長い間、町を包囲して、これを攻め取ろうとするとき、斧をふるって、そこの木を切り倒してはならない。その木から取って食べるのはよいが、切り倒してはならない。まさか野の木が包囲から逃げ出す人間でもあるまい。
ただ、実を結ばないとわかっている木だけは、切り倒してもよい。それを切り倒して、あなたと戦っている町が陥落するまでその町に対して、それでとりでを築いてもよい。
一体木とは何なのでしょうか。 聖書ではオリーブの木、いちじくの木、ぶどうの木、などクリスチャンは「木」に「たとえ」られてるのは皆さんもうご存知ですよね。
賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。
泉が甘い水と苦い水を同じ穴からわき上がらせるというようなことがあるでしょうか。
私の兄弟たち。いちじくの木がオリーブの実をならせたり、ぶどうの木がいちじくの実をならせたりするようなことは、できることでしょうか。塩水が甘い水を出すこともできないことです。
ここでもクリスチャン(兄弟)と、木が関連されていますね。 では見て行きます。たとえで
長い間、町を包囲して、これを攻め取ろうとするとき、斧をふるって、そこの木を切り倒してはならない。その木から取って食べるのはよいが、切り倒してはならない。まさか野の木が包囲から逃げ出す人間でもあるまい。
長い間、町を包囲して、これを攻め取ろうとするとき、
町は家(教会1テモテ3:15)が沢山集まっている所、何とか 連盟 派 教団 などのキリスト内の団体の事としてみます。
ここではその 町 を攻め取る時にどうするか?もっと言えば この通りやればいい 順序 手順
違反してないと言う神様の隠れた霊的な律法です。
斧をふるって、そこの木を切り倒してはならない。
ここはここと似ています
それで、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出て来た群衆に言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。
それならそれで、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの先祖はアブラハムだ。』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。
斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」
旧約の民に一回、そして新約の民に神の裁きを受けそうなクリスチャンへの、警告になっています。
盛んに言われている「第三の波」等の悪霊の火(霊)の事です。
その木から取って食べるのはよいが、切り倒してはならない。まさか野の木が包囲から逃げ出す人間でもあるまい。
切り倒すと、実ができません。ましてや枯れ木が燃やされては大変です。
ネゲブの森に言え。『主のことばを聞け。神である主はこう仰せられる。見よ。わたしはおまえのうちに火をつける。その火はおまえのうち、すべての緑の木と、すべての枯れ木を焼き尽くす。その燃える炎は消されず、ネゲブから北まですべての地面は焼かれてしまう。
そのとき、すべての者は、主であるわたしが燃やしたことを見るであろう。その火は消されない。』」
そこで、私は叫んだ。「ああ、神、主よ。彼らは私について、『彼はたとえ話をくり返している者ではないか。』と言っています。」
20:49
そこで、私は叫んだ。「ああ、神、主よ。彼らは私について、『彼はたとえ話をくり返している者ではないか。』と言っています。」
まさに、私みたいですね。
その木から取って食べるのはよいが、切り倒してはならない。まさか野の木が包囲から逃げ出す人間でもあるまい。
まさか野の木が包囲から逃げ出す人間でもあるまい。
そうですよね、まさかね~まさか、野の木が包囲から逃げ出す人間な訳がないですよね~~木が「クリスチャンの事を書かれている」なわけないですよね~。 ヒントです、ヒントここ
ただ、実を結ばないとわかっている木だけは、切り倒してもよい。
これは ルカの福音書3: 7 やここと似ています。
翌朝、イエスは都に帰る途中、空腹を覚えられた。
道ばたにいちじくの木が見えたので、近づいて行かれたが、葉のほかは何もないのに気づかれた。それで、イエスはその木に「おまえの実は、もういつまでも、ならないように。」と言われた。すると、たちまちいちじくの木は枯れた。
弟子たちは、これを見て、驚いて言った。「どうして、こうすぐにいちじくの木が枯れたのでしょうか。」
イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言っても、そのとおりになります。
それを切り倒して、あなたと戦っている町が陥落するまでその町に対して、それでとりでを築いてもよい。
逆に実の無いクリスチャンを使い、町(教会のあつまり)が陥落するまで使っても良い 事が書かれています。
それがわかると、以下のこともわかりませんか。
あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。
同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。
良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。
良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。
良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー-ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
火に投げ込まれたって、永遠の命があるし、確かにきついかもしれないが 御国に行けるだろう
イザヤ 33:11 枯れ草をはらみ、わらを産め/火のような霊がお前たちをなめ尽くす。 (新共同約)
つまり、今盛んに行なわれいる リバイバル(火) は要注意してください。
そんな動画を集めました http://ameblo.jp/rebanonn/theme-10010468416.html
エレミヤの部屋では聖書のたとえが沢山あります、解り易いので 是非是非お読みくださって、主の裁きを過ぎこしましょう。 http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/
というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。
もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、
各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現われ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。