“児童虐待”の構築―捕獲される家族/上野 加代子

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1980年代以前は日本には
欧米のような児童虐待は存在しないとさえ言われていたのに
1990年代後半から、何故「児童虐待」が社会的問題として
浮かび上がってきたのかを分析しています。

ひとつは児童養護施設側の事情。
児童養護施設はもともと戦災などによる孤児のための施設であったが、
少子化で子どもが減り、新たな対象を必要としていた。
さらに今まで否定していた施設内虐待の存在を認め、
それは人材不足が原因だと主張しはじめた。

この事情は何も児童養護施設だけはなく、
児童福祉の専門家や医療関係者も同様。
児童虐待が増えたのではなく
児童虐待の定義が拡大してきて
今まではしつけや親孝行とされてきたことも
虐待と言われるようになった。
*親孝行=例えば、未成年の新聞配達など

著者は児童虐待は幻想だと言いたいのではない。

日本全体が貧しく
人々は生きることが精一杯で
生理的欲求を満たすために
ある程度の今の文脈で言う虐待的行為は
仕方無かったかもしれない。
しかし、生理的欲求が十分に満たされた現在では
貧しかった昔を基準に虐待ではないと言っても
現在の基準では明らかに虐待だ。
養護施設や専門家の思惑だけで
児童虐待の定義が拡大したものではない。

著者が問題にしているのは、
1990年以前は日本には児童虐待など無い!
と断言していた人たちが突如として
なぜ児童虐待を問題視したのかなんです。
それは子どものためではなく
自分達の利権拡大のためだったと。


さらに児童虐待のリスク・アセスメントと称して
乳児検診などで常に虐待が無いか目を光らせ、
母子家庭、あるいは父子家庭と言うだけで
ハイ・リスクな人々として
専門家の監視下に置かれてしまう。
しかも、専門家にハイ・リスクとされた人
(=まだ虐待をしていない人)も反発するのではなく
自発的に専門家に従うようになってしまう。

たぶんどんな健康的な親でも専門家から
「かっとなって、つい子どもを叩こうとしたことがありますか?」
とか
「子どもが居ない方が良いと思ったことがありますか?」
と聞かれれば、「はい。」と答えるだろう。

私なんかひねくれているので
逆に「いいえ。」と答えた人の方が
ハイ・リスクでないかと思ってしまうのだけど・・・


とても面白い本です。

このような本を読みつつも
今、現に起こっている虐待がある限り
それでも進んでいくしかないのですが・・・


だけれども、
このような指摘もあることを知っていて進めるのと
知らないで、自分が正しいと信じて進めるのでは
違うものね。

でも、ケアする際は自分の治療方法が正しいと
信じて行わなければならないことも確か・・・

著者の別の著書も紹介しておきます。

児童虐待の社会学/上野 加代子

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