申命記17:14
あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地にはいって行って、それを占領し、そこに住むようになったとき、あなたが、「回りのすべての国々と同じく、私も自分の上に王を立てたい。」と言うなら、
17:15
あなたの神、主の選ぶ者を、必ず、あなたの上に王として立てなければならない。あなたの同胞の中から、あなたの上に王を立てなければならない。同胞でない外国の人を、あなたの上に立てることはできない。
17:16
王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。「二度とこの道を帰ってはならない。」と主はあなたがたに言われた。
17:17
多くの妻を持ってはならない。心をそらせてはならない。自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない。
ここを見て行こうと思います「たとえ」で
申命記17:14
あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地にはいって行って、それを占領し、そこに住むようになったとき、あなたが、「回りのすべての国々と同じく、私も自分の上に王を立てたい。」と言うなら、
王とはなんだろう? 他の本を検索するのではなく聖書のみで検索します。
書かれている以上に出てはいけません。
あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。
わたしは、あなたの子孫をおびただしくふやし、あなたを幾つかの国民とする。あなたから、王たちが出て来よう。
わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。
と、ありローマ書を見ると信仰の父としてのアブラハムの霊的子孫、つまり、今のクリスチャンの事を指していることが解ります、つまり聖書の王とはクリスチャンとは別物ではなく、まさにクリスチャンにたとえられている王の役目の人の型という事がわかります、それがわかると
彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊である。彼らは全世界の王たちのところに出て行く。万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。
今ではリバイバルという名の(しるし、きせき)サタニストが使っている霊と同じ霊現象を受けている多くのクリスチャンがいますが、彼らは聖霊の導きと勘違いして実は悪霊にコントロールされている、もっというと「集められている」ことがわかります。
こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。
そして集められます
この箇所の王も大統領や世的な王のことではなくクリスチャンのことだとわかります。
地の王たちは、この女と不品行を行ない、地に住む人々も、この女の不品行のぶどう酒に酔ったのです。」
そしてバビロンと関係している事がわかります こんな動画の教会です。夫キリスト 妻教会(エフェソ五章)ですから
http://www.youtube.com/watch?v=yhgWqLkxMCM
その日、主は天では天の大軍を、地では地上の王たちを罰せられる。
その日 っていつだろう?聖書の「その日」を検索してください。
全部が全部そうとは言い切れませんが331箇所あります(新改訳)
そのとき、ケナアナの子ゼデキヤは、王のために鉄の角を作って言った。「主はこう仰せられます。『これらの角で、あなたはアラムを突いて、絶滅させなければならない。』」
ほかの預言者たちもみな、同じように預言して言った。「ラモテ・ギルアデに攻め上って勝利を得なさい。主は王の手にこれを渡されます。」
さて、ミカヤを呼びに行った使いの者はミカヤに告げて言った。「いいですか。お願いです。預言者たちは口をそろえて、王に対し良いことを述べています。お願いですから、あなたもみなと全く同じように語り、良いことを述べてください。」
17:15
あなたの神、主の選ぶ者を、必ず、あなたの上に王として立てなければならない。あなたの同胞の中から、あなたの上に王を立てなければならない。同胞でない外国の人を、あなたの上に立てることはできない。
神の国選民、会衆、共同体、全て血に関連していて、今の教会もキリストの血によって集まってる人達で血によって購われたです・・・・・が 同胞以外の人間を王に立ててしまう事について書かれています、ということは既にそうなっている可能性があります、つまり偽兄弟 クリスチャンといっているが実はそうではなく、教会以外の人が牧師や指導者になっている可能性が たとえばこんな動画です。
http://www.youtube.com/watchv=wyJbumS4QyE
17:16
王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。「二度とこの道を帰ってはならない。」と主はあなたがたに言われた。
17:17
多くの妻を持ってはならない。心をそらせてはならない。自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない。
ここで 馬と妻が似ている感じで書かれていることに注目します。こことにてます
ニネベの人々が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし、見なさい。ここにヨナよりもまさった者がいるのです。
南の女王が、さばきのときに、今の時代の人々とともに立って、この人々を罪に定めます。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからです。しかし、見なさい。ここにソロモンよりもまさった者がいるのです。
からだとは勿論キリストのからだの事です、つまり 馬とは教会にたとえられています。
私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。
私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。
馬を御するために、くつわをその口にかけると、馬のからだ全体を引き回すことができます。
その酒ぶねは都の外で踏まれたが、血は、その酒ぶねから流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンに広がった。
馬が危険!くつわまでだから大丈夫だ 教会の教師の事ですよ「くつわ」は
だれも自分を欺いてはいけません。もしあなたがたの中で、自分は今の世の知者だと思う者がいたら、知者になるためには愚かになりなさい。
なぜなら、この世の知恵は、神の御前では愚かだからです。こう書いてあります。「神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕える。」
また、次のようにも書いてあります。「主は、知者の論議を無益だと知っておられる。」
とも書かれています。
17:16
王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。「二度とこの道を帰ってはならない。」と主はあなたがたに言われた。
17:17
多くの妻を持ってはならない。心をそらせてはならない。自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない。
つまり自分のために教会を増やす事を禁止されていて、そのためにしてはならない事をしてはならないということが書かれているわけです、もっと具体的に言うと
馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。「二度とこの道を帰ってはならない。」と主はあなたがたに言われた。
教会を増やすためだといって エジプトつまり主に購われる以前の状態にクリスチャンをして、罪の奴隷、人の奴隷、重いくびき、この世的な方法論、など取入れる教会が多いようですが?
一線をちゃんと引いてください 「でも教会を増やすのに必要だといっているし・・・」だめです。
今では世の歌謡曲のような曲を歌っている人達が大勢いますが、一体何を考えているのやら全然わかりません。
多くの妻を持ってはならない。心をそらせてはならない。自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない。
たとえば、カトリックの教会にいったりプロテスタントの教会に行ったり来たりしていたら、そのうち「マリア像置いてください」なんていいそうでイヤです、心がそれているのです。
「あの教会がそうやっていたから家の教会にも取り入れよう」そうなりどんどんどんどん深みにはまっていきます。
ましてバビロンの型の教会(妻)を持ったりしたら・・夫(キリスト)との貞節を捨て自分が女王になっている教会(妻)をもったりしたら・・・
彼女が自分を誇り、好色にふけったと同じだけの苦しみと悲しみとを、彼女に与えなさい。彼女は心の中で『私は女王の座に着いている者であり、やもめではないから、悲しみを知らない。』と言うからです。
すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」