二回目の新源氏。

六条の御息所は藤壺の形代というところに違和感がある。
そもそも原作には二人のなれそめが描かれてないけど藤壺の形代と解釈するのは難しい。
藤壺の形代としての紫の上、
女三ノ宮が光る君に降嫁したときの紫の上の苦悩が描かれておらず、紫の上、男にとって都合が良すぎる。
自分の犯した罪が自分に降りかかる因果応報
柏木に寝取られるコキュ光源氏
でも、源氏物語は最後に光る君は負けるというところは描けている。
まあ54帖(といいつつ40帖あたりまでだけど)全てを語るにはいい工夫だと思います。
この未消化な部分を解消したのが「夢の浮橋」ではないかと思う。
源氏物語千年紀に上演された「夢の浮橋」、なぜ千年紀なのに宇治十帖なのかという疑問が解消。
大野さん的には師匠である柴田先生の新源氏を否定するわけにはいかないよね。