13: 2
こんばんは、箴言をたとえでみてきます まず
それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。
私的解釈はギリシャ語で「自身」で他の箇所を参照にして、みて行くと聖書の隠されていたことが、解るきっかけになります。
父のほかの箇所を参照にします
あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。
「はい。」 という事で天の父のことになります。私はクリスチャンに書いています。
あざける者 の他の箇所を参照
2ペテロ3: 3
まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、
次のように言うでしょう。「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」
今の教会でも聞きませんか?
「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」
終わりの日にあざける者がやってきます 勿論クリスチャン内です。(聖書のあざける者の箇所は終わりの日に関連しています)
知恵のあるクリスチャンは天の父の訓戒に従って、終わりの日に現れるあざける者は叱責を聞きません。
13: 2
良いものとは勿論霊的には霊の糧、霊的な食事のことです 実を実らせるようキリストに留まりましょう。
わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。
わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。
あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。
わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
15: 5
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。
だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。
これが悪霊のリバイバルです↑動画を集めました http://ameblo.jp/rebanonn/theme-10010468416.html
別の箇所では 新共同約ですが
イザヤ 33:11 枯れ草をはらみ、わらを産め/火のような霊がお前たちをなめ尽くす。
火と霊の密接な関連性が見て取れます。 奇跡や不思議現象ではなく信仰によって永遠の命を保ち、悔い改めてください。キリストと和解するように努めてください。
あなたを告訴する者といっしょに役人の前に行くときは、途中でも、熱心に彼と和解するよう努めなさい。そうでないと、その人はあなたを裁判官のもとにひっぱって行きます。裁判官は執行人に引き渡し、執行人は牢に投げ込んでしまいます。
世の中でも口を見張らないで何でも口に入れたら病気になったりします 下手をすると毒キノコなど食べて死んでしまいます。
同じように霊的な口霊的な栄養を受けるにも、やはり見張りが必要と思います、様々な教理が世界の教会にありますが、 吟味し 霊的な口を見張り自分の永遠の命を守りましょう。
くちびるを大きく開く者には滅びが来る。 と言う事になりませんように。
それと、もうひとつ キリストのからだ(教会)としての からだの一つ一つの器官である我々もキリストのからだの「口の器官に相当する役割の人」から、入る様々な情報、教理、聖会あらゆる教会に入る霊的な糧を見張り なんでもかんでも、受け容れる事が無いように。 しかし、一切教会に入れないのが最善です。
別の箇所ですと(沢山あります)
主はこう仰せられる。『あなたがた自身、気をつけて、安息日に荷物を運ぶな。また、それをエルサレムの門のうちに持ち込むな。
また、安息日に荷物を家から出すな。何の仕事もするな。わたしがあなたがたの先祖に命じたとおりに安息日をきよく保て。
しかし、彼らは聞かず、耳も傾けず、うなじのこわい者となって聞こうとせず、懲らしめを受けなかった。
一見関係ないように見えますが。
しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
現在は「1日は千年」とみますと、安息日に当たり、エルサレム(教会)家(教会)(1テモテ3:15)に霊的荷物を運んだり、教会から霊的な荷物を出さないように 実は書かれ預言され、警告されています。
主はこう仰せられる。「公正を守り、正義を行なえ。わたしの救いが来るのは近く、わたしの義が現われるのも近いからだ。」
幸いなことよ。安息日を守ってこれを汚さず、どんな悪事にもその手を出さない、このように行なう人、これを堅く保つ人の子は。
神様の救いと、安息日が関連つけられ、近い場所にあります。
ベニーヒンなどがクリスチャンと偽って、悪霊のバプテスマをしているのに 霊的にくちびるを大きく開いてしまい、吟味せず 教会に入れてしまった 人たちが沢山います そんな現象を集めて見ました動画です。
http://ameblo.jp/rebanonn/theme-10010468416.html
エレミヤの部屋では、聖書のたとえ、聖書からの警告などを書かれています 是非是非ご覧ください。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/