角川エンタテインメント
ウェルカム・トゥ・サラエボ

旧ユーゴスラビア内戦での実話。
セルビア人に虐殺されるイスラム教徒・・・
町はまるで射撃ゲームのように人々が狙撃されている。
そんなサラエボの街で、孤児(と思っていたなんだけど)少女を
一人のジャーナリストが養子として引き取る決意をし、
彼女を命がけでイギリスに脱出させる話です。

その際の主人公の一言

どうしてか良くわからない。
でも、彼女を見てどうしても助けたかったんだ。

確かにどこかのキャンペーンの理屈で言えば、
多くの子どもたちが虐殺されている状況で、たった一人の
少女だけを救っても意味が無いと言う事になるのだろう。
それでは、自分達が救い出すことのできる人数になるまで
子ども達をほっとくのだろうか?
例え一人でも救い出し、そして真実を語ってもらうこと。
そこからより多くの子ども達を助けようとするムーブメントを作り出すこと。
例え効果がないとしても、一人ひとり子供たちを助け出しながら、
同時に大きな世論を作り出していくこと。
と言うか実は一人ひとりの子ども達を助け出す姿がきっちりと伝えられれば
世論なんて勝手に形成されていくものであり、一人ひとりの子供たちを
助け出すことは無意味と、世論形成を優先するのは本末転倒だし、
子供たちを目の前にして、そもそもそのような発想になるのだろうか?
まさしくほっとけない・・・

また、その一人をどう選択するのかと言う問題があり、
やはり一人だけ救い出すのはできないと言うのも愚問。
救い出す基準を決めている間に全員が救える人数に子供たちが
減ってしまう。
全員救出と言う感動的な政治的メッセージの裏には、
全員救出が可能となる人数までほっといたと言うことになる。
その一人は確かに幸運で、偶然の出会いかもしれないし、
助けたいと感じた人の主観かも知れないけど、救い出す理由は
それで十分です。
あとはその主観集合を形成する個人を増やしていけば、
それだけで選定基準が公平になっていくだろうしね。

ウェルカム・トゥ・サラエボ@映画生活