キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。
ここを見ていきます、今は何かと、有名なクリスチャン、素晴らしい働き手、霊に満ちたすごい人、なんて宣伝されキリストではなく、他の人々を待ち望むよう、静かに誘導されているようですが、我々は神様を待ち望んでいきましょう。
なぜなら
彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。
から
うっかりほかのクリスチャンを偶像崇拝し、彼らをまるで救いのように、待ち望んでいるとクリスチャンに変装したサタンの使いや、その霊をふんだんに受け、人々に与えたい与えたい!と熱望する人々に巡り会って霊を受けてしまうことになります 動画の通りです
http://www.youtube.com/watch?v=8YiUYDaaSl8
そして聖書ではだれを待ち望むのか書かれており、言い訳はできません
ヨブ記:13:15
見よ。神が私を殺しても、私は神を待ち望み、なおも、私の道を神の前に主張しよう。
主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです。
私は、とこしえまでも、あなたに感謝します。あなたが、こうしてくださったのですから。私はあなたの聖徒たちの前で、いつくしみ深いあなたの御名を待ち望みます。
そしりが私の心を打ち砕き、私は、ひどく病んでいます。私は同情者を待ち望みましたが、ひとりもいません。慰める者を待ち望みましたが、見つけることはできませんでした。
しかし、私自身は絶えずあなたを待ち望み、いよいよ切に、あなたを賛美しましょう。
あなたは私の隠れ場、私の盾。私は、あなたのみことばを待ち望みます。
私は主を待ち望みます。私のたましいは、待ち望みます。私は主のみことばを待ちます。
主よ。まことにあなたのさばきの道で、私たちはあなたを待ち望み、私たちのたましいは、あなたの御名、あなたの呼び名を慕います。
主よ。私たちをあわれんでください。私たちはあなたを待ち望みます。朝ごとに、私たちの腕となり、苦難の時の私たちの救いとなってください。
よみはあなたをほめたたえず、死はあなたを賛美せず、穴に下る者たちは、あなたのまことを待ち望みません。
イザヤ書38:18
よみはあなたをほめたたえず、死はあなたを賛美せず、穴に下る者たちは、あなたのまことを待ち望みません。
ここも穴に下る者たちは神様を待ち望まない、事が書かれてあり、かつて書かれたことから未来のことがわかります、そういうわけで、神様を待ち望んでいてください、周りはどうであれ です、かつての聖書に書かれている信仰の先輩のことも思い返してください。
苦難と忍耐については、兄弟たち、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。