この時期は何かと記念される日が続きますが、その実態への理解はいかほどのものでしょうか。一つは8月15日で「終戦の日」と呼ばれているものですけれど、しかし日本が参戦した戦争は数多ある中で「終戦の日」と呼ばれるものが一つしかないことは問われるべきものと思います。そしてもう一つは8月10日で「野獣の日」、これについては賛否両論あるようですが、巷の盆踊りなんかに比べれば至って慎ましい集いでもあり、それまでのステレオタイプなオカマ像を自然体のゲイ像へと上書きした偉人を讃える日として語り継がれる価値はあるように思います。
参考(2025年の記事)
8月10日:日中友好 野獣先輩 LGBT YJSN
8月15日:日本は今、再びファシズムの側に立っている
そして広島と続いて長崎では原爆投下の日として式典が執り行われました。これも例年通りと言いますか、広島の方はイスラエルを招待しつつもロシアは招かず、平和宣言ではロシアに言及しつつもアメリカへの言及は避けるという代わり映えのないスピーチが繰り返されたわけです。2024年にロシアのザハロワ報道官は、岸田首相(当時)の演説を指して「日本当局の公式見解によれば、これらはアメリカの原爆投下ではなく、単に空から爆弾が降ってきただけ」と語りました。それから2年が経過しても、日本側は何も変わっていないことが分かります。
広島市長や広島出身の岸田元首相、そして現内閣の面々は結局のところ何を望んでいるのでしょうか。アメリカは決して非難しない、イスラエルとも手を握り続ける、その一方でアメリカの傘下に入らない国を安全保障上の脅威である、権威主義であるとレッテルを貼り続けてきた事から推測するに、要は「アメリカと衛星国による核の独占」を目指していると言えそうです。NATO陣営の核は抑止力のために必要なもの、しかしアメリカの意向に従わない国の核保有は世界の平和を脅かす脅威──それが最大公約数的な我が国の「平和」論なのかも知れません。
日本でも核保有論議は盛んですけれど、そもそも核兵器は本当に抑止力になるのでしょうか? もしイランやベネズエラ、キューバが核保有国であったならば、アメリカは侵略を思いとどまったかどうか、そこは仮定の話になるので不確かではあります。一方で両国共に核保有国であるインドとパキスタンは何度となく武力衝突を繰り返しているわけです。イランやイエメンはイスラエルの核兵器を恐れることなく立ち向かっていますし、ウクライナは停戦合意を無視してロシア系住民の虐殺を続けてきた、エストニアやラトビアはウクライナのドローンが自国の上空を通過してロシアを攻撃するのを黙認し続けています。どうにも核兵器が抑止力として機能しているようには見えないのですが……
日本では核保有に前向きな人々も多い一方、彼らが隣国の核兵器を恐れているかというと、全くの逆です。核保有論者は隣国の核兵器を全く恐れず、ひたすらに隣国の脅威を説き、最大の貿易相手国との関係悪化を喜んでいるばかりです。もし本当に核兵器が抑止力になるのならば、日本は近隣の核保有国に対してもう少し慎重な態度を取っていなければおかしいでしょう。それでも自国が核兵器を保有すれば何らかの抑止力に繋がると考えるのは、シンプルに矛盾した話です。結局のところ誰も核兵器など恐れてはいない、ただ憎悪する隣国に負けたくない、ぐらいの気持ちで日本の核保有論議は進んでいるように思われます。日本の核保有は手段ではなく目的、ぐらいに捉えていた方が間違いはなさそうですね。