イスラエルの祝福 マナセとエフライム | 777のクリスチャンへの警告と聖書 蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ

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創世記 48: 8

イスラエルはヨセフの子らに気づいて言った。「これはだれか。」

48: 9

ヨセフは父に答えた。「神がここで私に授けてくださった子どもです。」すると父は、「彼らを私のところに連れて来なさい。私は彼らを祝福しよう。」と言った。

48:10

イスラエルの目は老齢のためにかすんでいて、見ることができなかった。それでヨセフが彼らを父のところに近寄らせると、父は彼らに口づけし、彼らを抱いた。

48:11

イスラエルはヨセフに言った。「私はあなたの顔が見られようとは思わなかったのに、今こうして、神はあなたの子どもをも私に見させてくださった。」

48:12

ヨセフはヤコブのひざから彼らを引き寄せて、顔を地につけて、伏し拝んだ。

48:13

それからヨセフはふたりを、エフライムは自分の右手に取ってイスラエルの左手に向かわせ、マナセは自分の左手に取ってイスラエルの右手に向かわせて、彼に近寄らせた。

48:14

すると、イスラエルは、右手を伸ばして、弟であるエフライムの頭の上に置き、左手をマナセの頭の上に置いた。マナセが長子であるのに、彼は手を交差して置いたのである。

48:15

それから、ヨセフを祝福して言った。「私の先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神。きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神。

48:16

すべてのわざわいから私を贖われた御使い。この子どもたちを祝福してください。私の名が先祖アブラハムとイサクの名とともに、彼らのうちにとなえ続けられますように。また彼らが地のまなかで、豊かにふえますように。」

48:17

ヨセフは父が右手をエフライムの頭の上に置いたのを見て、それはまちがっていると思い、父の手をつかんで、それをエフライムの頭からマナセの頭へ移そうとした。

48:18

ヨセフは父に言った。「父上。そうではありません。こちらが長子なのですから、あなたの右の手を、こちらの頭に置いてください。」

48:19

しかし、父は拒んで言った。「わかっている。わが子よ。私にはわかっている。彼もまた一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし弟は彼よりも大きくなり、その子孫は国々を満たすほど多くなるであろう。」

48:20

そして彼はその日、彼らを祝福して言った。「あなたがたによって、イスラエルは祝福のことばを述べる。『神があなたをエフライムやマナセのようになさるように。』」こうして、彼はエフライムをマナセの先にした。


早速見て行きますね  何かクリスチャンに書かれてるかと 探ってみるのです。霊的なことで。


創世記 48: 8

イスラエルはヨセフの子らに気づいて言った。「これはだれか。」

48: 9

ヨセフは父に答えた。「神がここで私に授けてくださった子どもです。」すると父は、「彼らを私のところに連れて来なさい。私は彼らを祝福しよう。」と言った。


ヨセフはエジプトの大臣になって子どもをもうけました そして父が彼ら(子ども)を祝福する場面です。


48:10

イスラエルの目は老齢のためにかすんでいて、見ることができなかった。それでヨセフが彼らを父のところに近寄らせると、父は彼らに口づけし、彼らを抱いた。

48:11

イスラエルはヨセフに言った。「私はあなたの顔が見られようとは思わなかったのに、今こうして、神はあなたの子どもをも私に見させてくださった。」

48:12

ヨセフはヤコブのひざから彼らを引き寄せて、顔を地につけて、伏し拝んだ。


そして 

48:13

それからヨセフはふたりを、エフライムは自分の右手に取ってイスラエルの左手に向かわせ、マナセは自分の左手に取ってイスラエルの右手に向かわせて、彼に近寄らせた。


48:13

それからヨセフはふたりを、エフライムは自分の右手に取ってイスラエルの左手に向かわせ、


ヨセフはエフライムを自分の右手に取り イスラエルの左手に向かわせました、そしてマナセは


マナセは自分の左手に取ってイスラエルの右手に向かわせて、彼に近寄らせた。


         ○エフライム

イスラエル○        ○ヨセフ 

         ○マナセ


こんな感じです

48:14

すると、イスラエルは、右手を伸ばして、弟であるエフライムの頭の上に置き、左手をマナセの頭の上に置いた。マナセが長子であるのに、彼は手を交差して置いたのである。


マナセが長子であるのに マナセが長子であるのに マナセが左手なのです。


         ○マナセ

イスラエル○

         ○エフライム

こうなりました


手を交差せず置けば良いのになぜか交差します 気まぐれ?まさか!!絶対に聖書にそんな事は無いです。  


48:15

それから、ヨセフを祝福して言った。「私の先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神。きょうのこの日まで、ずっと私の羊飼いであられた神。

48:16

すべてのわざわいから私を贖われた御使い。この子どもたちを祝福してください。私の名が先祖アブラハムとイサクの名とともに、彼らのうちにとなえ続けられますように。また彼らが地のまなかで、豊かにふえますように。」


そして祝福しました

マナセが左手で エフライムが右手なのです。


48:17

ヨセフは父が右手をエフライムの頭の上に置いたのを見て、それはまちがっていると思い、父の手をつかんで、それをエフライムの頭からマナセの頭へ移そうとした。

わざわざ手を交差して・・・ ちゃんと準備してたのになぜ交差したのか私にも解りませんでした。


48:18

ヨセフは父に言った。「父上。そうではありません。こちらが長子なのですから、あなたの右の手を、こちらの頭に置いてください。」


日本も長子ですと、色々特権があります 家を継いだり、家業を継いだり 遺産を継いだりと弟よりその権利があるのです。表札が長子の名前になったりもします。


長子なんだから 手を長子の頭において祝福して下さいと。


右も左も同じではないか


聖書の 右の『たとえ』 右の定義


2ペテロ: 1:20

それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。


私的解釈(ギリシャ語 それ自身)の解釈をせず他の聖書箇所を参照してみます。


マタイの福音書:25:33

羊を自分の右に、山羊を左に置きます。

:25:34

そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。


使徒言行録: 2:33

ですから、神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。

: 5:31

そして神は、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えるために、このイエスを君とし、救い主として、ご自分の右に上げられました。

: 7:55

しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、

: 7:56

こう言った。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」

コリント: 3: 1

こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。

ヘブライ: 8: 1

以上述べたことの要点はこうです。すなわち、私たちの大祭司は天におられる大能者の御座の右に着座された方であり、

:12: 2

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

マタイ:22:44

『主は私の主に言われた。「わたしがあなたの敵をあなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」』と言っているのですか。

:26:64

イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言っておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見ることになります。」

マルコ:12:36

ダビデ自身、聖霊によって、こう言っています。『主は私の主に言われた。「わたしがあなたの敵をあなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」』

:14:62

そこでイエスは言われた。「わたしは、それです。人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。」

:16:19

主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。

ルカ:20:43

「わたしが、あなたの敵をあなたの足台とする時まで、わたしの右の座に着いていなさい。」』

:22:69

しかし今から後、人の子は、神の大能の右の座に着きます。」
使徒言行録: 2:35

わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまではわたしの右の座に着いていなさい。』

ローマ: 8:34

罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。

エペソ: 1:20

神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、

ヘブライ: 1: 3

御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。

: 1:13

神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」

:10:12

しかし、キリストは、罪のために一つの永遠のいけにえをささげて後、神の右の座に着き、

1ペテロ: 3:22

キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。


右はいい場所です。


なんで右手にエフライム 左にマナセなの?



右 エフライム(実りの多い、結実)   左 マナセ(忘れる)


実りの多い? 結実?


ヨハネの手紙:15: 4

わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。

:15: 5

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。


キリストにとどまってるクリスチャンは多くの実を結びます。(ぶどうの枝のたとえをわかる一つの箇所ですでもあります。)

しかし留まっていないと こうなります。今の第三の波の偽りのリバイバルのことを含めて私は見ています 動画があります>http://ameblo.jp/rebanonn/theme-10010468416.html


15: 6

だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。


マナセ(忘れる)


忘れる・・・ 極端な事を書けば イエスキリストは救い主 罪の購い 等々あります。

        さらに霊を求めたり マリヤとの間に子がいたり 偉大なクリスチャンが来る!とかなんとかいって、忘れています。

日曜に教会に招いて、その人目当てで人を呼んだり・・・世の映画や本を薦めたり(クリスチャンと言われてる人が書いてたり作ってる映画)


夫(キリスト)の妻(教会)であるのに、他のバアル(主人)を求めて姦淫したりしています。


家は1テモテ3:15で教会の事です 妻も教会です。
エレミヤ書 5: 7

これでは、どうして、わたしがあなたを赦せよう。あなたの子らはわたしを捨て、神でないものによって誓っていた。わたしが彼らを満ち足らせたときも、彼らは姦通をし、遊女の家で身を傷つけた。

5: 8

彼らは、肥え太ってさかりのついた馬のように、おのおの隣の妻を慕っていななく。

5: 9

これらに対して、わたしが罰しないだろうか。――主の御告げ。――このような国に、わたしが復讐しないだろうか。


つまり書きたい事は、マナセ(忘れる)クリスチャンではなく

エフライム(実りの多い、結実)を結ぶクリスチャンになりましょう。


48:19

しかし、父は拒んで言った。「わかっている。わが子よ。私にはわかっている。彼もまた一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし弟は彼よりも大きくなり、その子孫は国々を満たすほど多くなるであろう。」

48:20

そして彼はその日、彼らを祝福して言った。「あなたがたによって、イスラエルは祝福のことばを述べる。『神があなたをエフライムやマナセのようになさるように。』」こうして、彼はエフライムをマナセの先にした。


エレミヤの部屋では多くのたとえ 聖書の隠された事 聖書の預言の解説があります

http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/