最近、NPOの定義がよくわからなくなってきたけれど

私が考えるNPOが行う活動は、
問題を抱えている人(=クライアント)ひとりひとりにあった援助を
行うため、原則として大量生産・大量消費に馴染まない活動である。
そして、クライアントが、NPOから様々な援助を受けることによって
現状の問題解決のみならず、その後、彼/彼女がどのような能力を発揮し
何をなし得たいのか、と言う互いに共通の未来を見る能力が必要な活動
である。


すなわち完成品を提供、あるいは押し付けるのではなく、
ともに善き社会を実現させていくインプロビゼーションなんだと思う。

それゆえ、NPOが活動する領域は、
平等・公平性、予算と言う制約から
線引きを行い、且つ画一的にならざるを得ない公共サービスでは
対応できない(しようとしない?)領域であり、
金儲けが第一である企業でも対応しない領域であるため、

企業のビジネスモデルではそもそも成り立つはずがない。
具体的には子ども虐待や不登校、引きこもり支援を行うNPOを考えて見れば良い。
虐待を受けている子どもが支援を求めるとき、

果たして彼/彼女から費用をとることができるのだろうか?
なぜなら、費用を請求すべき親が加害者なのだから・・・
またレイプなどの被害者もそう。
彼/彼女達が例えサービスの対価を支払えなかったとしても
誰にどのように事実を伝え、対価を請求すれば良いのだろうか?

それに子ども電話相談などの受け手の方は、受け手になるために講習費を払い、
受け手になった後も交通費実費すら支給されないことが多い。
例えボランティアであったとしても完全な無償はありえない。
そもそもボランティアとは志願兵を意味し兵舎や食事、軍服、武器などが支給され、
そして生き残るための知識などの教育を受けていたのだから
活動のための交通費や活動に必要な道具、知識、技術、技能を
身に着けるための費用は貰わなければならない。

さらに受け手は問題を抱える子ども達の話を聞き、
感情移入して二次受傷を受け、バーンアウトしてしまうのだが、
その受け手をケアする支え手も不足している。

子どもたちを救いながら、一方で、燃え尽きた人々を生み出しており、
これでは、いったい何をしているのかわからないではないか!


一方で、事業型NPOと呼ばれている人々の中には、自分達は十分に
問題を抱えている人々を救っているので、情報発信や資金調達など
行う必要はないと言う。

しかし、このNPOが行っているのは、
問題を抱えている人々を産み出さないようにすることではなく、
問題を再生産することに加担しているのではないか!

我々は問題を抱えている人々を生み出さないように
社会変革を行うNPOを支援したい。
そして、それらのNPOは事業収入ではなく、
会費や寄付が収益の中心になる。

本来、NPO活動とは、
将来、どのような社会を創っていくのかと言うこと、
すなわちミッションが第一であり、
そのことから、現在の社会のいわば被害者であるクライアントも
実は理想的な社会を創るための共演者なのである。


それにNPO活動は人々(=観客)を感動させ、夢と希望を与える。
ゆえに、NPO活動は永遠のアート(=創造活動)であり、 
だからこそ、アートとして表現しなければならない。

なぜなら、
多様な資金調達を可能にすると言う現実問題だけではなく、
アートとしての作品の完成度を高めることによって、
より多くの人々を感動させ、夢と希望を与えるから。
そして、それが自分たちの理想社会実現のための近道だから。

では、どうすれば良いのか。
答えはシンプル

彼/彼女のためだけでなく、もちろんあなたのためだけでもなく
お互いの享受能力を高め、そして触発しあい、

お互いが幸せになるようなことをやりなさい。
ただそれだけ。

うーん、まだまだ考え方が固まっていないなぁ・・・
もう少し考えてみよう!