ピア メロディ, Pia Mellody, 内田 恒久
児童虐待と共依存―自己喪失の病

この本では日本では「しつけ」で済まされるような言動や行為でさえ、
児童虐待とされていました。
読んでいる最中は
おいおい、この程度で児童虐待と定義するなら、
私の家も虐待の総合商社とは行かないまでも、
過疎地の虐待の小売店ぐらいやな。

なんて思いながら、読んでいました。

でも、本の最後に近づくに連れ、やたら
「この本を読んで虐待の過去に気づいた人も多い。」とか
「自分も被害者であることに気づいた人も多いのではないか。」
と言う記述が多くなりました。
そう書いてあると、自分の幼少時代を思い出してみたくなるのが人情。
そうすると、出てくるわ出てくるわ、
「ああ、あれは虐待だったんだ。」と言う事例が幾つも出てきました。
私の時代の「しつけ」はほとんど虐待ですね。

それに虐待=頻度と捉えてもいけないそうです。
たった一度の虐待であっても、
それが子どものトラウマになることもあるそうです。
だから、やはり子どもにたった一度限りであっても
絶対的な権力の差がある親とと言う立場で子どもに暴力をふるうこと、
子どもは無条件に親の言うことを聞かなければならないと思い込むこと
は明らかに過ち
です。

私の場合、両親が亡くなっているので、
過去に本当に虐待経験があったかどうかは今更検証する術もなく、
本を読んで封印されていた記憶が蘇ったのか、
それとも本を読んだことによって記憶が捏造されたのか良くわかりません。

それにこれが実は虐待の連鎖を引き起こす最大の要因なのですが、
両親はおそらく子どもに良かれと思い、暴力を奮っていたので、
「昔、あなたは私を虐待していた。」
と言って今更親を責めても仕方がないなぁとも思います。
でも本当は自分の親から受けた虐待を自分の子どもに
虐待することによって、仕返ししているに過ぎないのですが・・・
面倒なことに被害者も過去の虐待を肯定的に捉えて、
「親の厳しいしつけがあったから、今の私がある。」
なんて言ったりするので、
なかなか完全に虐待を無くすことは難しいだろうなぁ・・・
これが共依存ということなんですが・・・