神殿の外でイエス様に会う青年 このことを見て行きます イエス様は旧約の時代に多くの人に歓迎され、会堂、神殿、宮 に迎えられたかというと決してそうではなく、神の民に歓迎されたかというと これも そうではなかったです、パリサイ派やはたまた「祭司長、民の長老までも」イエス様を殺そうとしました。
そのころ、祭司長、民の長老たちは、カヤパという大祭司の家の庭に集まり、
イエスをだまして捕え、殺そうと相談した。
なぜかというと、『そのうちの一つに背教していたから』 という現状があったと考えます。
そして旧約の終わりがそうであったように新約の終わりにも必ず『背教が起こります』
だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。
というわけで、かつての旧約の終わりごろの情報を聖書から読んで悟り『たとえ』を用いて聖霊に聞きつつ、過去(旧約)の事から未来の事(新約)を信仰により、他の聖書箇所を参照にして理解して行こうと思います、つまり
現在背教に向かっている教会で神の義を述べるのならば会堂から追い出される
このことを見て行こうと思います
ここもキリストがぶどう園の外に追い出されたことが書かれています。
ぶどう園の主人は言った。『どうしたものか。よし、愛する息子を送ろう。彼らも、この子はたぶん敬ってくれるだろう。』
ところが、農夫たちはその息子を見て、議論しながら言った。『あれはあと取りだ。あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』
そして、彼をぶどう園の外に追い出して、殺してしまった。こうなると、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。
そして私達も神の子 相続人なのです。
私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。
もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。
ぶどう園は教会のたとえになってます よって
ところが、農夫たちはその息子を見て、議論しながら言った。『あれはあと取りだ。あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』
そして、彼をぶどう園の外に追い出して、殺してしまった。こうなると、ぶどう園の主人は、どうするでしょう。
旧約も神の義を述べ伝えるキリストが嫌で ぶどう園の外へ追い出して殺しました
新約の我々も神の義を述べ伝えるのならば 同じことが起こるでしょう。(勿論 主の御心の教会はそうではないですが)
このばあい どうなるのか? 次の時代のクリスチャンたちにへと神の国の実を結ぶ国民に移ってしまいます。
このばあい、ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょう。」
彼らはイエスに言った。「その悪党どもを情け容赦なく殺して、そのぶどう園を、季節にはきちんと収穫を納める別の農夫たちに貸すに違いありません。」
イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』
だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。
正しい事を言ったのに 大祭司に尋問される イエス様
そこで、大祭司はイエスに、弟子たちのこと、また、教えのことについて尋問した。
イエスは彼に答えられた。「わたしは世に向かって公然と話しました。わたしはユダヤ人がみな集まって来る会堂や宮で、いつも教えたのです。隠れて話したことは何もありません。
なぜ、あなたはわたしに尋ねるのですか。わたしが人々に何を話したかは、わたしから聞いた人たちに尋ねなさい。彼らならわたしが話した事がらを知っています。」
イエスがこう言われたとき、そばに立っていた役人のひとりが、「大祭司にそのような答え方をするのか。」と言って、平手でイエスを打った。
イエスは彼に答えられた。「もしわたしの言ったことが悪いなら、その悪い証拠を示しなさい。しかし、もし正しいなら、なぜ、わたしを打つのか。」
同じように新約の終わりの時期にも『正しいことを言ったのに』こういう扱いを受けるクリスチャンが出ると思います
イエスがこう言われたとき、そばに立っていた役人のひとりが、「大祭司にそのような答え方をするのか。」と言って、平手でイエスを打った。
今で言うなら「○○牧師様、○○祭司様にそんな答え方があるか!」と怒鳴られ平手で打たれる ような。
正しい事を言ってるのにですよ。なぜか?背教しているからです。 結果このような事が起こるでしょう↑
みかむりをもなれは捨てて 聖歌136番
みかむりをもなれは捨てて
世にくだりまししに
ただのひとまさえもあけて
むこうる家なし
きみよこのこころに
来たりすみたまえ
むこうる家なし
家は1テモテ3:15などで教会にたとえられていますので、『神の義をしているクリスチャンが教会に喜んで迎えられない』という状況が来ると思ってます。
また、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されません。
わたしが言うのは真実のことです。エリヤの時代に、三年六か月の間天が閉じて、全国に大ききんが起こったとき、イスラエルにもやもめは多くいたが、
エリヤはだれのところにも遣わされず、シドンのサレプタにいたやもめ女にだけ遣わされたのです。
また、預言者エリシャのときに、イスラエルには、らい病人がたくさんいたが、そのうちのだれもきよめられないで、シリヤ人ナアマンだけがきよめられました。」
これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、
立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした。
普通会堂 礼拝をし聖書を読んでいる所で、神の民が
これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、
立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした。
こんなことをしないように人間的には考えがちですが、実際起こり そして新約の終わりにもこういうような人たちが出てくると見てます。なぜか?背教になるからです。
霊的に目が開く事になった青年(クリスチャン)も出てきて、『外に追い出され』その後イエス様に出会います。
盲目に生まれついた者の目をあけた者があるなどとは、昔から聞いたこともありません。
もしあの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできないはずです。」
彼らは答えて言った。「おまえは全く罪の中に生まれていながら、私たちを教えるのか。」そして、彼を外に追い出した。
イエスは、彼らが彼を追放したことを聞き、彼を見つけ出して言われた。「あなたは人の子を信じますか。」
その人は答えた。「主よ。その方はどなたでしょうか。私がその方を信じることができますように。」
イエスは彼に言われた。「あなたはその方を見たのです。あなたと話しているのがそれです。」
なぜか?背教に向かうからです。
結果こうなります 教会にいられなくなってしまいます。
ですから、イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。
ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。
宿営の外になぜ出ねばならないか?背教に向かいますから もう既に出られた方もいらっしゃるかと思います。
だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現われなければ、主の日は来ないからです。
今までの箇所から背教教会から追い出される 義人ロトのようなクリスチャンが出てくる事が解ります。
キリストとの間柄が無節操な教会 そして洪水とは出エジプトの水 そして ノアの洪水 悪霊のリバイバルのたとえです。(水は霊系統のたとえであるのです)
しかし、イスラエルの中には、にせ預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも、にせ教師が現われるようになります。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、自分たちの身にすみやかな滅びを招いています。
そして、多くの者が彼らの好色にならい、そのために真理の道がそしりを受けるのです。
また彼らは、貪欲なので、作り事のことばをもってあなたがたを食い物にします。彼らに対するさばきは、昔から怠りなく行なわれており、彼らが滅ぼされないままでいることはありません。
神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。
また、昔の世界を赦さず、義を宣べ伝えたノアたち八人の者を保護し、不敬虔な世界に洪水を起こされました。
また、ソドムとゴモラの町を破滅に定めて灰にし、以後の不敬虔な者へのみせしめとされました。
また、無節操な者たちの好色なふるまいによって悩まされていた義人ロトを救い出されました。
というのは、この義人は、彼らの間に住んでいましたが、不法な行ないを見聞きして、日々その正しい心を痛めていたからです。
これらのことでわかるように、主は、敬虔な者たちを誘惑から救い出し、不義な者どもを、さばきの日まで、懲罰のもとに置くことを心得ておられるのです。
そんなわけで、旧約時代の終わりに義を述べていたイエスが神殿で迫害にあったように、新約時代の終わりごろ義を唱えるクリスチャンが迫害にあうのです、誰から?同じクリスチャンといわれている人たちからです。
なぜか?背教に向かうから 義人はどうなるのか?です↓
また、昔の世界を赦さず、義を宣べ伝えたノアたち八人の者を保護し、不敬虔な世界に洪水を起こされました。
また、ソドムとゴモラの町を破滅に定めて灰にし、以後の不敬虔な者へのみせしめとされました。
また、無節操な者たちの好色なふるまいによって悩まされていた義人ロトを救い出されました。
ですから、『神の義人であり神の義を述べ伝え、迫害に合う』という一連の流れはかえって我々の救いへと通じる道であるという事が明白になってきませんか イエスがそうであった様に神の義を述べ伝えていきましょう!
救われてるのに救われてないというのは一体どういうことか?この日数について書きました。
そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。
もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。
そのとき、『そら、キリストがここにいる。』とか、『そこにいる。』とか言う者があっても、信じてはいけません。
にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。
ヘブライの手紙12章をお読みくださいね 書いている途中また示されたので今度書いていこうと思います。
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。
では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
思い切って書きましたが、他にも聖書に隠されている事柄は沢山沢山あるので、エレミヤの部屋をご覧ください。http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/