ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
ロレンツォのオイル 命の詩

当時、発見されたばかりのALDと言う
不治の病に罹った子どもを救うため、
医療については全くの素人であった夫妻が
治療法を発見(開発)する実話に基づく話です。
夫妻は図書館なので、分野横断的に資料を調べ、
有効な治療法を検討していきます。

医師などの専門家は厳密性を求めるため、
治療方法が確立していない段階においては
患者を救うべき対象としては捉えず、
あくまでも治療方法を開発、そして検証するための
道具として扱います。
いずれにしろ当時、死が避けられない病気であり、
明らかに死を早めることが確実な実験以外は何をしようが
倫理的に非難されることはないと思うのですが、
医学の世界では、例え民間医療(東洋医療)で日常的に
使われている菜種油であっても、
まずは動物実験での安全性検証の手続きが必要なのですね。
客観的には医師を責めることはできないように思いますが、
これがいわゆる科学の限界かもしれません。

ADLは母系の遺伝で発症するということが
ことさら、この母親の情熱をかきたてたようです。
両親ともエリートであることから、つい最近読んだ
「自閉症児エリーの記録」を思い出しました。



クララ パーク, Clara Claiborne Park, 松岡 淑子
自閉症児エリーの記録


カナーが自閉症を発見した頃の話です。
この当時、自閉症はエリート家族の冷たい親子関係が
原因だとされていましたが、自閉症児を持つエリートの
母親が愛情と言うより自分のため?に
きっちりと子どもを育てていく記録です。
凄い貴重な資料だと思います。
それに如何に専門家が役立たないかも・・・
医師-クライアントという特異な関係、
診察室と言う非日常の環境で
15分ぐらいで何がわかると言うのでしょうか!?
自閉症児はただでさえ、環境の変化に弱いのに・・・

両方の事例を見ると、子どもの専門家は医師ではなく、
いつも真剣に その子どもに向き合う人なんですよね。
それがこのように親であるのが一番望ましいのですが・・・

さて、当事者が専門家を超える事例について記しているのが、下記の本です。



小林 伝司
誰が科学技術について考えるのか―コンセンサス会議という実験

ここでは、当事者でない筆者などが医師が作成したインフォームド・コンセントの資料について「こんな専門用語が多くあり、難しい記述は素人にはわからない。」と散々非難したのですが、看護師さん曰く、実際に病に罹っている当事者や子どもが難病に罹っている親御さんなどはこの程度なら、十分理解できる。とても素晴らしい資料だとおっしゃったそうです。
素人が何の疑いも無く、科学者の言説を信じるのではなく、自らの文脈で主観的に理解していくことが大切なように思います。

「ロレンツォのオイル 命の詩」では、家族の会の会長夫妻が上記のような
何の疑いも無く、医学の言説を信じる役として否定的に扱われていますが、
夫妻の文脈-二人のお子さんをADLで既に亡くされ、その苦しさをみて
延命治療よりは安楽死を望む-で当てはめて考えると、僕は必ずしも
夫妻を非難できないなぁ・・・
ただ家族の会全員に自分達の価値観をおし付けるのは良くないけどね。

問題が難しすぎて、中途半端になってしまいましたm(_ _ )m