聖書の死因から危険を回避する | 777のクリスチャンへの警告と聖書 蛇のように聡く、鳩のように無垢であれ

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こんばんは、聖書でよく死ぬ人がいるので、その死因及びどうしてこうなってしまったのか?
というのを知る事はその道を行かないようにする有効な情報であるように思います。

世の中でも人が死ぬと「あ~あそこは危ないんだな」とか、「こうならないように備え注意しよう」となりませんか


使徒言行録 12:21

定められた日に、ヘロデは王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。

12:22

そこで民衆は、「神の声だ。人間の声ではない。」と叫び続けた。

12:23

するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。


ここでは主のみ使いがヘロデを打ちました、その後虫にかまれて息が絶えました(新共同約 蛆)

普通の死に方じゃないですなぜなら・・・ 

主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。  からです。

ヘロデは二歳以下の子供を殺したり色々悪い事をしましたが ここでは


ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。

と、あります

私はこんな死に方したくないので、主に栄光を帰す ようにしたいです。

ヘブライ人への手紙 10:29

まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。

10:30

私たちは、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする。」、また、「主がその民をさばかれる。」と言われる方を知っています。

10:30

生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。



民数記 16: 1

レビの子ケハテの子であるイツハルの子コラは、ルベンの子孫であるエリアブの子ダタンとアビラム、およびペレテの子オンと共謀して、

16: 2

会衆の上に立つ人たちで、会合で選び出された名のある者たち二百五十人のイスラエル人とともに、モーセに立ち向かった。

16: 3

彼らは集まって、モーセとアロンとに逆らい、彼らに言った。「あなたがたは分を越えている。全会衆残らず聖なるものであって、主がそのうちにおられるのに、なぜ、あなたがたは、主の集会の上に立つのか。」

16: 4

モーセはこれを聞いてひれ伏した。

16: 5

それから、コラとそのすべての仲間とに告げて言った。「あしたの朝、主は、だれがご自分のものか、だれが聖なるものかをお示しになり、その者をご自分に近づけられる。主は、ご自分が選ぶ者をご自分に近づけられるのだ。


人間的な思いで神の選びになった モーセ に コラ、ダタン、アビラム、オンが共謀して反抗しました。

リーダーになろうとモーセの場所をとり自分たちのものにしようとしたのでしょうか


その結果どうなったかと言うと

民数記 16:28

モーセは言った。「私を遣わして、これらのしわざをさせたのは主であって、私自身の考えからではないことが、次のことによってあなたがたにわかるであろう。

16:29

もしこの者たちが、すべての人が死ぬように死に、すべての人の会う運命に彼らも会えば、私を遣わされたのは主ではない。

16:30

しかし、もし主がこれまでにないことを行なわれて、地がその口を開き、彼らと彼らに属する者たちとを、ことごとくのみこみ、彼らが生きながらよみに下るなら、あなたがたは、これらの者たちが主を侮ったことを知らなければならない。」

16:31

モーセがこれらのことばをみな言い終わるや、彼らの下の地面が割れた。

16:32

地はその口をあけて、彼らとその家族、またコラに属するすべての者と、すべての持ち物とをのみこんだ。

16:33

彼らとすべて彼らに属する者は、生きながら、よみに下り、地は彼らを包んでしまい、彼らは集会の中から滅び去った。


16:31

モーセがこれらのことばをみな言い終わるや、彼らの下の地面が割れた。

16:32

地はその口をあけて、彼らとその家族、またコラに属するすべての者と、すべての持ち物とをのみこんだ。


のです


民数記 16:28

モーセは言った。「私を遣わして、これらのしわざをさせたのは主であって、私自身の考えからではないことが、次のことによってあなたがたにわかるであろう。

16:29

もしこの者たちが、すべての人が死ぬように死に、すべての人の会う運命に彼らも会えば、私を遣わされたのは主ではない。


どうも、ここにもヒントがあるような気がします、すべての人が死ぬように死なない聖書の箇所から        我々への警告があるのではないでしょうか。


ヨハネの福音書1:29

その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。

1:30

私が『私のあとから来る人がある。その方は私にまさる方である。私より先におられたからだ。』と言ったのは、この方のことです。

1:31

私もこの方を{メシヤとしては}知りませんでした。しかし、この方がイスラエルに明らかにされるために、私は来て、水でバプテスマを授けているのです。」


このように、主を 「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。 と言って信じていたヨハネでした。  が


牢につながれていたヨハネです。
ルカ7:19

すると、ヨハネは、弟子の中からふたりを呼び寄せて、主のもとに送り、「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちはほかの方を待つべきでしょうか。」と言わせた。

7:20

ふたりはみもとに来て言った。「バプテスマのヨハネから遣わされてまいりました。『おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも私たちはなおほかの方を待つべきでしょうか。』とヨハネが申しております。」


・・・・・・・ヨハネはその後首を切られ盆の上に乗せられました。


一体どういうことか、苦難の中にいても主こそ救い主であると、信じ続けましょう。

「灯台下暗し」ではないですが、主は救い主であると言う事を 当たり前、簡単、当然、と注意を怠り、高ぶる事のないようにしっかり主につきましょう。