あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。
憎む者が口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である。
飽き足りている者は蜂の巣の蜜も踏みつける。しかし飢えている者には苦い物もみな甘い。
自分の家を離れてさまよう人は、自分の巣を離れてさまよう鳥のようだ。
このことを見て行きます。
あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。
子どもが間違った道に行ったら あからさまに責める
愛する人が間違った道に行ったら あからさまに責める
世の中ではそうなのですが、教会クリスチャン関係ではそうではないです、人から好かれよう、人に愛されようとしていて、 あからさまに責めません
人を倒してる教会に行ってる人を見かけても、おかしい聖書的でないと あからさまに責めません、聖書を読んでない人にもあからさまに 『聖書を読みなさい』 とはいわず、「生まれたままの君でいい」 と密かに愛しています。
お祈りをしないクリスチャンを知ってるのに あからさまに責めず 「神の目に君は高価で尊い」などと、密かに愛していていて。
結果、右も左もわからず、霊的盲人が沢山作られています。
憎む者が口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である。
本当に愛しているのなら、時に傷つけることをします。
交通事故に合う人を後ろから突き飛ばしたりします、結果救う事になり、事故にあわないですみます、骨折したとしても、大切な命が失われずにすむのです。
しかしながら、己が知者と錯覚し世の終わりのクリスチャンは、警告もなにも受けません、額を石のように硬くし、うなじをこわくしています。
逆に憎むものが「口づけし、もてなす」ことが聖書に書かれています、確かに人に好かれるでしょうが、結果良くない事が起きます。
世の中でも、人がこのままでは破滅に陥るのに「口づけし、もてなす」とそのままの状態で移行します。
飽き足りている者は蜂の巣の蜜も踏みつける。しかし飢えている者には苦い物もみな甘い。
蜜は御言葉にたとえられています、御言葉に飽き足りて居るクリスチャン
逆に御言葉に飢えてるクリスチャンの事を書かれてます。
何で聖書以外に、色々な本が教会で読まれているのだろう?飢えてるからだと思います。
どうすればいいのか?ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。
二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。
不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。
私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ。」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。
後蜜が御言葉だと解ると申命記も実は教会時代の最後を預言しています
乳と蜜の流れる地 は教会のたとえと見てます 乳とは何なのか?
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
新共同約では 混じりけのない霊の乳
1ペテロ 2:2 生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。
申命記31:20
わたしが、彼らの先祖に誓った乳と蜜の流れる地に、彼らを導き入れるなら、彼らは食べて満ち足り、肥え太り、そして、ほかの神々のほうに向かい、これに仕えて、わたしを侮り、わたしの契約を破る。
多くのわざわいと苦難が彼に降りかかるとき、この歌が彼らに対してあかしをする。彼らの子孫の口からそれが忘れられることはないからである。わたしが誓った地に彼らを導き入れる以前から、彼らが今たくらんでいる計画を、わたしは知っているからである。」
自分の家を離れてさまよう人は、
自分の巣を離れてさまよう鳥のようだ。
たとえが用いられてます。なんで家と巣は同じようにたとえられてるのだろう
同じ事をたとえで書かれているのです。
家は1テモテ3:15で教会のたとえ
巣も教会のたとえになってるよ と主からヒントをいただけます。
では鳥もクリスチャンの事をここでは書かれてるの?
ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。
めんどり(キリスト) ひな(クリスチャン)です それが解ると申命記の事も解ります。
たまたまあなたが道で、木の上、または地面に鳥の巣を見つけ、それにひなか卵がはいっていて、母鳥がひなまたは卵を抱いているなら、その母鳥を子といっしょに取ってはならない。
キリストを教会(家)から追い出した後クリスチャンがとられること 結果こうなります
わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。
見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
新共同約ではヨブ記に しみの巣と家が関連して書かれてあるのでそちらもご覧ください。
自分の家を離れてさまよう人は、
自分の巣を離れてさまよう鳥のようだ。
別の箇所を参照にするなら クリスチャンにたとえられている「やもめ」の箇所を見ることができます
若いやもめは断わりなさい。というのは、彼女たちは、キリストにそむいて情欲に引かれると、結婚したがり、
初めの誓いを捨てたという非難を受けることになるからです。
そのうえ、怠けて、家々を遊び歩くことを覚え、ただ怠けるだけでなく、うわさ話やおせっかいをして、話してはいけないことまで話します。
ですから、私が願うのは、若いやもめは結婚し、子どもを産み、家庭を治め、反対者にそしる機会を与えないことです。
というのは、すでに、道を踏みはずし、サタンのあとについて行った者があるからです。
若いやもめは断わりなさい。というのは、彼女たちは、キリストにそむいて情欲に引かれると、結婚したがり、
前回の記事にありますが キリストと結ばれる(結婚)しているクリスチャンの事です。
しかしながら、キリストに背いて霊的情欲に惹かれるとキリスト以外の霊的な存在と結婚(むすばれよう)としたがります、結果こうなります
初めの誓いを捨てたという非難を受けることになるからです。
そのうえ、怠けて、家々を遊び歩くことを覚え、ただ怠けるだけでなく、うわさ話やおせっかいをして、話してはいけないことまで話します。
家々 複数の教会を遊び歩くクリスチャン居ませんか?そういう人はこうなることが書かれてます↑
ですから、私が願うのは、若いやもめは結婚し、子どもを産み、家庭を治め、反対者にそしる機会を与えないことです。
キリストと結ばれ、新生したクリスチャンを生み、信仰の家族を治める事が隠されて書いてあります、そしられないでしょう。
というのは、すでに、道を踏みはずし、サタンのあとについて行った者があるからです。
こういうクリスチャンもいる事を書かれてます。
というわけで、クリスチャンは教会を離れず(結ばれてるなら)さまよう事をしないように!
エレミヤの部屋では聖書の隠されたことなどを書かれています、是非お勧めします。http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/
家にも色々ありまして、金粉がまったり、しるしや奇跡を行う家もあります
どの霊でも信じないで吟味してください!永遠の命と直結します