求める者には与え、借りようとする者は断わらないようにしなさい。
『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。
天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、
正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
こんにちは、できる範囲でやってみます。 聖書の雨の隠れた意味について みて行きたいのです。
正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
実際そうです、日本にも正しい人 正しくない人がいるのに 正しい人のみではなく、正しくない人にも雨を降らせて下さっています。
さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。
喉が渇いて、水筒などを持って水をイエス様に戴くのではなく、聖霊の事を書かれています。
実に他のあらゆるものではなく 主のみにこの事ができます。
水 聖霊 新約の中、旧約にも水の箇所が多いのですが、聖霊の意味としても見て頂ければと思います。
勿論反対の悪霊も ある箇所では「たとえ」られています。主にお聞きくださってお読みください
そうすると、この箇所の水の意味も実は聖霊の事を書かれている事が隠されているのでした。
正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。
その後、キリストを売った イスカリオテのユダ以外の使途に聖霊が下りました。
ではもう一回あったのだから、もうないのでしょうか?
そこで、私は彼を拝もうとして、その足もとにひれ伏した。すると、彼は私に言った。「いけません。私は、あなたや、イエスのあかしを堅く保っているあなたの兄弟たちと同じしもべです。神を拝みなさい。イエスのあかしは預言の霊です。」
イエスのあかしは預言の霊です。 あります
その時になると、不法の人が現われますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。
息の原語は霊 つまり聖霊が吹かれる 別の言い方をすれば雨が降るということになります。
こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。
あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。
主の再臨と聖霊(雨)の事が関連つけられています。
一体聖書は農夫の事を気にかけているのでしょうか 農夫はクリスチャンにたとえられています
もう一つのたとえを聞きなさい。ひとりの、家の主人がいた。彼はぶどう園を造って、垣を巡らし、その中に酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
さて、収穫の時が近づいたので、主人は自分の分を受け取ろうとして、農夫たちのところへしもべたちを遣わした。
ぶどうは実を結ぶクリスチャンのたとえ ヨハネの福音書「わたしはぶどうの木」の箇所です
ぶどうが育つ ぶどう園 教会の「たとえ」となっております。
一回目は、旧約の民が農夫 二回目主の再臨の時は 新約の民が農夫になってます
家の主人(キリストが)旅から帰ってくるのです(再臨)
こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。
もう一回無かったらこうかかれていません、もう終わったのだったら 雨に関する記述は必要ではないですから
一体クリスチャンは世の雨を耐え忍んで待っているのでしょうか 聖霊の降る事を耐え忍んで待っているのです。
ですから今聖霊に満たされた、霊の賜物が沢山あると言う霊的な金持ちは ベニーヒン(サタン使い)と同じような霊的現象をしてる人たちは かえって危険なのです なぜなら
その時になると、不法の人が現われますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。
結果 不法の人は(悪霊を使うクリスチャンは)
わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。
その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行なったではありませんか。』
しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』
悪霊の追い出し、奇跡、預言 もしています。
簡単に書きますと、霊的賜物に引かれたクリスチャンが「実は悪霊の霊的賜物(魔術)を受け容れてしまい」
結果、サタンの使い、魔女と同じように滅びる という主の恐ろしい策略があります。
その時この預言が「たとえで」成就します。
5:45
それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。
天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
以下 角笛、終末の警告から転載~~
本の中で「ボルデモート」という霊が主役の一人を演じていることに注目しよう。彼は「名付けてはならない」とされ、「名なし」とも呼ばれている。高度なルシファー教とウィッカの教えでは、「名なし」と呼ばれる堕落天使がいて、60年代終わりには、『名なしの馬』という、彼を歌う魔女の賛歌が流行したものだ。歌の初めはこうなっている。「名なしの馬に乗って荒地をさまよった。雨から抜け出せてよかった」
雨とは聖書に書かれている「聖霊」の恵みの雨のことだ。荒地は悪霊のさまよう霊的な場所である。救い主は、マテオ12:43でこう言われてはいないだろうか。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/5614/hari3.html
↑彼ら(魔術を使う人たち)も聖霊(雨)は危険であると認識しているのに
クリスチャンが霊の見極めをなくしたらどうしますか。
今の教会では金粉が出たり、金が出たり、世の油が出たり人を倒していますが
皆さん、本当に大丈夫ですか?動画を集めましたので見極めてください 聖霊か?悪霊か?
http://ameblo.jp/rebanonn/theme-10010468416.html
別に↑のようなしるしや奇跡を行なう霊的賜物はもってない と言う人は忍耐して主の再臨を待ってください。
イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。
自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都にはいれるようになる者は、幸いである。
犬ども、魔術を行なう者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、好んで偽りを行なう者はみな、外に出される。