かつしか風の子クラブさんに久しぶりにお伺いしました。



結構ここの雰囲気、好きなんですよね。
そして、色々とお話を聞きました。
以下は私が脚色して纏めたものです。
太字が私のコメント、現場で実際に話したり、思ったことも含めて書いてます。

なぜかつしか風の子クラブに?

私は学校の実習でここに来たけれど、楽しくって仕方が無くて
無理やり雇ってもらいました。
だから、たまにバス停などで子ども達と一緒に居る時に
「大変だね。」とか「可哀相だね。」って言われたりすると
きょとんとしてしまう。
40歳代のSEの男性は月二回ほどボランティアに来る人がいます。
でも、その男性は子ども達が可哀相だからではなく
子ども達に癒されるためにここにくるみたい。
私達も全員そう。

やはり世間ではとても意識の高い真面目な人しか勤まらないと
思っている人が多いのではないでしょうか?
でも、皆さんを見ていると絶対そうじゃないですよね(笑)
私も前回お邪魔したとき、公園で遊んでいる姿を見ているだけで
癒されました。
最初の出会うきっかけなんでしょうね。
私も仕事でお伺いする必要があったからなんですけど、
そうじゃないと正直な話、やはり障害者などへの誤解もあったりで
自分が楽しいからと気軽に行けないですよね。
そもそも楽しいなんて誰も思っていないですからね。
その楽しさをうまく世間に伝えたいですよね。
なぜ自閉症やダウン症の子ども達と一緒だと癒されるのでしょうか?


彼らはほとんど言葉をうまく話すことができないのです。
だから、行動で表現しているみたいです。
それに彼らは一度に複数のことを考えることが苦手なよう。
だから、わからないことや納得できないことがあれば
わかるまで、あるいは納得できるまでこだわり続ける。

それは大人や他の子ども達のように他の問題と引き換えたり、
打算的に行動したりはしないから、時間はとても緩やかに流れる。
私達も同じ緩やかな時間に身をおくことになるので、
それで癒されるのでしょうね。


また彼らは変化を極端に嫌います。
普段と違う状況に置かれたときにパニックを起こします。
専門家の中には、このパニック障害を起こさないように
構造化を進めるグループもあります。
でも、社会や人は化学反応などとは違っていつも違う反応をします。
だから、常に変化を経験させることも必要かも知れないけど、
この場合、パニックになる可能性は極めて高くなる。
子どもにとってパニックも辛い。
一方、生活の構造化はパニックになる確率は低くなるけど、
パニックになった時はひどくなる。

パニックの回数と強度を掛けると一緒かもしれませんね。

とはいえ、構造化された生活では自立することは難しい。
障害を持つ子どもを持つ親はいつまでも子どもと一緒に居られないですから。

たぶん、常に小さな刺激を与えパターンをつぶし、
そして自己を再構成させること。
そう再構成できる程度の刺激を与え続けることなんでしょうね。


療育を志向する専門家や保護者もいますが、
私達は出来る限り健常者と同じ経験をさせてあげたいと思っています。

療育とは要するに可能な限り健常者に近づこうとすること。
確かに健常者になることが出来れば、それに越したことはない。
でも、残念ながら、その可能性は小さい・・・けれどゼロではない。
わずかかも知れないけれど、健常者には近づくだろうから、
それを完全に否定することはできないですよね。


そもそも風の子は遊びの場であり、学校は学びの場ですから、
目的が違いますので、否定はしていません。

そうですね。
専門家や行政は白黒はっきりさせたがりますけど、
と言うかはっきりさせないと営業も出来ないし、政策も立案できないので、
仕方が無いのですが、現場はいつも揺れ動いています。
そんな簡単に割り切れるものではありません。
こんなこと言っているから、私は会社で相手にされないのですけど(笑)


子ども達といつも接しているけれど、いつも発見の連続。
大人の価値観、健常者の価値観を押しつけていたんだなぁと
感じることも多い。
こんなインプットをすれば、
どんなアウトプットが返ってくるのだろうか?
そう考えると毎日がとても面白い。
まるでゲームのよう。

でも、そう感じられない人は辛いでしょうね。

確かに合わない人もいますね。
役所や企業の担当の方は個人的に支援してくれる人は多いですよ。
でも、現場を知らない上司、特に財務系には通じないらしく
なかなか十分な支援を得ることができない。
彼らは数字でしかみないから。
この楽しいと言うことを数字で表さないといけないのだろうけど
数字で表現しちゃうと楽しくなくなる。
それに現場を知らない人は困っていることが好きみたい。
だから、如何に困っているかを求めてくる。
でも、楽しいのだから、仕方が無い。
確かに辛さだけを他の仕事と比較したら、とても辛いけど
楽しさを比べると断然こっちの方が楽しいので、相殺すると
楽しい方が勝っちゃう!

日常の子ども達の触れ合いをエピソードにして伝えてはどう?
それを楽しいと感じてくれ、ボランティアしたいと思ってくれる人だけを
相手にすれば良いかもしれませんね。
今のお話を伺っていると、不謹慎かも知れないけど、
子どものためではなく、自分が楽しいから、あるいは癒されるから
ボランティアに参加したいと思ってくれる人が多いなら、
ボランティア権を売るみたいな発想もあっていいんではないかと思います。
こうなるとボランティアとは呼ばないで、子ども達と一緒にお客さんを
お迎えすることになるのだけど。