●First Blueの趣旨:
次世代を担う「子ども」や「青少年」の支援がテーマ。
企業と共に、NPOや生活者のサポートも得ながら、
「ワクワクする・かっこいい社会貢献」を実現します。
具体的には企業が、First Blue色(トルコ石色)の商品の
販売、First Blue色に絡めた各種サービスを展開し、
事業の収益の一部をNPOへ寄付するのをお手伝いします。
また、ソーシャル・イベントや出版などを通じて
貧困や地球環境の問題を一緒に考えていくことを目指します。


個人的に好きになれないんですね、 こういうの。
向いている方向が違うんではないかと思う。
良く「ワクワクする・かっこいい社会貢献」でないと
支援の輪が広がらないとはいうけれど本当かな?
誠実にきっちりと伝えていけば、
派手な動きはないかも しれないけど、
援助と言う関係ではなく、
共生的な互いに尊重しあう関係が築けると思うけど・・・
そして、その方が一時的な流行ではなく
継続的な援助に繋がっていくと思う。

これだと援助を必要とする人々が見せ物にされ、
いつまでも生きづらい状況を演じ続けることを
強いてしまうような気がする。


そういえば、戦前の日本の児童虐待防止法は
障害を持つ子どもを見せ物にしたり、
あるいはわざと子どもに障害を負わせ、
見せ物にすることを禁じる法律だった。
これも虐待する側の理屈としては
親が豊かになれば、 結果的に子どもも豊かになるという
トリックル・ダウン効果を期待するもの なんですが、
子どもの障害は決して 直そうとはされないんですよね。
だって、そうでないとお金が入らないもの。
だから、法律で禁じられたのだけど・・・


このマーケティングもなんか洗練されただけで
同じように感じてしまう。
企業が儲ければ、時間はかかるかもしれないけど
あなたたちにも幸せが届きますよ。
それまでの間、あなたたちはずっとそのままの生きづらい
状況でいてくださいねと言っているような気がする。

それでも、やらないよりはやった方がましと言う意見があるわけで、
確かに絶対的な所得なり 自由は増えるとは思うけど、
そもそも貧困や自由は相対的なものでもあるわけで、
幾らあなたたちは 昔に比べて良くなったでしょと言われても
そういうセレブな方々がより豊かになっているのであれば
格差は広がっていることになり、
相対的な生きづらさは増してしまうのではないかと思う。

日本に導入しようとしている方は元広告代理店の方なんですよね。
何人か代理店の方を知っているけど
この人達、生きづらい状況の人々をなんとかしたいというより
自分がプロデュースしたキャンペーンが話題になることが目的で、
これが成功(この成功の定義も違うんですが)すれば、
次はセカンド・イエローみたいな感じなんですね。

それが彼/彼女らの仕事なので、構わないのですが、
気をつけてつきあわないといけないよなぁと思う。

とは言え、私も仕事柄、おそらく同じような
提案を企業にしていくのだろうし、
仕事として話があれば、「良いですね。」
なんて言ってすり寄ってしまうのですが・・・
でも、時間が経つと隠していた本性が現れ、
微妙に温度差がでてきて
「わたしたち、そんな真剣に考えていませんから。
楽しければ良いんです。」なんて言われ、
いつのまにかはずされてしまうのですが・・・