昨日、なかなか難しい問題なので今まで触れないでいた
「いじめと自殺」について、沈黙を破り、
いじめによる自殺問題に思うこと」を書いた。

そして、また大阪や埼玉県本庄市で中学生の自殺がおきた。

最近のマスコミの論調では、「自殺=いじめ」と言う短絡的発想があり、
その発想に従い、記者会見では「いじめ」があったかどうかが焦点となり、
両校ともあっさりと「いじめ」があったことを認めた。

そして、自殺の背後に「いじめ」があった場合、
それが主原因であったかどうか、
あるいは他の問題があったかどうかが議論の的となる。

「いじめ」が主原因である場合、
世間の報道では、まずなぜいじめを防止できなかったかと学校が責められ、
未成年と言う配慮もあるため、加害者はイエロージャーナリズムで責められる。
単純に加害-被害の二項対立で処理される。
実際の教育現場では、そんな短絡的な対応はしていないと思うけど
しかし、そもそも「いじめ」は単独では存在せず、複合的な問題ではないのかと思う。

ここで表現にかなり配慮しないと誤解を招く可能性があるのだけど、
自殺した側にも何らかの問題があった可能性もある。
これはいじめられる側も悪い、あるいは弱いということではない。

例えば、比較的社会に適応した高機能自閉症やアスペルガー症候群の場合、
次の当事者の手記を読む限りだけど
「自閉っ子、こういう風にできてます!」
「私の障害、私の個性。」
「自閉症だったわたしへ」
自分がいじめられるのは、自分がこの世で割り当てられた役割であり、
いじめられることについて特に悩むということはないそうだ。
だから、積極的にいじめられる役割を演じてしまう。
さらに彼/彼女は一番最初に聞いた人の話を信じる傾向がある。
だから、「死んでもすぐに生き返る」、
「いじめられたら、自殺しなければならない。」
など言った本人は冗談半分で、
中学生になってこんなことを信じるはずなんてないと思っていても、
彼/彼女らは簡単に信じてしまう。
そして、言った本人が訂正しない限り、騙されたとは思わない。

話を聞く限り、なんでその程度で自殺と思われる事例があるけれど
高機能自閉症やアスペルガー症候群の子ども
であった可能性もあるのではないかと思う。

ただ誤解しないでほしいのは、
高機能自閉症やアスペルガー症候群の子どもが
すべて自分はいじめられる役割なんだと信じ、
また「「いじめられたら、自殺」がルールなんだ。」
と考えているわけではない。
最初にいじめる人がいて、その事実によって
いじめられるのは自分に定められた役割なんだと信じてしまうのだ。
そして、当然、その逆、すなわち私の役割はいじめること、もありうる。

だから、先生は大変かもしれないけれど、
高機能自閉症やアスペルガー症候群の知識も必要だと思うし、
この知識は先生だけでなく、全ての人が知っておく必要があり、
それこそ必修科目として学習すべき内容だと思う。

一方で、いじめの原因として
服がいつも一緒、
臭い、汚い
と言う理由がある。
これは経済的な理由かもしれないけど
虐待を受けている可能性もある。
実は経済的に貧困な家庭は虐待リスクも高い。
そして、虐待を受けている子どもは自尊感情が
とても低く、残念ながら、家でも「お前なんか死ねば良い。」
と言われている可能性が極めて高い。
身体的虐待はまだしも心理的虐待、特に
奈良の放火事件のような心理的虐待がベースにあった場合、
それは見えないことになる。
そして、児童虐待といじめが結びつき、
自殺に至る・・・


この記事で私は自殺の原因がいじめではないと言いたいのではない。
いじめが自殺の原因のひとつであることはたぶん間違いないと思う。
けれども、「自殺=いじめ」と言う短絡的な発想で、
加害-被害と言う二項対立で問題を片づけるのではなく、
その背後に潜む様々な問題にも配慮しないと
いじめを告発する活動が、子どもたちの自由や人権を奪い、
魔女狩りのようになってしまう可能性があるのではないかと
思う。
ヒトラー・ユーゲントのように。

そして、今、一部の保守派の政治家が
推進しようとしている多くの人が望んでもいない
右傾化に結果的に荷担することになる・・・