エレミヤ書9章の解き明かし | 777のクリスチャンへの警告と聖書 蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ

777のクリスチャンへの警告と聖書 蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ

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終末におけるクリスチャンへの裁き、悔い改め、聖書の喩えをおもに書いています。
お勧めメッセージです。
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エレミヤ書9:11

わたしはエルサレムを石くれの山とし、ジャッカルの住みかとする。ユダの町々を荒れ果てさせ、住む者もなくする。

9:12

知恵があって、これを悟ることのできる者はだれか。主の御口が語られたことを告げ知らせることのできる者はだれか。どうしてこの国は滅びたのか。どうして荒野のように焼き払われて、通る人もないのか。

9:13

主は仰せられる。「彼らは、わたしが彼らの前に与えたわたしの律法を捨て、わたしの声に聞き従わず、それに歩まず、

9:14

彼らのかたくなな心のままに歩み、先祖たちが彼らに教えたバアルに従って歩んだ。」

9:15

それゆえ、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。「見よ。わたしは、この民に、苦よもぎを食べさせ、毒の水を飲ませる。

9:16

彼らも先祖たちも知らなかった国々に彼らを散らし、剣を彼らのうしろに送り、ついに彼らを絶滅させる。」

9:17

万軍の主はこう仰せられる。「よく考えて、泣き女を呼んで来させ、使いをやって巧みな女たちを連れて来させよ。」

9:18

彼らをせきたて、私たちのために嘆きの声をあげさせ、私たちの目に涙をしたたらせ、私たちのまぶたに水をあふれさせよ。

9:19

シオンから嘆きの声が聞こえるからだ。ああ、私たちは踏みにじられ、いたく恥を見た。私たちが国を見捨て、彼らが私たちの住まいを投げやったからだ。

9:20

女たちよ。主のことばを聞き、あなたがたの耳は、主の言われることばを受けとめよ。あなたがたの娘に嘆きの歌を教え、隣の女にも哀歌を教えよ。

9:21

死が、私たちの窓によじのぼり、私たちの高殿にはいって来、道ばたで子どもを、広場で若い男を断ち滅ぼすからだ。

9:22

語れ。――主の御告げはこうだ。――人間のしかばねは、畑の肥やしのように、刈り入れ人のあとの、集める者もない束のように、横たわる。


今回もたとえを用いて見て行こうと思います。クリスチャン、教会への預言として


エレミヤ書9:11

わたしはエルサレムを石くれの山とし、ジャッカルの住みかとする。ユダの町々を荒れ果てさせ、住む者もなくする。


エレミヤ書9:11

わたしはエルサレムを石くれの山とし、


エルサレムは神の民が住む場所などで 教会のたとえ 

石は クリスチャンのペトロ(石)などでクリスチャンの事です。


ジャッカルの住みかとする。ユダの町々を荒れ果てさせ、住む者もなくする。


イザヤ 34:14 荒野の獣はジャッカルに出会い/山羊の魔神はその友を呼び/夜の魔女は、そこに休息を求め/休む所を見つける(新共同約)



世の中でも仲がいいと、同じ属性を持っていると 一緒に住んだりします

悪い人は悪い人を呼んだりしますね。


山は百匹の羊の箇所などで教会のたとえになってます。

同じように聖書のジャッカルも上記の聖書箇所の存在と仲がいいです。

他のジャッカルの箇所を見るとき、このような性質を持っているということを念頭に見ていくとさらに深く読めます。



ユダの町々を荒れ果てさせ、住む者もなくする。


もともと 同じ神の国でしたが 北イスラエル南イスラエル 二つに別れてしまいました

今もカトリックとプロテスタント二つに別れています ユダは南イスラエルに属し今のプロテスタントの預言になってると言う解釈を私もとっています(詳しくはエレミヤの部屋を見てください)


今の教会も金粉が出たり、悪魔的なしるしや奇跡が行われています、惑わされないようにしてください



9:12

知恵があって、これを悟ることのできる者はだれか。主の御口が語られたことを告げ知らせることのできる者はだれか。どうしてこの国は滅びたのか。どうして荒野のように焼き払われて、通る人もないのか。


どうして荒野のように焼き払われて、通る人もないのか。



悪霊の火(霊のたとえ)によって焼き払われている状況と思います。

リバイバル!リバイバル!なんていってクリスチャンに変装したサタンの使いから悪霊を受けているクリスチャン、教会が多いのです。


バアルは主人という意味で 終わりの時代のクリスチャンもキリスト(主)から離れ 誰々をバアル(主人)にしてそれに従って歩んでいます。


9:13

主は仰せられる。「彼らは、わたしが彼らの前に与えたわたしの律法を捨て、わたしの声に聞き従わず、それに歩まず、



勿論たとえでは、昔の律法ではなく、啓示の開かれた聖書の事です。羊(クリスチャン)、牛(クリスチャン)、家(教会)、水(聖霊)、パン(御言葉のパン)などなど どうやってクリスチャン生活、教会生活をすればよいのか沢山命じられていますが、聖書に覆い(ベール)が掛かっているので取り除かないと理解できないようになってます、キリストによって取り除きましょう。



2コリント 3:13

そして、モーセが、消えうせるものの最後をイスラエルの人々に見せないように、顔におおいを掛けたようなことはしません。

3:14

しかし、イスラエルの人々の思いは鈍くなったのです。というのは、今日に至るまで、古い契約が朗読されるときに、同じおおいが掛けられたままで、取りのけられてはいません。なぜなら、それはキリストによって取り除かれるものだからです。

3:15

かえって、今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心にはおおいが掛かっているのです。


9:14

彼らのかたくなな心のままに歩み、先祖たちが彼らに教えたバアルに従って歩んだ。」





牛(クリスチャン)バアル(主人)ということで、クリスチャン崇拝「あの人がこういうから大丈夫」「あの人がいう道を進もう」「あの人が聖霊といっているのだから大丈夫だろう」こういうことをやってると結果、悪霊を受けます。



9:15

それゆえ、イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。「見よ。わたしは、この民に、苦よもぎを食べさせ、毒の水を飲ませる。




水は霊に関連しています、聖書の中で川、泉、水、雨の箇所をご覧ください

毒の水、聖霊ではない霊 悪霊を飲ませる事が書かれています。 この記事はここと似ています


出エジプト記 32:19

宿営に近づいて、子牛と踊りを見るなり、モーセの怒りは燃え上がった。そして手からあの板を投げ捨て、それを山のふもとで砕いてしまった。

32:20

それから、彼らが造った子牛を取り、これを火で焼き、さらにそれを粉々に砕き、それを水の上にまき散らし、イスラエル人に飲ませた。



9:16

彼らも先祖たちも知らなかった国々に彼らを散らし、剣を彼らのうしろに送り、ついに彼らを絶滅させる。」



神の国ではなく知らなかった国々にです ダイヤモンドが出てきたり、人を倒して意味の解らない他国の言葉を話す国へと散らされます 


剣を彼らのうしろに送り、ついに彼らを絶滅させる。」


ヤコブ書: 3:10

賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。

黙示録: 1:16

また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。


剣は言葉に関係しています 「すばらしい神の恵み!豊かになった乏しいものは何もない!」

こういう剣(言葉)が後ろにあるので、そのままの状態でどんどん進んでしまいます。


9:17

万軍の主はこう仰せられる。「よく考えて、泣き女を呼んで来させ、使いをやって巧みな女たちを連れて来させよ。」

9:18

彼らをせきたて、私たちのために嘆きの声をあげさせ、私たちの目に涙をしたたらせ、私たちのまぶたに水をあふれさせよ。



唯このような事になっても何もしないわけではなく

嘆き、目に涙をしたたらせる 事が書かれています、おそらくこの箇所の事と思います。

嘆く事と滅びを免れる事がセットになってます、嘆いていたら嘆いてる行いをしないです。


エゼキエル書9: 1

この方は私の耳に大声で叫んで仰せられた。「この町を罰する者たちよ。おのおの破壊する武器を手に持って近づいて来い。」

9: 2

見ると、六人の男が、おのおの打ちこわす武器を手に持って、北に面する上の門を通ってやって来た。もうひとりの人が亜麻布の衣を着、腰には書記の筆入れをつけて、彼らの中にいた。彼らははいって来て、青銅の祭壇のそばに立った。

9: 3

そのとき、ケルブの上にあったイスラエルの神の栄光が、ケルブから立ち上り、神殿の敷居へ向かった。それから、腰に書記の筆入れをつけ、亜麻布の衣を着ている者を呼び寄せて、

9: 4

主は彼にこう仰せられた。「町の中、エルサレムの中を行き巡り、この町で行なわれているすべての忌みきらうべきことのために嘆き、悲しんでいる人々の額にしるしをつけよ。」




9:19

シオンから嘆きの声が聞こえるからだ。ああ、私たちは踏みにじられ、いたく恥を見た。私たちが国を見捨て、彼らが私たちの住まいを投げやったからだ。

9:20

女たちよ。主のことばを聞き、あなたがたの耳は、主の言われることばを受けとめよ。あなたがたの娘に嘆きの歌を教え、隣の女にも哀歌を教えよ。




あなたがたの娘に嘆きの歌を教え、隣の女にも哀歌を教えよ。


隣の女(教会、クリスチャン)にも嘆きの歌、哀歌を教えるよう書かれています。




エフェソ五章で妻(教会)の事が明かされています


2コリント:11: 2

というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。


9:21

死が、私たちの窓によじのぼり、私たちの高殿にはいって来、道ばたで子どもを、広場で若い男を断ち滅ぼすからだ。



箴言と似ています。家は教会 妻も教会 女も教会 のたとえになってます。

他人の妻とはキリスト(夫)と結ばれていない、貞節を尽くさない 他の夫(バアル)と結ばれている教会 (聖霊キリスト)ではなく(悪霊悪魔)と結ばれている教会(妻)などで滅びにいたる教会のたとえです。






窓は家(教会)の明かりを取り入れる部分

(キリストのからだ)の目の器官に相当しているとみてます。


箴言7: 4

知恵に向かって、「あなたは私の姉妹だ。」と言い、悟りを「身内の者。」と呼べ。

7: 5

それは、あなたを他人の妻から守り、ことばのなめらかな見知らぬ女から守るためだ。

7: 6

私が私の家の窓の格子窓から見おろして、

7: 7

わきまえのない者たちを見ていると、若者のうちに、思慮に欠けたひとりの若い者のいるのを認めた。

7: 8

彼は女の家への曲がりかどに近い通りを過ぎ行き、女の家のほうに歩いて行った。






9:21

死が、私たちの窓によじのぼり、私たちの高殿にはいって来、道ばたで子どもを、広場で若い男を断ち滅ぼすからだ。


7: 7

わきまえのない者たちを見ていると、若者のうちに、思慮に欠けたひとりの若い者のいるのを認めた。


沢山動画を見ましたが、この人から霊を受けてを倒して異言を出したりなどなどの しるしと奇跡の集会には若い人が多いです 思慮深くなってください!!動画を置いておきますので。



別に私の思いで とかそんなのではなく聖書に書かれています



テモテの手紙: 2: 6

同じように、若い人々には、思慮深くあるように勧めなさい。



9:22

語れ。――主の御告げはこうだ。――人間のしかばねは、畑の肥やしのように、刈り入れ人のあとの、集める者もない束のように、横たわる。


畑は麦(クリスチャン、初穂はキリスト)の育つ所、御言葉の種が蒔かれる所などで教会のことです。


人間のしかばねは、畑の肥やしのように、刈り入れ人のあとの、集める者もない束のように、横たわる。


ですから舞台は教会!クリスチャンについて書かれているのです。




サタンの使いが聖霊と偽って悪霊(火)を与える→それが欲しい!と誓うクリスチャン→受ける→それ(悪霊の火)を隣人にも与える→世界に広がる(燃える)



という事が教会で起こっています。思慮深くあってください、動画を集めました。

http://ameblo.jp/rebanonn/theme-10010468416.html  



9:17

万軍の主はこう仰せられる。「よく考えて、泣き女を呼んで来させ、使いをやって巧みな女たちを連れて来させよ。」

9:18

彼らをせきたて、私たちのために嘆きの声をあげさせ、私たちの目に涙をしたたらせ、私たちのまぶたに水をあふれさせよ。

9:19

シオンから嘆きの声が聞こえるからだ。ああ、私たちは踏みにじられ、いたく恥を見た。私たちが国を見捨て、彼らが私たちの住まいを投げやったからだ。

9:20

女たちよ。主のことばを聞き、あなたがたの耳は、主の言われることばを受けとめよ。あなたがたの娘に嘆きの歌を教え、隣の女にも哀歌を教えよ。



エレミヤの部屋では聖書の隠されたことを書かれています、新約の終わりの時代のクリスチャンの兄弟姉妹たち是非ご覧ください。http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/  


主の御心ならば 次回はエステル記か、ノアの箱舟のことを書こうと思います。