子どもの安全を確保するために良く不審者情報が流されたり、
不審者に気をつけましょうと指導するけれど、
不審者って一体誰なんでしょう?

不審者とは疑わしく思える人と言う意味なんだけど
どのようなところを疑わしく思えるのかは
文脈、あるいは摘発する側に依存しており、
普遍的な、絶対的な定義はありえません。
極端に言えば、何の根拠もなく誰かが
「あの人は怪しい。」と思っただけで
不審者となってしまう
ようなものなんです。

これではいけないと、科学的な方法をと言っても
出来ることはしれていて、今までの犯罪者リストを調べ、
犯罪者に共通する外見や行動を抽出して
似たような外見や行動をしている人を不審者と
しましょうと言うことぐらいしかできません。
犯罪者の遺伝子を知らべて、みたいな感じだと
いかにも科学的だと思わせますが、
実は普通の人が何の根拠も無く「あの人は怪しい。」と
感じることと根本的には違いはありません。
なぜなら、加害者の共通項と見なせるものを探すだけだから。

従って、いくら科学的手法をとってもあてにはならないので、
基本的にはドラステックに犯罪が減ることはありません。

そうすると、不審者の定義を拡大する方向、
不審者と判断するレベルを下げていく方向に
向かわざるを得ず、これがひどくなると
中世欧米の魔女狩りや
ナチスのユダヤ人や障がい者の虐殺、
かってナチスの前にイギリスやアメリカで行われた犯罪者の家系を調べて
過去に犯罪者がいる家系を断種する、
など
ただ○○と言うだけで不審者としてマークされることになります。
今の米英のテロ対策がそうなっていますね。
遺伝子レベルで将来犯罪者となる可能性のあるものを
排除するなんてなると新たな優性政策になってしまいます。
そもそも犯罪の定義でさえ、普遍的なものはなく、
不審者と同じで、時の権力によっていかようにもなるのですから。


実は子どもを狙う犯罪者は顔見知りが多いと言われ、
いかにも不審者ですよと近づいてくるわけではないです。
従って、社会的に構成された不審者像のまるっきり反対です。
だから、この手の犯罪では「あの人が!」みたいなことが多いわけですが。

しかし、やらないよりはやった方がましと言う議論もありますが、
これはやらない方がましです。
不審者という言葉の持つ危うさを自覚し、脱構築していく方向に
向かわなければなりません。

具体的には、人ではなく場所に注目する方向で、
最近よくテレビにも取り上げれている防犯環境設計の視点です。
ようするに犯罪をしにくい環境を作っていくことです。

それと子ども自身に判断能力や対処能力をつけさせていく方向。
CAPプログラムなんてまさしくそうですね。


最後に確かに犯罪者の家系は犯罪者を多く生み出します。
しかし、それは遺伝的な問題ではなく、
彼らを取り巻く社会環境が問題なのです。
犯罪者の多くは児童虐待の被害者だったり、
アルコール依存症の親を持つアダルト・チルドレンだったりする訳で、
まずは児童虐待を無くすことが先決ですね。
あとはトランスジェンダーや軽度発達障害などに対する理解も大切です。
これらの被害者が生きづらくない社会をつくり、
加害者にならないようにしていく
ことが必要だと思います。

でも、たぶん社会は技術に埋め込まれていく方向に進んでいくのでしょうけど。