「いじめ」を防止するために様々な対策が提案されたり、
検討されたり、実施されている。

1.<いじめ>精神論
いじめる方も、いじめられる方も根性が無いからだ。
だから、精神を鍛えなければならない。
そのために武道だ!、しつけだ!、ボランティア教育だ!
と言う考え方だ。

2.地域コミュニティ論
いじめに遭ったとき、
信頼できる大人に相談できるよう
普段から、お祭りなどの活動を通じて
地域コミュニティとの結びつきを
強めておく必要がある。
だから、地域社会に開かれた学校が
必要だと言う考え方がある。

3.いじめ厳罰/不寛容論
いじめをするような子どもは如何なる理由であれ悪い。
だから、いじめた子どもは厳罰に処さなければならない。
また少しでもいじめの兆候を見た場合、
徹底的につぶさなければならないと言う考え方だ。

これらはいずれも勝ち組とされる人々の意見である。
当然ながら、今、体制派にいる人々は勝ち組だ。
そして、程度の差こそあれ、このような考えを持つ方々は
なぜかいずれも自分もいじめられた経験を持ち、
そこから立ち上がったのだというナラティヴを共有する。


4.いじめの早期発見・介入システム
人間社会であれば、どこでもいじめは存在する。
いじめは根絶できない。
だから、いじめられることもありうるという前提のもとで
いじめの早期発見・介入システムを作らなければならない
と言う考え方だ。

5.社会システム改革論
いじめは子どもだけの世界ではない。
大人の世界でもいじめがあるし、
虐待は家庭内いじめだ。
いじめを生み出すのは競争至上主義が悪い。
だから、競争の無い社会を作らなければならないと言う
考え方もある。

6.教育システム改革論
今の学校は工業化社会に適応した人材を
供給するためのシステムとしては有効だけど
知識社会には無効どころか害悪をもたらすシステムだ。
だから、新しい時代に適応した新たな教育システムが
必要だと言う考え方もある。

4と5は援助する立場の人に多いような気がする。
援助経験のある人は加害者側に共感する傾向が強い。
負け組に配慮した考え方だと言える。


1、3、5は「いじめ」が根絶できるとまでは
思っていないだろうけど
限りなくゼロに近づけることができると考えているようだ。
2と4は「いじめ」は無くすことはできないけれど
自殺や殺人に至るような「いじめ」は無くすことができると
考えているように思われる。

1は論外と思っていたのだけど、
意外に高い支持があるの驚きだ。
経験的に武道をしていてもいじめる奴はいると思う
と言うのはともかくとして、これはひとつの世代を
その上の世代が合法的にいじめることになるので、
同世代間での「いじめ」が激減することは間違いないけど
いじめの構造を変えただけで、
「いじめ」対策にはなっていないと思う。

2は過去のいじめ事件では、地域コミュニティ全体が
加害者側に加担した事例もある。
いわゆる差別問題で、
これもいじめの構造を変えただけに過ぎない。
「村八分」がそれにあたる。

3と4は「いじめる側」か「いじめられる側」かの違いで
いじめを早期に発見することには違いない。
見つけてどちらに対応するかの違いだけだ。
これは相当気をつけないと
ヒトラー・ユーゲントや秘密警察のようになると
以前指摘した。
場合によっては、人権を侵害する危険性もある。
勝手の精神障害者が受けてきたと同じような差別を
生み出す可能性がある。

5と6はとても魅力的だけど、
いまそこにある「いじめ」には無力だ。
それに競争至上主義は是正しなければならないけれど
競争そのものまで否定することはない。

現実的には6を目指しつつ、
3と4の適切な運用だろうと思うけど
なかなか難しい。


特に6は今の権力者の大半が
工業化社会に適応した教育で勝ち組になった人なので、
自分の成功経験にこだわり、
そのような発想ができないだろうし・・・
新しい世代の成功者も(亀田某のように)
「俺もいじめられたけど、ここまで成功した。」
みたいな感じで、基本的には
「いじめられる側」が悪いと思っているので、
難しいかな?

でも、6の教育システムを検討していかなければ
ならないと思う。

【参考となるブログ記事】
消えてしまった子どもたちと、今を生きる子どもたちへ