申命記23:16 逃亡奴隷の保護
主人のもとを逃れてあなたのもとに来た奴隷を、その主人に引き渡してはならない。
17あなたの間に、すなわちあなたのどこかの街の彼が選ぶ場所に、望むがままにあなたと共に住まわせなさい。彼を虐げてはならない。(新共同)
今の時代、奴隷が逃げ出して自分のもとに来るなんて、無いですが かといってたとえではあるのです。
たとえば、暴言使われたり 暴力振るわれたり 自由なんて無い扱いを受けてもうこの宗教は嫌だと、教会に助けを求めてくる人のたとえです。(理由はいろいろです)
「それは大変だね、さあ戻りなさい」 いえ 教会で保護し、彼の望む場所にあなたと共に住まわせる と言うのが
主の命じられてる事です。
申命記23:25 人の畑のもの
25 隣人のぶどう畑に入る時は、思う存分満足するまでぶどうを食べてもよいが、籠に入れてはならない
26 隣人の麦畑に入るときは、手で穂を摘んでもよいが、その麦畑で鎌を使ってはならない。
ぶどう畑は ぶどうの育つところで、教会の事で、ぶどうは わたし(イエス)はぶどうの木あなたがたはその枝である また、ぶどうの実も我々のことです。(ヨハネの福音書15章)
またホセア書9:10で ぶどうとイスラエルの関連といちじくの事も書かれています。
たとえば、用事や話し合いなどで他の教会に行って、お話を聞いたりして霊的喜びはありますが
「ちょっと君、うちの教会に来ないか?」 これはダメです。
今書いていて、思ったのですがぶどうの実を一個一個籠に入れて持ち帰る人いないですよね
つまり、ぶどうごと籠に入れるのかな?と思いました。
26 隣人の麦畑に入るときは、手で穂を摘んでもよいが、その麦畑で鎌を使ってはならない。
なるほど、次の箇所に鎌がありますね、穂を摘んでも元は残りますが、鎌を使ってはだめですね
このように、同じ事を二つの節によって、ヒントを与えてくださる場所がよくあるのです。
99匹を山(教会)に残して一匹を探すところの後にもドラクメ銀貨を10枚持っている女(教会)が無くした一枚を探すのもあります。
注意して、神様に聞きながら読んで見てください。皆さんが聖霊の喜びに満たされますように。
エレミヤの部屋にまだ沢山あります。参照にしてくださいね。
申命記12:11 NO.595
申命記22:6 NO.599
NO.568