20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
マイ・レフトフット

重度の脳性小児麻痺に冒されたアイルランド人画家であり
小説家であるクリスティ・ブラウンの半生を描く実話ドラマ。
タイトルのとおり、左足だけが唯一コントロールができるため、
左足で筆やペンをもち、作品を作りました。

脳性マヒ(CP)はこの病名の症状のために良く誤解されますが、知能は正常です。
しかし、通常のコミュニケーション方法ではコミュニケーションがとれないため、
特別なニーズがあるのにも関らず適切な教育を受ける機会を与えられず
結果的に知能遅滞となっていまいます。

クリスティは母親がこの子の知性に気づき、
また時代的背景もありますが、適切な治療を受けることができ、
才能が開花しました。

このように障害を持つ人々や社会的に排除されている人々は
本人に能力がないのではなく、
能力を発揮できる機会も技術も知識も与えられなかったからなんですが、結果的に能力が発揮できないので、そもそもの能力がないとされ、
ますます社会から排除されていくのです。


でも、気になったのは、クリスティが慈善パーティの席上で
自分には22人の兄弟がいて、今は自分を含めて13人だとスピーチしたこと。
この時代は子どもが死ぬなんて珍しいことではなく、
その中で生存には明らかに不利なCPであるクリスティが生き残ったのだろうか?
子どもが良く亡くなるからこそ、逆にCPであっても望まぬ生として
扱われることはなかったからだろうか?
日本でも昔は障害を持つ子どもは、洟垂れ小僧や座敷童子と呼ばれ、
そのような子どもを育てられる=洟垂れ小僧や座敷童子など異形の子どもが
地域コミュニティは栄えると言い伝えられていることと関係があるのかも?
もっとも地域コミュニティが経済的に恵まれ、精神的にゆとりがあるからこそ、
そのような子どもを地域コミュニティで育てられるのだけど
よそ者からすれば、反対に理解するのでしょうね。