レビ記19:28 | 777のクリスチャンへの警告と聖書 蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ

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レビ記19:28

あなたがたは死者のため、自分のからだに傷をつけてはならない。また自分の身に入墨をしてはならない。わたしは主である。


こんばんは、前回は入れ墨のほうを見ていきましたので


上の箇所を見て行こうと思います、私なりにです。


レビ記19:28

あなたがたは死者のため、自分のからだに傷をつけてはならない。


普通に生まれたままの人の考えですと、誰かが死んで悲しんで自傷行為に及ぶ、そんな感じでしょうか。


1コリント: 2:14  

生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。


ローマ 6: 4

私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。

6: 5

もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。

6: 6

私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。

6: 7

死んでしまった者は、罪から解放されているのです。

6: 8

もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。



もう一回死んでしまい、キリストと共に生きているので 霊的な事柄も考えさせてくださいます。


レビ記19:28

あなたがたは死者のため、


黙示録: 3: 1  

また、サルデスにある教会の御使いに書き送れ。『神の七つの御霊、および七つの星を持つ方がこう言われる。「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。


そのまま考えるとゾンビみたいですが、霊的な事柄においての事で見ることができます。(たとえられています)

聖書で生きるとは神の霊 息(霊)が鼻に入って生きたものになります。


創世記: 2: 7  

その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちのを吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。


つまりその逆の事であると見ています。


それが解ると ヨブ記のこの箇所と 2テサロニケの箇所が類似している事を発見します。


ヨブ記:15:30  

彼はやみからのがれることができず、炎がその若枝を枯らし、神の御口のによって彼は追い払われる。


2テサロニケ: 2: 8  

その時になると、不法の人が現われますが、主は御口のをもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。


つまり神からの聖霊によるアタックがあります、今のクリスチャン用の新聞などでもてはやされているリバイバルは実は本番前の偽物です。


2テサロニケ2: 9

不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、

2:10

また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行なわれます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。


ベニーヒン(サタンの働き)など人を後ろに倒したりしています、異言も教会では盛んです 問題はそれが本当に聖霊かどうか?です、滅びる人たちへの悪の欺きと関連して、あらゆる偽りの力、しるし、不思議が欠かれていることを覚えましょう。


http://ameblo.jp/rebanonn/theme-10010468416.html   

(しるし、奇跡動画を集めました 悔い改めてください!)




レビ記19:28

あなたがたは死者のため、自分のからだに傷をつけてはならない。


からだは キリストのからだ 教会としてたとえてみていきます。

傷は霊的な傷の事


結論から言うと、霊的に死んでいるクリスチャンに頼まれまた、その人のために教会に霊的な傷をつけてはいけない と言う事として感じています。


クリスチャン生活長年していると(私はまだ長くは無いですが・・・)色々とクリスチャン同士の付き合いがおおくなってくると思います、中にはクリスチャンを恩師、師匠、先生とキリストより高くして尊敬の思いがあるようです。


借り、貸し、恩恩師、先生、師匠、先輩クリスチャン、後輩クリスチャン、年上年下、美男美女、かわいい、かっこいい 

問題はそんな事ではなく、生きているか死んでいるか そしてその人のため、つまりキリストのためではなく、人間のために教会(からだ)に霊的な傷をつけてはいけない、そんな感じです。


いくら先輩クリスチャンのためと言っても、聖書的ではない事をしている人を教会に入れない

(人を後ろに倒したり、解釈していない異言、金粉出したり酔った様になったり などなど沢山あります)

こうしたいなぁ と泣いてせがまれても、聖書的ではないことをしない そんな感じで見てます。



自分のからだに傷をつけてはならない。



借り、貸し、恩恩師、先生、師匠、先輩クリスチャン、後輩クリスチャン、年上年下、美男美女、かわいい、かっこいい 


色々なクリスチャンがいますが、頼まれてもその人のためにするのではなく聖書に、御霊に尋ねつつやっていきましょう!聖書の代わりに別の本を教会で読んでたりするのもやめましょう、生きていたらそんなことしませんよね、聖書を読みませんか。


エレミヤの部屋では、聖書からクリスチャンへのメッセージがあります、困難時代の事などもありますよ、是非ご覧下さい。


エレミヤの部屋

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つのぶえ終末の警告

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