自閉症だったわたしへ/ドナ ウィリアムズ

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知的遅滞や統合失調症とされた自閉症の女性の手記です。

文章は決して読みやすいものではありませんが、
自分が自閉症だと自覚してからの文章はとても
読みやすくなっています。

自閉症の場合、
定型発達の子どもに対するような接触の仕方は
逆にマイナスになってしまうことが良く理解できます。

基本的には物を媒介としてなら
コミュニケーションに問題がないので、
このような文章や手紙、ビデオなどでは
適切なコミュニケーションが図れるようです。
電話でさえ、顔や表情が見えず、言葉だけなので、
言い方が抑揚がない、ゆっくりとした同じペースなら
問題なくコミュニケーションができるようですね。

このことが周りに理解されず、
様々な虐待や暴力を受けます。
その対処の仕方が、
違う人格を作ると言う解離性人格障害と同じであったため、
統合失調症や虐待のPTSDのように診断されたりします。

ただ解離性人格障害などは
自分の他の人格の存在を知りませんが、
ドナは自覚的に人格を使い分けていたと言う点で
ある意味、素晴らしい適応能力をもっていたと言えます。


このような自己分析のきっちりとできた本を書いたことによって、
彼女は本当は自閉症ではないのではとの批判もでたそうですが、
この本は人とのコミュニケーションの成果ではなく、
タイプライターという物とのコミュニケーションの成果であり
この本をきっちりと読んでいないことからの誤解のようです。

ドナは自分が自閉症であることを自覚してから、
専門施設で自閉症児のケアを経験しますが、
そこの専門家の対応にびっくりさせられます。
まったくもって自閉症のことを理解していない!

自分たちの世界が絶対的として
自閉症の子どもたちもそれに従うように強要し、
聞かないなら、暴力か監禁するかなんですね。
そのため、援助が逆に二次被害をもたらしています。

まず自閉症の人は、
感じ方が随分と異なっているだけで、
彼ら/彼女らがどのように感じているかを理解し
適切な関わり方さえ身につければ
モンスターでもなんでもないのです。
自閉症の人を異常だと感じるのは、
定常発達者側の傲慢かも知れません。

これは自閉症だけでなくて
異文化理解でも同じような過ちを犯している可能性が
ありますね。