最近、子どもが犠牲になる事件が多発していると言われている。
実は統計上は増えてはおらず、寧ろ減っているのだけど、
今までは地方の社会面で扱われていた記事が全国紙の一面で
扱われるようになったので、心理的に増えたように感じるだけなんだけど。
これを受け、キッズケータイなど大手企業が
「子どもの安全・安心」をコンセプトとした商品を売り出している。
でも、企業は「子どもを守りたい」と言う切実な思いではなく
新しいビジネスとして「子どもの安全・安心」を捉えているようだ。


そうなるとビジネスにならない限り、企業は子どもを守らないのかなぁ?
子どもを守ること、社会が安全であることは
「儲かる/儲からない」レベルではなく、メタレベルの問題で
企業が持続的に活動していく上での大前提であるように思うのだけど…

それにこのまま進むといくつかの懸念が・・・

一つ目 コミュニティが益々崩壊する?
安全・安心の問題はコミュニティが崩壊したからだと言われるけれど
このような安全・安心のお金になる部分だけを商品化していくと言うことは
コミュニティの関係性を切り刻んでいくことになるので、
さらにコミュニティを崩壊させる方向に向かうことになるのでは?
そうすると、益々子どもの安全・安心はお金がかかる事になると
思うけど。

二つ目 子どもの力が奪われる?
自分自身の安全・安心が全て企業頼り、機械頼りになると
子どもの生きる力、自力防衛能力が奪われていく
ことになるのではないかな。

三つ目 見かけで人を敵か味方か判断してしまう?
機械に監視を任せると言うことは、ある限られた情報だけで
人を敵か味方かを判断することを意味し、子どもたちも他者を
敵か味方かと言う単純なデジタル思考で判断してしまわないかな?

四つ目 学校や家庭は安全なの?
学校を要塞化すると、学校の中が見えなくなり、学校内で
子どもの人権を侵害するような教育がなされていてもわからなくなるのでは?
またある企業経営者が企業の人材を活用してスクールバスで各家庭の前まで
送迎すると言っていたけど、共働きの家庭などはどうするのかな?
児童虐待やDV、教師によるパワーハラスメントもあるしね。
それに子どもは外で遊べなくなるね。
最もゲーム会社などが儲かるから良いのかも知れない。

五つ目 機械に支配されるのでは?
技術に強度に依存していくと
最終的には映画の「マトリックス」の世界に行き着くのでは?
技術の中に生活を埋め込んでいく方向ではなく、
適切な技術を適切な場所に埋め込んでいくことが必要なのでは?

最後に ファシズムに進むのでは?
各地の町内会などが「守り隊」みたいな名称で自警団を組織していっている。
現時点のようにまだ抑止的な役割レベルだと良いのだけど、
行き過ぎるとナチスの親衛隊や新撰組のようになってしまうよ。
これも映画「V フォー ヴェンデッタ」のように。
それに性犯罪は顔見知りの犯行がほとんどであることを考えると
お揃いの制服を来ている人は安全で安心となり、
子どもが守られていると思っていたのは、性暴力だったりしてしまう可能性が・・・

もう無理なのかもしれないけど、昭和30年代や40年代のように
家の玄関は開いたままで、お母さんたちは井戸端会議をやり、
その横で子ども達が走り回り、顔なじみの新聞配達の人や
郵便局員、さおだけ屋さんやお豆腐屋さんや三河屋さんが
声を掛け合うようなコミュニティの方が、人を疑うこともなく
コストも掛からず、みんなが幸せな気分になるような気がするけど・・・