ヨッパにタビタ(ギリシヤ語に訳せば、ドルカス)という女の弟子がいた。この女は、多くの良いわざと施しをしていた。
ところが、そのころ彼女は病気になって死に、人々はその遺体を洗って、屋上の間に置いた。
ルダはヨッパに近かったので、弟子たちは、ペテロがそこにいると聞いて、人をふたり彼のところへ送って、「すぐに来てください。」と頼んだ。
そこでペテロは立って、いっしょに出かけた。ペテロが到着すると、彼らは屋上の間に案内した。やもめたちはみな泣きながら、彼のそばに来て、ドルカスがいっしょにいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。
ペテロはみなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。そしてその遺体のほうを向いて、「タビタ。起きなさい。」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起き上がった。
そこで、ペテロは手を貸して彼女を立たせた。そして聖徒たちとやもめたちとを呼んで、生きている彼女を見せた。
このことがヨッパ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた。
そして、ペテロはしばらくの間、ヨッパで、皮なめしのシモンという人の家に泊まっていた。
今回はここの霊的なことを見ていこうと思います。(たとえで) 御霊で始まってそのまま進みたいのです。
ああ愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に、あんなにはっきり示されたのに、だれがあなたがたを迷わせたのですか。
ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行なったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。
あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。
ヨッパにタビタ(ギリシヤ語に訳せば、ドルカス)という女の弟子がいた。この女は、多くの良いわざと施しをしていた。
この人は何なのか?勿論クリスチャンです、主の弟子でこういう事をしていました→ 多くの良いわざと施しをしていた。
ところが、そのころ彼女は病気になって死に、人々はその遺体を洗って、屋上の間に置いた。
病気
ある村にはいると、十人のらい病人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、
声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください。」と言った。
イエスはこれを見て、言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中でいやされた。
そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、
イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。
そこでイエスは言われた。「十人いやされたのではないか。九人はどこにいるのか。
神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」
10人キリストに癒されたのに9人は 神をあがめるために戻ってこないのです。
我々も昔は他の宗教などしていて霊的に汚れていましたが、キリストによって清めていただきました。
神をあがめるために神様に戻っていくクリスチャンになりましょう。
(世の中の人の病を見て汚れている!と旧約時代の人たちの見方に戻らず、内面が大事です)
9:37
ところが、そのころ彼女は病気になって死に、人々はその遺体を洗って、屋上の間に置いた。
さてクリスチャンになっても病気になり、霊的に死んでしまう クリスチャンをやめたり、罪にさいなまれたりする事があるかもしれません。
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
ルダはヨッパに近かったので、弟子たちは、ペテロがそこにいると聞いて、人をふたり彼のところへ送って、「すぐに来てください。」と頼んだ。
「また今度でいいや」 ではなく直ぐに弟子たちはペテロを呼びました、世の中でも心臓停止した際に「後でいいや。」とかではなく 直ぐに救急車を呼んだりするものです。
そこでペテロは立って、いっしょに出かけた。ペテロが到着すると、彼らは屋上の間に案内した。やもめたちはみな泣きながら、彼のそばに来て、ドルカスがいっしょにいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。
そこでペテロは立って、いっしょに出かけた。ペテロが到着すると、彼らは屋上の間に案内した。
案内します、大体ここら辺とかそういうことではなく、案内しています。
やもめたちはみな泣きながら、彼のそばに来て、ドルカスがいっしょにいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。
やもめのようなクリスチャン
ほんとうのやもめで、身寄りのない人は、望みを神に置いて、昼も夜も、絶えず神に願いと祈りをささげていますが、
やもめのようなクリスチャンの人はこういうクリスチャンに警戒してください。↓
「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが好きで、また会堂の上席や宴会の上座が好きです。
また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです。」
彼のそばに来て、ドルカスがいっしょにいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。
ドルカスがいっしょにいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。
裸は恥を隠すもの、信仰の義、白い衣、キリストの購い、罪の赦しそんな事と関係してると思います
――見よ。わたしは盗人のように来る。目をさまして、身に着物を着け、裸で歩く恥を人に見られないようにする者は幸いである。――
世の裸というより霊的な事柄が書かれています、霊的に裸の人、神の御前に立てないと思ってるような罪に陥ってる人、教会でつらい目にあって居るクリスチャン など助ける働きが必要だと考えます。
そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
25:35
あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
実は我々クリスチャンの間柄に関することが実はキリストにしている事がわかります↑
何でこうなっているのか?神様にお祈りして聞いてくださいね。
霊の賜物聖霊のバプテスマなんて言って、実はあくれいを与えてる人はこの内に入りません、逆の働きをしていますから。
9:39
そこでペテロは立って、いっしょに出かけた。ペテロが到着すると、彼らは屋上の間に案内した。やもめたちはみな泣きながら、彼のそばに来て、ドルカスがいっしょにいたころ作ってくれた下着や上着の数々を見せるのであった。
新約の教会時代は 神様と自分 それと 信仰の兄弟姉妹 がいることなのです。
祈ってくれる兄弟姉妹、お祈りのサポート、困った事を話したり 聖書の話をしたりなど一般では出来ない話が出来、お互いの助け合いがあるのです。
我々も、罪に沈んでいたり、恥を覆う着物が無い人の事で祈ったり励ましていきましょう。
9:40
ペテロはみなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。そしてその遺体のほうを向いて、「タビタ。起きなさい。」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起き上がった。
そこで、ペテロは手を貸して彼女を立たせた。そして聖徒たちとやもめたちとを呼んで、生きている彼女を見せた。
このことがヨッパ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた。
そして、ペテロはしばらくの間、ヨッパで、皮なめしのシモンという人の家に泊まっていた。
祈りで起きる 祈りで生き返る このことを覚えましょう。
また、サルデスにある教会の御使いに書き送れ。『神の七つの御霊、および七つの星を持つ方がこう言われる。「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。
目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行ないが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。
だから、あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出しなさい。それを堅く守り、また悔い改めなさい。もし、目をさまさなければ、わたしは盗人のように来る。あなたには、わたしがいつあなたのところに来るか、決してわからない。
エレミヤの部屋をよろしくお願いします。聖書の事をとてもよく書かれています。