痴呆を生きるということ/小澤 勲

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いわゆる認知症の人が行う行動は
彼/彼女にとっては極めて合理的なんですね。
彼/彼女の今までの人生、価値観が凝縮されているんです。
私たちが彼/彼女の行動が奇異に映るのは
わからないのは、歴史を共有していないから。


まず即時記憶が消え、そして短期記憶、長期記憶が
消えるという、言わば闇が脳を支配していく。
それを受容するプロセスで徘徊など認知症特有の症状が
それぞれの過去を反映したかたちで現れるのですね。

そして、驚いたことに喜怒哀楽などの感情の記憶は
いつまでも残る
そうです。
だから、親しい人の名前や間柄、二人の共通の経験などは忘れても
やさしくしてくれた人だとか、いじめられた人だとかと言う
記憶は例え認知症になった後に知り合った人であろうが、
覚えているそうです。
でも、残念ながら、その人の名前などは覚えることはないようですが・・・

それぞれでその人なりの合理的な行動をとっているというところは
高次脳機能障害の人や広汎性発達障害の人たちと似ていますね。
そして、合理的な行動であるかどうかはその人の過去を
知らないと第三者にはわからないところも。

違いは、認知症の人が中高年を過ぎてから脳の障害を起こすので、
かなりのデータベースを持っていること。
そして、その進行を遅くしたり、わずかでも良くすることは出来るけど
基本的には悪くなっていくこと、

高次脳機能障害の人は、交通事故や脳梗塞などで脳の障害を起こすため、
障害を起こした年齢によって、データベースの容量に差があること。
そして、基本的には適切なリハビリによって良くなること。

広汎性発達障害の人は、先天的なものなので、データベースがないこと。
だから、意識して履歴を蓄積していかなければならないところ。

いずれにしても過去の履歴を知らない医師には理解できないですね。
この人たちの専門家は医師ではなく長年よりそってきた人々なんですよ。