シーラという子

¥724
株式会社 ビーケーワン

偶然、書店でトリイ・ヘイデン文庫と言うシリーズを見つけ、
「シーラという子」を購入し、読みました。

さて、虐待を受けた子どもが世間では
逸脱的な行動をしてしまうというのは
彼ら/彼女らが生きてきた環境では、
とても合理的な行動なんですね。
だから、彼ら/彼女らは異常ではなくて正常なんです。
すごく適応するためには、このシーラのように
ずば抜けたIQを持っていたり、
あるいは逆に他の子ども達のように知恵として
精神遅滞/知能障害によって回避していくのでしょう。
最も虐待が原因で障害を持ってしまうことも多いのだけど・・・
この認識からケアをはじめないといけないのだろうな。
難しいことだけど・・・

さて、トリイさんは専門家としての掟を破り、
シーラにコミットしていき、シーラは信じられないほど
短期間で普通の社会に適応していきます。
でも、トリイにとっては少し入り込みすぎたとは言え、
仕事であり、そして彼女の人生があり、
シーラと別れなければなりません。
従来は、別れることが宿命だからこそ、
あるいは最後はシーラ本人の力で再生して
いかなければならないのだから、
コミットすしぎてはいけないとされていたのだけど・・・
でも、誰かがどこかのタイミングでトリイのような関わり方
をしないとシーラは決して再生しないことも事実・・・
難しいことですね。

確かにトリイの後任にもシーラは
トリイと同じような対応を求め、
それが後任の負担になるのでしょうけど、
だからと言って最小限の対応で良いとしてしまえば、
シーラは益々悪化することはあっても
良くなることはないでしょう。
本来はすべてのケアワーカーに最大限の対応を
求めるべきなんでしょうけど・・・それも難しい。

とすれば、シーラの場合、お父さんのケアを
シーラと同じほど行う必要があって、
お父さんがトリイの役割を担うべきなんでしょうね。
この物語りで、一番不幸なのはお父さんなんだし・・・
でも、このお父さんの再生が一番難しい・・・

あきらめつつ、あきらめない。
信じつつ、信じない。
この微妙なバランスが必要なんです。
これもまた大変難しいことですが・・・