そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
聞いていた人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。
両親は彼を見て驚き、母は言った。「{子よ。}まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」
するとイエスは両親に言われた。「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」
しかし両親には、イエスの話されたことばの意味がわからなかった。
イエス様の両親が探した時、イエス様は父の家にいらっしゃいました。
わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」
しかし、宮にいました(新共同約 神殿)
そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
父の家?
1テモテ3:15 神の家とは生ける神の教会のことであり (家 教会のたとえ)
と言う事で、教会 天の(父の家)にイエス様がいらっしゃるのは皆さんご存知です。(礼拝してますよね?)
しかし、宮、神殿、天幕、はなぜ 教会のたとえなのでしょうか 神殿
イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」
そこで、ユダヤ人たちは言った。「この神殿は建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。」
しかし、イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。
それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばとを信じた。
たとえで見ますと、キリストのからだ(教会)の事です。ですから神殿とキリストのからだ(教会)は同じ「たとえ」でも見る事が出来るのです。
宮、天幕、も神様のおられる所、礼拝する所をして 教会のたとえでもあります。
自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。
この人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。
また、ダビデは神殿を建てようとしていました (家教会を建てる 天幕教会を建てる 神殿教会を建てる)
ヨハネの福音書2:19
イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」
しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
主の十字架から 三日目 3000年目 西暦2000~ に神の義の宿る教会が建てられると信じています。
宮、神殿、天幕、家 全部が全部と言い切れませんが、教会の「たとえ」としても、聖霊に聞きながらお読みくださると うれしいです。主が知らせてくださいますように。
もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。
あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。
ここでは、神殿としてたとえられるクリスチャンの事を書かれています
神様は皆さんにとてもよいものを残してくださっています。神様に聞きながら聖書をお読みください。
エレミヤの部屋も「たとえ」があります
私なんかより、よっぽど沢山詳しく書かれていますのでご覧ください。