虐殺」部隊を賛美 両国関係悪化の恐れ(AFPBB News)

【5月30日 AFP】ポーランドの指導者らは29日、隣国ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領による第2次世界大戦時にポーランド人を虐殺したとされるウクライナの民族主義グループ「ウクライナ蜂起軍(UPA)」を賛美する行動について、両国関係を悪化させるリスクがあると警告した。

侵攻するロシア軍と4年以上にわたって戦うウクライナにとって、ポーランドは重要な支援国となっている。

ゼレンスキー氏は今週、UPAにちなみウクライナ軍特殊部隊を「UPAの英雄たち」と呼称する大統領令に署名した。

ポーランドのカロル・ナブロツキ大統領は報道陣に対し、ゼレンスキー氏の行動に「憤慨している」と述べ、同氏からポーランド最高の勲章「白鷲勲章」を剥奪することを提案したと明らかにした。

 

 なぜウクライナの「暴力革命」が日本や欧米諸国から是認されてきたかと言えば、それは宗主国であるアメリカの意向に沿ったものだったからです。サダム・フセインがイランへの侵攻を続けていた当時は「国際社会」から認められた存在であったように、アメリカの世界戦略に合致している限りは全てが許される、それが「自由で開かれた国際秩序」と言えます。そしてクーデター後のウクライナで相次ぐナチス協力者の名誉回復も然り、キエフ政権が対ロシアの鉄砲玉として有用である以上は全てを黙認する、それが国際社会を自称する日米欧各国の本性なのです。

 日本政府も一時は、キエフ政権の中核を構成する武装勢力をネオナチ系の団体として公安調査庁のページに掲載していました。しかし2022年にはこの記載を抹消しています(参考)。つまりはナチズムであるかどうかなど関係なく、ただ「どちらの陣営に属しているか」次第で過去などはいくらでも修正するというのが我が国の基本姿勢なのでしょう。そして全ての暴力を否定する風を装っていた人々がウクライナの暴力革命を受け入れたように、歴史修正主義を批判する人々がこのナチズムの隠蔽に対して非難の声を上げることはありませんでした。

 ウクライナは長らくロシアによって支配されてきたと、そんな風に日本では語られています。たしかに現在ウクライナと呼ばれる地域の中央部はまずタタール(モンゴル)によって征服され、その後にリトアニアとポーランドに征服され、ロシアの支援を受けてしばしの自治を獲得した後に、エカチェリーナ2世(プロイセン出身でロシアに嫁ぎ、夫を廃位して自ら皇帝に即位した女帝)によって直轄化されました。ただソヴィエト連邦の一員となって以降、ウクライナはフルシチョフにブレジネフと2代続いて最高指導者を輩出するなど、決して支配「される」側の国家ではありませんでした。

 それでもウクライナがロシアに支配されてきた、ロシアと戦うしかないのだという物語は幅広く受け入れられています。一方で無視されているのは現在ウクライナと呼ばれる地域の西部で、ここは成り立ちが異なりポーランドやルーマニア、オーストリア=ハンガリー帝国の支配地域でした。第二次大戦中にウクライナのナチス協力者が虐殺してきた相手はロシア人だけではなく、西部地域を支配していたポーランド人もまた標的にされてきたわけです。この問題についてポーランド政府は2022年以来ずっと沈黙を続けてきたものの──とうとう増長するウクライナに堪忍袋の緒が切れてしまったようです。

 ただポーランド人からすれば虐殺された側であるが故に恨み辛みは消えない一方、地理的に隔たれた国は知らぬ存ぜぬを続けることでしょう。NATOの代理人として「敵」を誤らない限り、欧米諸国はウクライナを肯定し続けます。どれだけキエフ政権が原発を攻撃しても民間人を殺害しても、アメリカを宗主と仰ぐ国々では決してそれが非難に結びつくことはありません。反ロシアの鉄砲玉である限り全ては許される、この箍の外れた状況を続けさせようとしている欧米側と、押し止めようとしているロシア、果たしてウクライナに生きる人々のために行動しているのはどちらでしょうね。