私の障害、私の個性。/杉山 登志郎

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42歳まで自分がアスペルガー症候群だと気づかず、
生き辛さを感じてきた女性の自伝です。


タイトルは「私の障害、私の個性。」となっていますが、
この本を読んで、少なくとも高機能自閉症やアスペルガー症候群は
障害と呼ぶのは健常発達者の傲慢かも知れない
と思いました。

そもそも健常発達って単なる平均値に過ぎなくて、
その平均を測定する指標も恣意的なもの・・・というより、
先に健常とされた発達の形があり、
それにあわせて取り出された指標だし、
そもそも一番最初の健常発達とされた集団の
正当性なり、妥当性は疑わしくなります。

自閉の人は曖昧さを許容できないので、
ひとつひとつを厳密に定義しなければならないのです。
阿吽の呼吸とか相手の気持ちを察するとかは難しいので、
それはそれで結構面倒な世界なのですが、
ただ定義さえ共有していれば
策略を巡らしたり、誤解など起こる可能性はほとんどなく、
彼らの間では争いが起こることは無さそうです。
ただ変化を極度に恐れるので、
変化の多い環境では非常に生き辛そうですが・・・
変化の少ない環境-言い方は悪いけど不寛容の世の中-では
健常発達の人より自閉の人の方が生き易そうです。
今は自閉症スペクトラルの人は
人口の1%程度といわれており、
まだまだマイノリティだけど
人類は変化の少ない社会を目指していると言え、
いずれはマジョリティになる可能性も否定できないですね。


彼らは一度に複数のことを処理できないし、
何事もマニュアルどおり正確にやらないとパニックになりますが、
ひとつのことに専念すれば、凄い能力を発揮できると思います。

自閉の人がたまに奇声をあげることもありますが、
彼らは音などの情報をスクリーニングできず、
あたかも騒音測定器のように均等に音を拾うために
自ら声を出すことによって音を聞こえなくしているそうです。
だから、奇声をあげた場合はただ音を遮断してあげれば良く
決して知的障害ではないのです。
何もしていないでいる無防備な時は感覚過敏ですが、
あるひとつの事に集中している時は、
他の刺激などを感じる余力はないようです。

自閉症は脳の障害であるとされ、
確かに脳の障害である高次脳機能障害や認知症に
症状は似ているところがありそうだけど
CTスキャンなどで明らかな脳の器質的障害は認められないそうです。
最も高次脳機能障害も脳の器質的障害は認められないか
認められたとしても非常に軽微であり、
脳外傷や脳梗塞などの履歴が判断の基準となっているので、
高機能自閉症やアスペルガーの人も何らかの脳の器質的障害に起因する
感覚障害であることは考えても良さそうだとは思いますが、
でも、明らかな脳の器質的障害が認められないと言うことは
障害であるとも言い切れず、多様性のひとつではないかと
思います。

この本を読んで、
あの人はたぶん高機能やアスペルガー症候群なのではないかと思う人が
幾人か浮かんできました。
これからは、彼らに配慮した対応を心がけようと思いました。
彼ら固有の世界-これはひとり一人微妙に違いますが-を
理解すれば、極めてつきあいやすい人々なんだなぁと思いました。
無理に根拠の曖昧な健常と言われている人に近づけることは
ないのではないかと思います。
ただ残念ながら、精神遅滞などを併発している重度自閉症の場合は
この限りではないと言わざるを得ないのですが・・・


その一方で、
「やはりあいつはアスペだったんだよ。
だから、俺があいつを避けるのも当然なんだ。」
と思ってしまう部分もあり、
逆にアスペとラベリングすることにより、
いじめを正当化してしまう面もありますね。


これはどういうことなんでしょう?

自分が好かれたい相手がアスペルガー症候群の場合、
それを理解して、お互いに分かり合いたいと感じますが、
自分が嫌いな相手はアスペを根拠に
嫌いなことを相手の所為にしてしまう・・・

ラベリングの功罪ですね・・・