松竹
クローン

本物の人間かクローンかを調べないなど基本的なところで、
うん?と言うところもあったけど久々に面白い映画だったなぁ。

ところで、不可逆的昏睡を新たな死のカテゴリー、
脳死者と定義する際の議論で
人間の死には生物的死と人格的死があり、
不可逆的昏睡者は人格がないので
死者(脳死者)であるとするロジックがある。

さて、脳死者Aの人に過去の記憶をリセットした他者の脳を移植した場合、
その人はAと言えるのでしょうか?

結論としては、Aと言えないので
不可逆的昏睡の人は死者と見なしてよいというものがある。
この理屈を追求していくと、
胎児も一人の人間として記憶が構成されていないので、
人ではないと見なせることになる。

しかし、胎児には未来が想定されるので、
時の積み重ねによってその人固有の記憶が構成され、
人間になると言えるが、
未来が想定できない無脳症児は人とは言えず
殺しても罪にならないことになる。
これを拡張すると、脳死者や無脳症児を集めて
人体工場を作ることが正当化される。
このような議論がまじめにされているのが、
欧米なんだと言うことを思い出した。

なぜこのようなことをこの映画を見て思い出したかというと、
自分がクローンであることを知らないクローンはパーソン論を
逆にあてはめると人となり、人権があることになるから。
しかも、組成は人間と同じであるとすれば、
第三者に見分ける方法はない。
さらにクローンなりの固有の記憶が構成されているとすれば、
子宮から生まれた人と試験管で生まれた人を区別する根拠
はなくなるのだから。

それから、誤解してはいけないのは、
この映画の場合は文脈が違うけど、
胚レベルからのクローンって
決してオリジナルと一緒にはならないこと。
DNAの配列が一緒なだけで、
生活環境や文化環境、それから履歴が違えば、
双子ぐらいの差はでてきます。