昨今はセパレート帰省などと呼ばれる代物も普及しているそうですが、夫婦で出身地が違えばどちらに顔を出すのかで一悶着も当然あるのでしょうね。私の場合は父方の祖父母が早世したこともあって、幼少の頃より母方の親類一同で集まるのが正月の慣例となっています。そして現在となっては私自身もすっかり年を取ったわけですが、今もなお親類一同の間で私は「子」扱いのままです。

 年齢ではなく、家系図における位置が親戚間での立場を決める……みたいなことを以前に書きました。つまり家系図を作ったときに最も下の段にいる人々が「子」であり、下から2段目にいる人々が「親」、その上が「祖父母」と、このカーストは年齢が上がって大きく崩れることはなく、あくまで家系図の段が追加されることによって変動する、というのが私の説です。

 要するに私か兄弟姉妹または従兄弟に子供が出来ると家系図の段が増える、そうなると家系図の最も下の段にいる人が「子」になって、その上の段にいる人間が「親」や「おじ、おば」になる、それまで「親」だった人が「祖父母」になる、全てではないにせよ、このパターンが当て嵌まる家庭は割と多いのではないかと思います。

 どれほど齢を重ねても、親から見れば我が子はいつでも子供のまま、中には子供に寄生するいわゆる「毒親」もいるかも知れませんが、真っ当な親とはそういうものです。この関係が変わるのは年齢の上昇ではなく新たな世代の誕生である、子供が出来るとそれまで「子」だと思っていた相手を大人と扱うようになる、それまで自分を「親」だと思っていた人々の自認が「おじいちゃん」「おばあちゃん」に変わる、そういうものではないでしょうか。

 ……ともあれ、今年も「子」として親類に顔を見せてきたわけですが、一方で加齢による衰えを痛感することも昨今は増えてきました。身内の間では家系図の最下段にいる「子」であり続けても、年月の経過による衰えを止めることは出来ません。気持ちの上では若くても、肉体は脳を含めて年を取っていくもの、それは避けられない現実です。

 性自認が生物学上の性と一致していない場合は「トランスジェンダー」などと称するようですが、そこから転じて年齢自認が実年齢と一致しない場合を「トランスエイジ」などと呼ぶこともあるとか。もっとも後者が発生する過程と前者が生まれる過程は大きく異なるようにも思います。前者は自然発生的な要因が大きい一方で、後者は社会的要因の方が遙かに大きいのではないでしょうか。

 自分を振り返っても上述の通り心身の衰えが年齢を自覚させる一方、親になったわけではない=世代的には「子」のままであることや、昇進して部下を持つような立場になったわけでもなく職場でも平社員のままである等々、社会的には人生のステージが上がったと実感する機会がありませんでした。もし若い頃と同じように健康なままであったなら、気持ちだけは若者のままでいられたのではないか、そんな気がします。

 そして私だけではなく、私の同世代にもまた似たような人は多いはずです。団塊世代、団塊ジュニア世代と日本の人口ピラミッドには2つの山があります。しかし団塊世代の下には団塊ジュニア世代という山が出来たのに対し、団塊ジュニア世代の下には山がありません。結婚もしないし子供も作らない、未婚・少子化が一気に進んだのが私を含む団塊ジュニア世代と言うことが出来ます。

 この要因としては就職氷河期による世代を狙い撃ちにした経済状況の悪化がよく挙げられるところで、団塊ジュニア世代=氷河期世代は就職もままならず、運良く就職できても昇進や昇給は見送られたまま初任給から据え置かれたままの賃金で働かざるを得ないケースも少なくありませんでした。加えて、その先の採用数の絞り込みもあって当然ながら部下を持つような機会にも乏しかった、そんな特徴の世代が作られてしまったわけです。

 経済的にゆとりがないから結婚もしないし子供も作らない(=親にならない)、昇進の機会もないので部下に対して責任を持つ機会もない、こうなると団塊ジュニア=氷河期世代は人生のステージが上がったと感じる機会が少ない、年齢自認を引き上げる機会にも恵まれなかったと考えられます。未婚・少子化の時代、就職難で昇進も見送られた世代にとって、年齢の上昇を感じさせるのは唯一、加齢による衰えだけという人は決して少なくなかったのではないでしょうか。

 近年では少子化の中で若者を集めたがる企業間の競争も激化、新卒初任給の大幅な引き上げが世間を騒がせたことは記憶に新しいところです。氷河期世代が10年間働き続けても得られなかった給与水準を、何一つ成し遂げたことのない新卒者が追い抜いていく、今となっては全く珍しい景色ではありません。そんな見捨てられた世代に、実年齢と年齢自認が一致しないトランスエイジが大量発生したとしても、これは致し方ないことかとも思いますね。

小泉純一郎氏、高市首相の高い支持率をどう思う?“まさかの角度”でコメント(毎日新聞)

 元首相・小泉純一郎氏(83)が26日までに更新されたYouTube「たけだ良太の良チャンネル」にゲスト出演。高市早苗首相が高い支持率を集めている件について言及する場面があった。

 元総務大臣・武田良太氏から「高市さんが高支持率を得ているんですけど、どうですか?」と質問されると、小泉氏は「いや、わかんねえな。見てねえから、新聞を」とまさかの一言。

 さらに「もう、引退してんだからさ。見たってしょうがないって」と笑っていた。

 それでも「やれるところまでやりゃあいいじゃねえか。いいじゃねえか、女の総理ができたって。1人ぐらいさ、初めて。サッチャーだってやったんだから」とエールを送っていた。


 実にくだらない記事ですが、こんな類いでも需要はあるのでしょうか。取り敢えずサッチャーは同じ女性首相の先駆者とあって高市の引き合いに出されることも多いわけですが、むしろ政策的には高市ではなく小泉純一郎の方に近いような気がします。本当の意味で積極財政とは言いがたいにせよ高市とサッチャーとでは方向性が違う部分もある、日本のマーガレット・サッチャーの名にふさわしいのは高市ではなく小泉だと、そんな意見もあって良さそうですが──日本のメディアはどこも性別しか見ていないのかも知れません。

 高市とサッチャーは性別こそ共通しているものの政策面では相違点も結構ある、逆に小泉純一郎とサッチャーは性別こそ異なるものの政策面では距離がずっと近いです。では高市と小泉はどうでしょう。この二人は当然ながら性別は違いますし、政策面でも相違点は挙げられるのですが、一つ重大な一致点があるように思います。それは即ち、「失政が支持に繋がっている」という点です。

 今日に至る日本衰退の最大の功労者と言える小泉純一郎ですけれど、その政策的誤りは必ずしも彼の発明ばかりではありませんでした。日本経済を破壊するための間違った政策の多くは前任の橋本龍太郎時代には既に始まっており、時限爆弾のごとき消費税5%への引き上げは村山富市内閣で決まっていたわけです。では小泉政治の何が害悪であったのか、それが上述の「失政を支持に繋げる」政治手法であったと言えます。

 本来、政治の誤りによって国民の生活水準が低下すれば、その当時の為政者の責が問われる、政府与党は有権者の支持を失い権力の座から降りることを余儀なくされるものです。小泉政権の誕生までは、日本でも一定程度はこうしたメカニズムが働いていました。しかし小泉内閣は日本の衰退の中でも最後まで高水準の支持率を保ち続け、今なお本人の人気は高いまま、対立政党であったはずの民主党系の議員からもしばしば賞賛を受けてきたわけです。

 しばしば日本人は物質的な豊かさを蔑ろにし、精神的な満足の方を優先させてしまいます。「脱成長」みたいな戯言が大真面目に語られる世の中では、日本経済の成長を止めた小泉政治は決して悪いものではなかったのかも知れません。代わりに、わかりやすい敵を見出して政治を勧善懲悪の舞台のごとくに演出した、これは実際に「小泉劇場」と呼ばれ、観客気分の国民を大いに満足させてきたと言えます。もっとも劇場で満足感を得たところで現実は厳しいままであったのですが……

 この点で、高市政権は今のところ小泉政権と共通点があるように思います。政策的な誤りは高市が始めたのではなく前任者達によるものも多い、勤労から投資へ、消費から投資へのシフトも、世界を日本(及びアメリカ)の敵と味方に分ける二元論的な外交や軍事費の大幅増大も、悪い政策は岸田内閣に端を発しているものが多いです。では岸田と高市で何が最も違うかと言えば、それは政策ではなく「支持を得ているかどうか」にあるのではないでしょうか。

 岸田が支持を失い有権者から揶揄されるのは至って当然のことです。ただ、それは小泉純一郎も高市も同じはずです。しかし失政にも拘わらず高い支持率を維持するケースが時に発生する、これこそ小泉と今の時点での高市の共通点であるように思います。隣国を敵に見立てて挑発的な姿勢を取り、その関係性を悪化させる──外交としては完全な誤りですが、これが国民の支持を得ていることは諸々の世論調査でも明確に示されています。事態を悪化させればさせるほど国民は悦び、政府への支持が高まる、そういう状況に日本は陥っているわけです。

 もっともこれは日本だけの例外的な事象ではありません。他の国でも似たようなパターンは見られます。典型的なのがウクライナで、この国は90年代以降、一貫して人口流出や経済の低迷が続いてきたのですが、そうした衰退の中で為政者が国民の支持を繋ぎ止める唯一の方法が「隣国へのヘイトに加担すること」でした。政府が隣国を敵に見立てて憎悪を煽り、そうやって国民を悦ばせることで延命を図ってきた、本来の不満の大元である国家の衰退を止めることは出来なくとも、その不満の矛先を隣国に向けることで政権を維持してきた、これがウクライナ政治です。

 日本との類似点が際立つウクライナ政治の行き着いた先がどこにあるかは言うまでもないでしょう。しかし政策的な合理性よりも国民の精神的な満足感を優先してしまう、隣国を罵り勧善懲悪の舞台に参加している気分に国民を浸らせる、そんな「悦びの政治」が現実世界を好転させることは永遠にないわけです。もし早期に国民が高市政権に不満の声を上げ始めるようであれば日本もまだ救いはありますが、逆に高市内閣が小泉時代のような高い支持率を保ち続けるようであれば、これはもうダメかも知れませんね。そしてこれは、政治の責任であると同時に支持した国民の責任でもあります。

「信頼できるAI」で世界一に 初の基本計画、閣議決定(時事通信)

 政府は23日の閣議で、人工知能(AI)の開発・利活用に関する初の「基本計画」を決定した。技術革新とリスク管理を両立させて「信頼できるAIを創る」と明記。「世界で最もAIを開発・活用しやすい国を目指す」との目標を打ち出した。

 

 曰く「信頼できるAI」とのことですが、どうなんでしょうね。皆さんはAIを信頼していますか? 私の会社の偉い人は、今の時点で既にAIを完全に信頼しています。それこそ社員の声なんで一切耳を傾けてはくれない一方、AIによる回答は信頼できるものとして、もっとAIを使え、既存の業務はAIで効率化できるのだと、とにかくAIを使うことが会社グループ全体の方針として定められています。今さら「信頼できるAI」など目指さずとも、とっくにAIは信頼されている、というのが私の説ですね。

 一部には積極財政を期待する向きもあった高市内閣ですが、実態はいかがでしょうか。確かに予算規模こそ大きくなる見通しではあります。ただ従来の日本政治は高齢化にともなう社会保障費の増大など自然要因にやむなく対応した結果として政府支出を増やしただけであって経済のテコ入れに抜本的な手が打たれたとは言いがたい、むしろ消費税を引き上げて法人税を引き下げるなど税の再分配機能に逆進性を付加し、意図して経済を衰退させようとしてきたわけです。予算を大きく取ることは経済拡大のための前提となりますが、その方向性は当然ながら問われます。

 言うまでも無く消費に課税すれば、消費は押し下げられます。逆に企業が人件費を支払い設備投資を行い、その後に残ったお金に対する課税を減じれば企業の手元で眠る分は増えます。こうした状況で日本の「脱成長」は30年近く継続されてきたところですが、では逆のことをやっていたらどうだったでしょうか。消費への課税を止めて国民に消費を促し、法人税を引き上げて企業が手元に資金を残すことのインセンティヴを半減させ、余剰資金は人件費増や事業拡大に使わせる──そんな方向に税制を通じて世の中をコントロールできていたら、今の政府予算規模でも結果は違ったはずです。

 

個人金融資産、2286兆円 9月末、過去最高更新―日銀(時事通信)

 日銀が17日発表した7~9月期の資金循環統計(速報)によると、9月末時点で個人(家計部門)が保有する金融資産の残高は、前年同月末比4.9%増の2286兆円だった。プラスは11四半期連続。株高に加え、外貨建て資産の価値が円安で膨らんだことから、今年6月末時点の2240兆円を上回り、2四半期連続で過去最高を更新した。

 個人金融資産の内訳は、株式等が前年9月末比19.3%増の317兆円。投資信託は、新しい少額投資非課税制度(NISA)への資金流入が続いているため、21.1%増の153兆円と大幅に伸びた。保険は外貨建て商品の評価額が膨らみ、2.0%増の416兆円。現金・預金は0.5%増の1122兆円だった。

 

 日本経済の低迷は続き生活苦を訴える人も増える一方、個人金融資産は過去最高を更新し続けています。とりわけ「投資信託は、新しい少額投資非課税制度(NISA)への資金流入が続いているため、21.1%増の153兆円と大幅に伸びた」とのこと、岸田政権時代の掲げた「消費から投資へ」の成果でしょうか。実体経済とは裏腹に株高は日本ですら続いているわけですが、この辺に気を良くしてか「こどもNISA」などと称して追加の非課税枠を増やそうとする議論も盛んです。消費には課税が強化されたままである一方、金融所得には課税を免除する、高額の給与所得者には一定の累進課税がある一方で金融所得はどれほど高額になっても税額は一定、我が国の政府が消費よりも投資を、勤労よりも投資を促していることがよく分かります。

 ただ国民が消費を減らして投資に励む国は豊かになれるのでしょうか? 国民が勤労によって給与で稼ぐよりも投資で稼ごうとする国は成長できるのでしょうか? 今や日本は貿易収支が赤字に転落、それでありながら投資所得によって黒字を達成している正真正銘の投資立国となりました。しかし自ら価値を生み出す能力を喪失し、投資のリターンを得るばかりの国は国際的な信認を得られるのか──昨今の円安には、この辺も関わっているように思います。諸々の資源や農産物に工業製品、魅力的なサービスを供給できる国の発行する通貨には価値がありますが、ただ金融資産を持っているだけの国が発行する代物は単なる紙切れですから。

 いずれにせよ投資に回せるだけの余剰資金を多く保有していればいるほど、投資から得られるリターンも大きくなります。だから最初から財産を持っている人であれば、それをさらに大きく増やすことが出来る好機ではあるのでしょう。一方で余剰資金に乏しい人は投資する余裕もない、節約を重ねて(=消費を減らして)種銭を作っても、微々たる投資額で得られるリターンも当たり前ですが微々たるものにしかなりません。富めるものはより豊かに、貧しいものはそのままに、これが勤労所得ではなく投資所得の倍増を掲げた国家の辿り着く先です。

 また以前にも書きましたが、投資の大半は「転売」です。金融市場で売り買いされている株式は企業から買われているのではなく、別の投資家が売りに出したものでしかありません。転売屋から株式を買っては値上がりを待ち、それを別の転売屋に売る……これが「投資」の正体です。だから庶民が投資に励んだところで企業の資金繰りが良くなったり経済活動が活性化したりはしない、単に金融商品の転売市場が賑わうだけと言えます。やるべきことは岸田内閣時代の敷いた誤ったレールから引き返すこと、投資から消費へ、投資から勤労へと、課税方法を通じて促すことの方でしょうね。

アフリカからの留学生狙うプーチン政権 奨学金枠倍増、親ロ育成に力(朝日新聞)

 ロシアが2022年2月のウクライナ全面侵攻後、アフリカ諸国への接近を強め、軍事や経済関係に加え、人材交流も活発になっている。国際社会での親ロシア勢力を増やす狙いだが、ロシアのプロパガンダが広がる懸念も強まる。


 この辺はソ連時代から続いている話でもあり、何を今さらという感じがしないでもありません。恒例の反ロシア・プロパガンダの一環とでも言うべきでしょうか。実際のところアフリカを植民地化してきた西欧諸国と、その開放を支援するソ連という構造は今もなお残っており、とりわけ2022年以降の西アフリカ地域ではフランス軍が相次いで撤退を余儀なくされるなど、日本での注目が乏しいながらも勢力が大きく移り変わっていたりします。たぶん2022年以降の国際情勢において最も大きく「負け」ているのはフランスであろうな、というのが私の見解ですね。

 

留学生の授業料、値上げへ動く有力大学 文部科学省が促す「要件」(朝日新聞)

 授業料は、国立大は文科省令で標準額が決まっており、年53万5800円。その1.2倍(64万2960円)を上限に各大学が決められる。

 これが、2024年の省令改正で留学生のみ上限が外された。

 これを受け東北大が1日、27年度に入学する学部と修士課程の学生から、今の1.7倍の90万円にすると発表。広島大も学部生の値上げ方針を決め、上げ幅や時期を検討している。早稲田大も今月、日本語を未習得の学生を対象に検討中だと発表した。


 翻って我が国では、こうした留学生排除の取り組みが概ね肯定的に受け止められているようです。ただ冒頭の「親ロ育成」云々と並べて考えるといかがでしょうか。先の自民党総裁選では高市を除く4名のいずれもがアメリカの大学を出ており、高市も松下政経塾を通してアメリカのインターン(自称・米連邦議会立法調査官)を経ています。アメリカで政治教育を施された日本の政治家が徹底した親米姿勢を貫いていることを鑑みれば、留学受け入れを通じた教育が自国のシンパを増やすことは間違いありません。それを敢えて「やらない」というのであれば、ある意味で潔い話なのですが。

 そもそも日本の場合、「親日」とは生まれながらに定まった概念であり、それは国によって分類されるものとして扱われているのではないでしょうか。日本人が一方的に認定する「親日国」の人間が即ち親日であり、これは留学の受け入れなどを通じて後天的に作られるものではない、だからこそ海外から日本への留学を阻害するような取り組みから生まれる損失を全く考慮していないと言えます。思えば昔年の技術的優位に関しても同様、何の努力なく永遠に維持されると日本人は思い込んでいた、だからこそ日本は自国民への教育にコストを費やすことを惜しみ、隣国に追い抜かされてもなお日本には技術力があると信じ込んでいるわけです。

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 先日はノーベル賞授賞式が行われましたが、このノーベル賞でも最もいかがわしい賞(次点は文学賞)である平和賞に選ばれたマリア・コリナ・マチャド氏が再びメディアで持ち上げられています。彼女もまたアメリカ政府の資金拠出を受けて反政府運動を組織し、ベネズエラへの軍事介入をアメリカやイスラエルに呼びかけてきたわけです。まさに欧米の利害の代弁者としてノーベル賞にふさわしいとは言えますけれど、これもいかがなものでしょうかね。

 各国の革命家を支援して世界中に共産主義政権を樹立するのがトロツキーの世界革命論でしたが、同様に各国の反政府運動を支援して世界中に親米政権を樹立するのが欧米政治の中道に君臨するネオコン思想です。欧州方面では自国の軍隊の血を流すことを厭うトランプ政権も、ベネズエラに向けてはアメリカ軍を貼り付け地上戦も辞さない構えを見せています。欧州側もベネズエラへの軍事介入が持論であったマチャド氏にノーベル賞を授けることで間接的にアメリカへの支持を表明したわけですが、どこまで事態がエスカレートするかは予断を許しません。

 教育を通して自国の魅力を伝えていくのは至って平和的な試みですが、それでも「向こう側」に位置する国であれば「プロパガンダが広がる懸念も強まる」などと難癖を付けられてしまいます。しかるに軍事侵攻ですらも「味方」のアメリカが仕掛けるものは結局のところ正当化されているのが現状です。アメリカの意向に従わない国は決まって「独裁政権」などとレッテルを貼られますけれど、独裁の独は独立の独なんだろうなと思わないでもありません。ことによると日本では大学よりもメディアが教育者の役割を果たしている、メディアが偏った世界観を普及させているのでは、という気もしますね。

 ヴァリャーグ、とはロシアの建国伝説に登場するヴァイキングの一派で、彼らが9世紀に後のロシアやウクライナへと至る国家の原型を築いたとされています。そして時代は流れてソヴィエト連邦が成立し、建造された航空母艦に「ヴァリャーグ」の名が付けられることになりました。ところがソヴィエト連邦は敢えなく崩壊、空母ヴァリャーグはウクライナに接収されたものの持て余される存在となってしまいます。紆余曲折を経てヴァリャーグは中国へと売り払われたのですが──これが昨今、日本近海(ただし、あくまで公海)を航行している中国の空母「遼寧」です。

 ロシアと中国はライバル関係でもあり、とりわけ軍事技術に関してはおいそれと融通するような関係にはありませんでした。ただソ連が崩壊した後は、ウクライナが中国にとって好都合な供給ルートになったわけです。中国にとってはロシアよりもウクライナの方が関係の深い国家でもあり得ました。しかしアメリカの傘下に属する「民主主義国」「価値観を共有する国」「同志国」と、そうではない「権威主義国家」へと世界を二分する欧米の外交が、同じ立場に立たされたロシアと中国を結びつけるようになって今に至ります。こうした状況を生んだ「価値観外交」は、果たして世界の平和と日本の安全に資するものであったのでしょうかね?

首相の「地方は東京を見習って」発言に違和感 平井知事、県議会で言及(日本海新聞)

 鳥取県の平井伸治知事は3日の県議会12月定例会本会議で、高市早苗首相と11月19日に面会した際、首相が人口減少問題について「地方は東京を見習って」と発言したことに言及。地方の人口減少の背景には東京一極集中があることを踏まえて「何だろうかなと思った」と違和感を口にした。

 

 「何だろうかなと思った」と言葉は少ないですが、地方自治体の首長が絶句したであろう場面が思い浮かぶところでしょうか。確かに日本全体の人口が減少している中でも人口を増やしている自治体もある、実のところ私の住む街も住民の増加は続いています。ただ「見習う」価値があるかは疑問に思わないでもありません。総じて人口の増えている自治体は「子育て支援の成果」を誇るものですが、そんなものはどこの自治体も等しくやっているもののはずですし。

 そもそも合計特殊出生率は2024年でみると鳥取県は1.43、確かにこれでは人口を維持できません。しかし「見習う」対象として挙げられた東京は全国最低の0.96です。東京に倣えば尚更のこと人口が減ってしまうことになりそうなもの、「何だろうかなと思った」と呆れられるのも致し方ないでしょう。私の住む自治体も出生率は東京をこそ上回るものの鳥取よりはずっと低い、それなのに人口は増えているわけです。

 結局のところ、人口の増える自治体とは単に転入が多いだけでしかありません。確かに自治体単位で減税措置を設けて企業を誘致、それで税収を増やした成功例が肯定的に取り上げられることもありました。ふるさと納税の返礼品を豪華にして税収を増やした自治体が脚光を浴びたりもしています。人口も同じで、人を増やした自治体を「見習って」と総理大臣から持ち上げられている様子ですが──どれもこれも他の自治体から「奪って」いるだけの話ではないでしょうか。

 私の住む街の長所は、頑張れば東京の都心に通勤できるエリアに位置していることです。都心に直結する鉄道路線があり、駅に近づけば近づくほど急激に不動産価格が上昇する、そんな街です。一方で商業施設も医療施設も乏しく住宅ばかりが延々と建ち並ぶ「住むだけ」の街でもあり、決して生活に便利ではありません。ただ便利ではないが故に不動産価格も抑えめになっているところがあり、結果として子育て世代の若い夫婦が住宅を取得するのに丁度良い街になっている、子供で溢れる転入超過の自治体が形成されていたりします。

 人口の推移だけを見れば、私の住む街は「成功」しているのかも知れません。高市理論では「見習って」と言うことにもなるのでしょう。しかし住居だけに特化した不便な街を作ることは出来ても、東京に通勤できる街を作ることは不可能です。職は東京に在り、出生率は地方の方が高くとも職を求めて都心へ通勤可能な自治体へと人が転出してしまう、この構造にメスを入れられなければ地方の人口減少は解決できません。

 確かに東京以外の地方自治体にも「職」があれば人口の流出は防げる可能性はあります。鳥取にも東京を見習って「職」を作れと、そうした意味であれば高市発言も全くの妄論ではないのかもしれません。だからこそ首都機能の移転や分散なども過去には議論されてきたわけですが、今に至るも何ら進捗がないのが実態です。交通網が整備されれば会社は東京に集まり、通信網が進歩すれば会社は東京に集まる、東京一極集中はいつだって一方通行でした。

 インターネット普及の黎明期には、世界中のどこにいてもインターネットがあれば同じように仕事が出来ると、そんな未来を夢想する論者もいました。しかるに現実では、どれほど通信環境が発達しても東京への一極集中は止まる様子がありません。ただ一つ好機であったのは新型コロナウィルスの登場で、世間的に警戒感の高かった当初は外出自粛や非常事態宣言に伴ってリモート勤務が一時的に普及、都心のオフィスに出勤せずとも仕事は出来ることが証明されました。

 まさにコロナによって未来への展望が開かれたのですが──世間が感染症対策を放棄するようになるとリモートワークも急速に衰退、昔ながらの出社回帰がトレンドとなりました。残されたのはリモートワーク時代の電車の減便のみ、出社が必要である以上は社員も郊外を含めた首都圏に居住せざるを得ず、東京一極集中は解消されることなく今に至ります。一極集中が課題の日本であるからこそ国策的にリモート化は進めなければならなかったはずですが、口にDXを唱えても実際は旧態依然とした出社前提の働かせ方を好む、そんな日本の経営層の意向を押し止める人はどこにもいません。隣国を罵るときだけは勇ましくとも、真のリーダーシップを発揮できる人はいませんので。

 さて高市首相の存立危機発言もあって日中関係は悪化の一途にありますが、こうした無用の軋轢を招く発言や対中姿勢も、世論調査を見る限り概ね国内多数派の支持を得ているようです。物質的な損得よりも精神的な満足感を優先する日本人らしい結果だと思わないでもありません。ただ、そうこうしている間にも日中間の国力の差は着々と開き続けているわけです。日本人の多くはいまだに30年前の技術格差を現代に当てはめて考えている人も多い印象を受けますけれど、彼らが現実を受け入れる日は来るのでしょうか。

 現政権の対中姿勢を支持する声が大きいのは、メディアが率先して隣国への憎悪を広めてきたことも寄与しているように思います。ともする右派から毛嫌いされているかに見える「他称」左派メディアでも一貫して中国やロシアを悪魔化して報道しており、こうした報道に常日頃から接していれば、排外主義者としての自覚がなく良識派を装っているような人でも自然と隣国の側に責を求めてしまうわけです。ゆえに今回の一件も相手国に問題があるから発生したのだと、そんな立脚点からしか物事を捉えられない人が多いと考えられます。

 中国やロシアにも問題が無いとは言いませんが、しかし陣営によって国家を善と悪に分ける二元論的な報道や大学教員が跋扈している中では事実関係すら関心の埒外に飛ばされてしまう、いかに隣国を悪し様に語ることが出来るかが競い合われているのが現状ではないでしょうか。今、中国側から何を批判されているのかすら理解できない、ただただ相手国を悪だと信じ、自国が不当な非難に晒されているだけとしか考えない、それが政治家の間でもメディアの間でも、そして国民の間でも普通になっているのかも知れません。

 大手メディアで右派から最も嫌われているとなると朝日新聞になるかと思いますが、この朝日新聞でも中国やロシアは話の通じない危険な隣国であり周辺国を脅かす存在として描かれているわけです。そして朝日新聞の伝える中国像やロシア像が正しいものであるならば、間違いなく平和憲法では自国を守れない、軍事侵攻はありうる、それに立ち向かうためには軍拡あるのみ、米軍との連携強化あるのみとの結論に至るのが自然と言うほかありません。でも、これは本当に正しい現状認識なのでしょうか。

 右派からは左派とみなされているメディアでも、ロシアを悪、ウクライナを善として描き続けてきました。ただ、こうした世界認識ほど平和主義と相容れないものはないとも思います。上述の通りロシアあるいは中国を悪魔化してしまえば、それは即ち平和憲法や外交による安全保障は否定されてしまう、軍事的な圧力だけが現実的な解決手段となってしまうはずです。しかし本当に道を誤ったのはウクライナであるとするならば、より非軍事的な衝突回避手段はある、そして日本もまた同様であると言うことが出来ます。

 まずウクライナは2014年、アメリカの国務次官補も参加した暴力革命によって「親ロシア派」とレッテルを貼られた大統領を追放し、極右勢力が非民主的な手段で権力を奪取しました。これによりウクライナは内戦状態に突入、ロシア系住民への攻撃が続いた結果としてロシア軍の介入に至ったのですが、そもそも「民主的な」手続きを遵守していれば起こり得なかった事態でもあります。日本でも「親中派」などとレッテルを貼られた政治家への攻撃は時に見られるところですが、ウクライナと同じ道を辿ろうとするのはいかがなものでしょうか?

 元々ウクライナは中立国として、いかなる軍事同盟にも参加しない立場を安全保障基本法として定めていました。しかしクーデター政権はこれを放棄し反ロシア軍事同盟でもあるNATO加盟を「目指す」との法改正に踏み切ります。当然ながらロシアとしては隣国がNATOの前線基地となることを受け入れられない、ウクライナにはNATOの傘下に入らず独立した国家であることを要求してきたものの、ウクライナは一切の交渉に応じませんでした。翻って日本でも憲法九条を標的とした改憲論議は盛んですし、アジア版NATO等と妄言を吐く輩が総理に就くなどウクライナと重なる部分は少なくありません。対立する軍事同盟の前線基地として自国を差し出せば、それ即ち自国を戦場の候補にすると言うことなのですが……

 そして日本とウクライナの最大の共通点は「隣国との対立が政権支持に繋がる」状態にあることです。ソヴィエト連邦における第二の大国として重工業の中心であったウクライナも、アメリカに次ぐ世界第二位の経済力を誇り時価総額世界一の企業や世界一の半導体企業を擁した超大国日本も、90年代からは衰退の一途が続き、その国際的地位を大きく低下させてきました。当然ながら国民からの不満は高まるものですが──その非難の矛先を自国の政策ではなく隣国に向けることで、為政者達が延命を図ってきたのが日本でありウクライナであるわけです。

 あのゼレンスキーでさえも大統領候補であった頃は、内戦状態にある東部地域との融和を唱えていました。しかし大統領就任後は何一つ有効な手を打つことが出来ず、ひたすらロシアに対する憎悪を煽ることで国民の歓心を買うことに終始してきたのが現実です。高市首相も就任からまだ日は浅いですが日本の衰退を止める何らかの手立てを打ち出すことが出来ているとはいがたく、ただ中国に対する挑発的な発言によって国内の喝采を浴びているのみでしかありません。少なくともウクライナが自国を守るために必要だったのは軍拡よりも別のことであったろうと私は確信していますし、それは日本においても同様のはずです。

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 ちなみに台湾及びウクライナに関する日本の報道では「反中/反ロ=親欧米派」の声しか取り上げていないことも、もう少し問題視されるべきものと思います。報道を信じる限り、台湾人は誰もが中国からの独立を望んでいる、ウクライナ人は誰もがロシアとの戦いを望んでいるようです。しかし台湾の独立派政党が選挙で負けることは珍しくありませんし、ウクライナでも反ロシア派の権力掌握は選挙ではなく暴力革命によって実現されました。台湾にも中国との友好を望む人はいますし、ウクライナにはロシアの介入を要請してきた人もいます。反中にあらざれば台湾人にあらず、反ロにあらざればウクライナ人にあらず、そんな日本のメディアの報道姿勢は偏狭かつ傲慢なものでしかないでしょう。

 日本は騒音問題に寛容な社会と言いますか、騒音を「出す」側にはお咎めなしというのが一般的です。その対価として静かな環境を望む人は異常者扱いされてしまうわけで、ちょっと極端に過ぎる気がしないでもありません。ここで「(隣人の)騒音が気になるなら戸建てに住むべき」みたいなことを宣う人もいるのですが、どうなのでしょうね。私は隣の戸建てに住む子供達の名前を知っていますが、隣の一家とは全く付き合いがありません。ただ、隣の家の声が普通に聞こえるので自然と名前を覚えているだけです。

 隣の家の子供が足を踏み鳴らす振動は普通に伝わりますし、隣の家の目覚まし時計の音も普通に聞こえます。「戸建てなら(自分の家から発する)騒音に気を遣わなくて良い」という社会的コンセンサスが成り立っているのは確かなのでしょうけれど、それはあくまで騒音を「出す」側だけの話です。騒音を浴びせられる側にとっては、戸建てであるかどうかは余り意味がなさそうな気がします。そもそも悪意があれば窓から窓へと侵入できそうなくらいに密集して建てられるのが当たり前の社会で、わざわざ軒を隔てることの意味はあるのかどうか、この辺も疑問に思うところです。

 

大分・佐賀関火災、空き家の多さも被害拡大の要因 乾燥と強風、延焼止まらず(西日本新聞)

 18日に発生した大分市佐賀関の大規模火災は、木造家屋が密集する地域の特性に加え、乾燥や強風といった悪条件も重なり、住宅など170棟以上、約4万9千平方メートルの広範囲を焼損させた。空き家が多いことも被害拡大の要因となっており、同じ問題点を抱える地域は多い。識者は「今後、日本各地で同じような大規模火災が頻発する可能性がある」と警鐘を鳴らす。

 

 先日は大分県で大火が発生し、甚大な被害を招いています。ここまで延焼した原因としては折からの強風の他、「木造家屋が密集」かつ「空き家が多い」ことも挙げられているわけです。私が住んでいる地域は万年転入超過ですので空き家は少ないですが、木造家屋の密集ぶりは十分に火災拡大の条件を満たしていそうな気がしますし、同様の地域は他でも多いことでしょう。むしろ古い一軒家や店舗が取り壊された土地を細かく分割して間違い探しみたいなデザインの建売住宅が3軒、4軒と密集して建てられるのが私の住む街なのですが、防災対策の面では日々後退している印象がないでもありません。

 住宅価格が暴騰する中でも子育て世代の夫婦が取得できる範囲となると、それこそ極限まで隣家との距離を詰めた安普請の木造家屋ぐらいしか選択肢がない、そこに需要も生まれるのでしょう。ただ無秩序に木造家屋を密集させるのは都市計画としてどうなのか、もうちょっと国や自治体主導でコンクリートの集合住宅を作っていくべきなのではないかと疑問に思うところもあります。地平線の彼方まで密接した木造家屋が建ち並ぶ、そんな街も首都圏の郊外で転入超過が続くのであれば維持は可能なのかも知れませんが、しかし転出超過に落ち込んだ地方では将来的な空き家が大量に生まれるだけです。

 都市近郊の不動産価格の上昇が止まらない一方で、地方では買い手など付かず処分も出来ずに放置される「負動産」と化した空き家が大きな問題となっています。大きな災害がある度に「この土地に住み続けたい」という声が伝えられるものですけれど、それは地域から脱出しそびれた人の声でしかありません。本当にその土地が望ましい居住区であるかどうかは、転入/転出状況を見て判断されるべきでしょう。若者が皆、出て行ってしまうような転出超過が続いている地域をそのまま継続させるのはどうなのか、日本社会全体が縮小に向かう中では生存戦略として計画的な都市部への集約も必要になるはずです。

 災害が起こってから復興費用を惜しんで地域を切り捨てるのでもなく、地域に残された人のノスタルジーに同情してみせるのでもなく、むしろ平時から公費を投じて人間の住む場所を整理していかねばならない、そんな時代は既に訪れています。人口減少の時代において、若い人がどんどん転出していくような地域を残したところで待っているのは空き家の大量発生でしかありません。しかし都市部の不動産を取得できるような資産を持つ人は決して多くない、だからこそ行政が住宅を作り公的予算を投じて人を都市に移動させる、そんな積極的な取り組みがなければ、ただ座して衰退を待つだけであると私は思います。

高市首相、スパイ防止法に意欲「外国勢力から日本守る」 参政に答弁(朝日新聞)

 高市早苗首相は13日の参院予算委員会で、自民党総裁選で掲げたスパイ防止法について「外国勢力から日本を守っていく対応を検討していきたい」と述べ、制定に意欲を示した。外国の代理人が日本国内で行うロビー活動を登録する制度も検討する考えを示唆した。

 

 報道の記載からすると、「スパイ防止法」と「外国の代理人が日本国内で行うロビー活動を登録する制度」はそれぞれ別枠で検討されているのでしょうか。いずれにせよ前者も後者も運用次第、そもそも既存の法律でも「本来の」目的についてはカバーされている気はします。そこを敢えて新たな法制度として導入しようとするのは、支持層に対するアピールであると同時に現行法では「権力側に制限が課されている」部分を飛び越えた運用が企図されているから、かも知れません。

 高市が検討するという「外国の代理人」の登録制度については諸々の国でも定められており、決して珍しいものではありません。勿論アメリカには古くから存在する制度ですし、2024年にはカナダでも同様の法律が可決されています。ただ、これを報道した日本語メディアはロシア国営のスプートニクと法輪功の大紀元エポックタイムズくらいで、日本国内の大手メディアから取り上げられることは皆無でした。

西側がそれでグルジアを批判した「外国の代理人」法案をカナダが可決(スプートニク)

カナダ政府、「外国干渉対策法」可決 外国代理人登記制度を設立(大紀元エポックタイムズ)

 しかしながら同年には州じゃない方のジョージア(以下、グルジアと略)でも同様の法案が可決しており、これについては日本国内の大手メディアが盛んに報道していました。曰く、「ロシアの法律」「民主主義の後退」と。たしかにアメリカだけではなくロシアにもまた同様の法律は存在します。しかしアメリカにも同様の法律がより古くから存在している以上、グルジアにおけるそれは「アメリカの法律」と呼ばれても良かったはずですし、逆にカナダでの同法が「ロシアの法律」として大きく語られても良かったはずです。

 2024年の東京都知事選にも出馬した高田誠氏は専ら「桜井誠」という通名で活動し、「在日」外国人の通名使用を長らく批判してきました。氏にとって通名の使用は日本人固有の特権であり、外国人には許されないものだったのだと思われます。そして外国代理人登録もまた然り、アメリカとカナダの場合は報道にも載らないほど当たり前のこととして扱われる一方、ロシアとグルジアの場合は民主主義の後退として大いに懸念される、「外国の代理人」の監視が許される国と、そうでない国に分けて扱われているのでしょう。

 この「同様の法律でも国次第で評価が異なる」点こそがまさに問題で、制度が恣意的に運用される懸念を強く感じさせるところです。制度が真に公正なものであれば、敢えて居住国の利害を侵害するようなことをしなければ恐れるものは何もないのかも知れません。しかし制度が恣意的に運用されるのであれば、それは単に当該国の権力層にとって都合が悪いというだけで排除の対象となるであろうことを強く予見させるものと言えます。

 アメリカにもロシアにも外国代理人の登録制度は存在し、カナダとグルジアでも同様の制度が昨年に可決されました。こうした中で一部の国の制度だけを危険視しておきながら、一部の国の制度は問題ないものとして何ら気にかけてこなかったのが日本という国である以上、それは即ち客観的で公正な基準ではなく「陣営次第」で物事が判断されることを強く示唆するものです。時の権力と同じ陣営に立っていれば許されるけれど、反対側に立てば取り締まりの対象となる、これがスパイ防止法なり外国代理人制度の辿り着く先でしょう。

 香港で反政府運動を率い品性を欠くメディアからは「女神」などと呼ばれた周庭氏も、先般ノーベル平和賞を受賞したマリア・コリーナ・マチャド氏も、いずれもアメリカ政府の資金援助によって政治団体を創設しています。ウクライナの「マイダン革命」にはアメリカの国務次官補が公然と参加していましたし、グルジア政府に対する抗議活動では当たり前のように星条旗が掲げられてきました。我が国でも西側のプロパガンダに徹し事実関係を捻じ曲げる大学教員や韓国のカルト宗教と深い関わりを持つ政治家が跋扈しているわけですが、果たして「外国の代理人」として取り締まられるのはこうした人々なのか、むしろ反対側に立っている人なのか、そこは問われるべきものと思います。