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アイランド(UMD Video)

これは面白い!
脳死臓器移植とクローンの生命倫理的な課題を
考えるには最適かもしれません。

臓器移植において功利主義を徹底的に追求していくと
サバイバル・ロッタリーと言う考え方に行き着きます。

サバイバル・ロッタリーとは、

「すべての人に一種の抽選番号(ロッタリー・ナンバー)を与えておく。
医師が臓器移植をすれば助かる二、三人の瀕死の人をかかえているのに、
適当な臓器が「自然」死によっては入手できない場合には、
医師はいつでもセントラル・コンピューターに適当な臓器移植提供者の供給を
依頼することができる。
するとコンピューターはアト・ランダムに一人の適当な提供者のナンバーを
はじき出し、選ばれた者は他の二人ないし、
それ以上の者の生命を救うべく殺される。」
Harris, John 1975 "Survival Lottery", Philosophy 50 <65>
―――――  1980 "The Survival Lottery", Violence and Responsibility,
 Routledge :66-84
 =1988 新田章訳,「臓器移植の必要性」,加藤・飯田編[1988:167-184]
 <52-54,65>


クローン技術で、臓器移植用の自分のスペアを作っておくと言う発想が
倫理的であるためには、
クローン人間はオリジナルの所有物であること、
クローン人間には人格がないこと
のふたつが最低限の条件になります。
クローンが脳死のように不可逆的昏睡状態で保存されていれば
倫理的に問題はないのですが、この映画では面白いことに
クローンにいわゆる最低限の文化的社会的生活を提供しなければ
臓器移植に適した臓器が手に入らないということです。
すなわちクローンが人格を持っていると言うことになり、
倫理的に問題があります。
クローンは人なのかどうか・・・

それにしても功利主義を徹底しておきながら、
クローンにコミュニティが無い=人格がないと臓器工場にはならない
とは皮肉です。

映画で開放されたクローン達がこれからどのような扱いを
受けるのかが興味深いですが、地味なので映画にはならないかな?

アイランド@映画生活