「いじめ」考/別役 実

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1995年、11年前に書かれた本なんですが、
現在の状況にそのままあてはまります。

ここでは、いじめを三期に分けています。

第一期(1987年~)
この時代のいじめでの少年事件は
いじめられた側が自殺する場合もありますが、
いじめられる側がいじめる側に報復する
と言う場合もありました。
この時期はいわゆる不良グループ内のいじめで
加害-被害が特定できました。

第二期(1985年~)
学校側の対策が実り?
いじめが陰湿化していきます。
加害-被害の特定がしにくくなり
いじめる側が余りにも多いので、
報復することを諦め、
いじめられる側が自分に責任があるのではないかと
考え自殺を選択します。
鹿川君(お葬式ごっこ)事件のように
先生もいじめに加担します。

第三期(1995年~)
鹿川君事件をきっかけに
いじめ撲滅が叫ばれますが、
いじめはますます巧妙化していきます。
その結果、心理的虐待などが増え、
いじめられる側が切れるなどするため、
いじめる側の方がいじめられる側よりも
地域や学校で評判が良いと言うことが起こります。
いじめがあってはならないと言う要請と
いじめる側の方が地域での評判が良いことなどが重なり、
いじめによる致死事件については事故死、
自殺についてはいじめが直接の原因で無いと言う
判決が続発します。
そのため、親は訴訟を起こすことすら諦めます。

このようにみていくと、
10年ごとにいじめの構造が変化してきており、
ここ最近のいじめは第三期が終わり、
学校も地域も共犯で巧妙に隠されていたいじめが
ふたたび顕在化しただけと言えます。

そして、政府が取ろうとしている対応は
未だにいじめのイメージは第一期のままで
第二期の時と同じで「いじめを無くそう!」と
厳罰主義で臨もうとしているようです。

さて、いじめの対策ですが、
競争社会を否定するのではなく、
理数系を中心にした学力だけの一元的な競争ではなく
多元的な競争社会を目指すべきでしょう。
そのためには、同じ年度に生まれた子どもを
一斉に進学・進級させるのではなく、
体育や芸術を含めた学科毎に個々の能力と習熟度、
心身の発達状況、そして興味に
あわせた選択をできるようにすることだと考えます。
個々での評価は明確にしつつも
総合的な評価をする場合、
考え方によって様々な評価ができるような
仕組みが必要だと思います。
それでもなお、すべてについてできる子ども、
できない子どもが出る可能性があるので
そんなに簡単ではないですが・・・


今は表向き競争を否定して
運動会での順位づけを止めるとか
そこまでいかなくても、
同じ能力の子ども同士で徒競走をさせるとか、
学芸会で25人の子ども全員が桃太郎で、
鬼は先生などと言いながら、
しっかりと理数系を中心とした学力のみで
評価している欺瞞は止めるべきでしょう。

同じ能力の子ども同士で徒競走をさせる方が
圧倒的に力の差がある子どもと競争するより
子どもにとっては辛いのではないかと思います。
確かに観ている方は楽しいでしょうが・・・

やはり一生懸命頑張っても出来ないこともある
ことを理解させたうえで、子どもの潜在能力が
発揮できる機会を見つけることでしょう。