「兄弟たち。イエスを捕えた者どもの手引きをしたユダについて、聖霊がダビデの口を通して預言された聖書のことばは、成就しなければならなかったのです。
ユダは私たちの仲間として数えられており、この務めを受けていました。
(ところがこの男は、不正なことをして得た報酬で地所を手に入れたが、まっさかさまに落ち、からだは真二つに裂け、はらわたが全部飛び出してしまった。
このことが、エルサレムの住民全部に知れて、その地所は彼らの国語でアケルダマ、すなわち『血の地所』と呼ばれるようになった。)
実は詩篇には、こう書いてあるのです。『彼の住まいは荒れ果てよ、そこには住む者がいなくなれ。』また、『その職は、ほかの人に取らせよ。』
ですから、主イエスが私たちといっしょに生活された間、
すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」
「兄弟たち。イエスを捕えた者どもの手引きをしたユダについて、聖霊がダビデの口を通して預言された聖書のことばは、成就しなければならなかったのです。
ユダは私たちの仲間として数えられており、この務めを受けていました。
(ところがこの男は、不正なことをして得た報酬で地所を手に入れたが、まっさかさまに落ち、からだは真二つに裂け、はらわたが全部飛び出してしまった。
もともと十二使途であるイスカリオテのユダがキリストを売りました(この事を覚えておいて下さい、外の人ではなく中の人です)
新約の民としてみるなら
不正な事 父子聖霊 また、言葉は神であった 御言葉を売り それで
不正なことをして得た報酬で地所を手に入れたが、まっさかさまに落ち、からだは真二つに裂け、はらわたが全部飛び出してしまった。
のです、この順番 キリストを売ってからイスカリオテのユダに起こった事を皆さん知ってください。(かつてのことだが、これからキリストを売るクリスチャンが出るからです 今もいます)
1:19
このことが、エルサレムの住民全部に知れて、その地所は彼らの国語でアケルダマ、すなわち『血の地所』と呼ばれるようになった。)
キリストとの貞節を忘れ (霊的に)姦淫する地所がホセア書にも出てきます
羊牛もクリスチャンのたとえです
わたしはエフライムを知っていた。イスラエルはわたしに隠されていなかった。しかし、エフライムよ、今、あなたは姦淫をし、イスラエルは身を汚してしまった。
彼らは自分のわざを捨てて神に帰ろうとしない。姦淫の霊が彼らのうちにあって、彼らは主を知らないからだ。
5: 5
イスラエルの高慢はその顔に現われている。イスラエルとエフライムは、おのれの不義につまずき、ユダもまた彼らとともにつまずく。
彼らは羊の群れ、牛の群れを連れて行き、主を尋ね求めるが、見つけることはない。主は彼らを離れ去ったのだ。
彼らは主を裏切り、他国の男の子を生んだ。今や、新月が彼らとその地所を食い尽くす。
霊的に姦淫し神の国ではない他国の男の子(妻女(教会)から生まれる 主の御心の神の国から生まれていない クリスチャンといわれてる人) が かえってその地所を食い尽くす事が書かれています
http://www.youtube.com/watch?v=vSvP0u7a0dI&feature=player_embedded
3:00~4:00 このように増えます(獣の印をつけろといってた人と共にいた人です)
1:20
実は詩篇には、こう書いてあるのです。『彼の住まいは荒れ果てよ、そこには住む者がいなくなれ。』また、『その職は、ほかの人に取らせよ。』
不正なことをして得た報酬で地所を手に入れたが その結果
『彼の住まいは荒れ果てよ、そこには住む者がいなくなれ。』また、『その職は、ほかの人に取らせよ。』
と、なります。
イエス様が始めてこられた時、神の民は神様の道から大きく外れていました。
何回も諭したにもかかわらず、聞く耳を持たず帰って十字架につけました。
そしてかつての神の民はローマ軍によって滅ぼされました
その後12使途がイエス様の道を歩きました そして世界に教会が増えクリスチャンが増えました。
『彼の住まいは荒れ果てよ、そこには住む者がいなくなれ。』また、『その職は、ほかの人に取らせよ。』
という箇所が成就しました、これで終わりではなく 終末にもう一回成就します。
すなわち キリストを売った クリスチャンが裁かれ 他の人が継ぐ事になるのです
ですから、主イエスが私たちといっしょに生活された間、
すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」
以下の事ももう一回成就します。なにによってでしょう「たとえ」によってです。
ぶどう園の主人=主 ぶどう=わたしはぶどうの木あなた方はその枝である 実を結ぶクリスチャンぶどう
収穫の時=黙示録の収穫の時 ぶどう畑=クリスチャンが育つ場所 教会のたとえ
家の主=ベルゼブル論争 家長をベルゼブルと呼ぶのなら 家教会のたとえテモテ3:15
教会の主 イエスキリスト
もう一つのたとえを聞きなさい。ひとりの、家の主人がいた。彼はぶどう園を造って、垣を巡らし、その中に酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
21:34
さて、収穫の時が近づいたので、主人は自分の分を受け取ろうとして、農夫たちのところへしもべたちを遣わした。
すると、農夫たちは、そのしもべたちをつかまえて、ひとりは袋だたきにし、もうひとりは殺し、もうひとりは石で打った。
そこでもう一度、前よりももっと多くの別のしもべたちを遣わしたが、やはり同じような扱いをした。
21:38
すると、農夫たちは、その子を見て、こう話し合った。『あれはあと取りだ。さあ、あれを殺して、あれのものになるはずの財産を手に入れようではないか。』
21:39
そして、彼をつかまえて、ぶどう園の外に追い出して殺してしまった。
このばあい、ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょう。」
彼らはイエスに言った。「その悪党どもを情け容赦なく殺して、そのぶどう園を、季節にはきちんと収穫を納める別の農夫たちに貸すに違いありません。」
イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。』
だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。
また、この石の上に落ちる者は、粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛ばしてしまいます。」
祭司長たちとパリサイ人たちは、イエスのこれらのたとえを聞いたとき、自分たちをさして話しておられることに気づいた。
それでイエスを捕えようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者と認めていたからである。
エレミヤの部屋には多くの聖書のたとえ 終末の主からのクリスチャンへの裁きについて載っています
ひとりでも主のみ心は何なのか霊の目が開けますように http://www.geocities.co.jp/Technopolis/6810/