「いじめによる自殺」問題を語るのはとても難しい。
そのため、この件に関して私は沈黙していた。
否、沈黙せざるを得なかった。
しかし、昨日から沈黙を破り、
次の二つの記事を書いた。

いじめによる自殺問題に思うこと
いじめによる自殺問題に思うこと、再び

実はこの二つの記事でもまだ言及していないことがある。
それは「いじめ」の相談を受けた先生の対応だ。

いじめを受けている子どもから、相談を受けた先生は
「お前が悪いんじゃないのか?」
「気のせいだ。」

あるいは「それぐらい我慢しろ。」
と言うそうだ。

ほとんどの子どもはなるべくなら、
先生や両親ににいじめられていることなど話したくないだろう。

確かに同じ行為でもいじめと感じない子どももいるだろう。
しかし、例え99人の子どもがいじめと思わないとしても
1人がいじめだと感じれば、
その子どもにとってははいじめであることに違いない。

加害者が本当にいじめている気はなく、
被害者が喜んで遊んでいると本当に信じていたとしても
その子がいじめだと感じていれば、それはいじめだ。

また全くいじめの事実がないのにも係わらず、
先生にいじめを受けていると言う子どもも
何らかの問題を抱えている子どもには違いない。

これぐらい常に多くの子どもと接している先生であれば、
少し考えれば理解できると思うのだけど、
なぜ先生たちはいじめの存在を認めず、
二次被害を与えてしまうのだろうか?
それが私にはわからない。

そうか!
いじめるような子どもではなく、
いじめられて自殺するような子どもを
教育した学校の指導が悪いとなり、
だから、学校もいじめの存在を認めたくないのだろうか?


そうすると本音はいじめられるのはいじめられるほうが悪いと
思っていると考えざるを得ない。
某都知事あたりは、それぐらいで自殺するような弱い子どもは要らないと
考えているのだろうし。。。

いじめの原因が高機能自閉症やアスペルガー症候群などの
広汎性発達障害が原因であったとしても
そのような障害を持って産まれたことを持って
自己責任と言うのだろうか?
これでは優生思想だ。

虐待が原因でいじめられたとしても
保護者から虐待を受けるぐらいだか
いじめられて当然と言うことなのだろうか?
でも、たぶん虐待はしつけ、あるいは愛情からの暴力と
読み替えられるのだろう・・・


だから、保守派の人々は、いじめ対策で
生きづらさを感じている子どもを援助するような
いじめられる子どもを出さない人権教育よりも
愛国心だとか道徳を教え、
いじめられない子ども、
いじめられてもやり返す子どもを育てようとしているのだろうか?
これでは戦前の軍国教育と同じだ。

気をつけなければならないのは
両方ともいじめられる子どもを助ける
と言う同じフレーズを使えること。
だから、同床異夢だったとは気づかず、
軍国教育の復活に加担してしまう恐れがある。

このように考えれば、
いじめを受けている子どもから、相談を受けた先生は
「お前が悪いんじゃないのか?」
「気のせいだ。」

あるいは「それぐらい我慢しろ。」
と言うことが理解できる。

阻止しないとね。

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