『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』 という事をもっと詳しく見て行きたいのです。
隣人を自分自身のように愛さず、ひどい目に会う箇所があります。ひどい目というか・・・永遠の刑罰と 永遠の命の差です・・・たとえでみます。
人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。
そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、
25:33
羊を自分の右に、山羊を左に置きます。
そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
25:35
あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。
おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、
わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』
そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』
すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』
こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。」
あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
重要な事、それは聖書はクリスチャンが読むのです。
空腹であったとき、隣人に食べ物を与える してくださる人を何人も知っています
命の糧、聖書のみことばも霊的飢えの状態にある人を見つけたら、満腹するまで与えましょう。
わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ
共に祈り聖霊の満たしの努力も共にしましょう。
わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
ヘブライ11:13
これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。
わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
わたしが裸のとき 黙示録3:8 あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。
世の服を裸の人に与えるのは、皆さんなさるでしょう。霊的には 裸=恥、罪と関連し 我々が恥や罪の中にいた時、手助けしなかった人達の事でしょうか
わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い 霊的な病の事です、イエスの時代にも沢山病の人がいました、そして癒されました 足なえ、盲人、らい病。 そして、「たとえ」として 信仰の歩み 霊的な盲人 霊的な病の人も
父子聖霊なる 聖霊に触れ信仰の歩み、霊的な目、霊的な病も癒されていくのです。
みんな、クリスチャンの信仰生活の苦しみなのです!
わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
よく、囚人を訪問されますが 捕らえられ、自由に行動できないクリスチャン
神の義を言ってるのにかえって、異端扱いされているクリスチャンにも訪れてくださいね。
長々書きましたが、要約すると 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』
に集約されます・・・ですから、このことが本当に重大なのです。
霊的な、飢え、乾き、裸、病、地上で旅人のよう、周りから制限される すべてクリスチャンの悩みなのです
ですから『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』 これはありがたいのです
25:37
すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
25:40
すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
と、あります。なぜ 信仰の兄弟の しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのでしょうか?