海の家の前にある海岸を散歩中に、 よく流木を見つける。

これを薪ストーブで燃やせないかと思って問い合わせてみたところ、塩を含んだ流木を燃やすと薪ストーブが錆びてしまうという。

しかたなく薪ストーブは断念したが、どうしても流木を燃料にすることはあきらめ切れない。

そこで、5、6年ほど前にスポーツ用品店で見かけたファイアピットを使ってみることができないかと考えた。

ファイアピットは、バーベキューグリルによく似ているが木の枝などを燃やすために大きく作られている。

また火花で火事にならないように上からスクリーンを被せるようにできている。

僕はこのファイアピットで、バーベキューができるタイプをアメリカのアマゾンで見つけた。釣りたての魚を流木を薪にして塩焼きにできるかもしれない。送料まで入れても意外と安かったので早速注文してみた。


海に近く、南部鉄ではさびやすいだろうと思い銅製のものを選んだ。

まだ肝心の海の家のバルコニーができていないので、当面は自宅のバルコニーで使おうと思っている。
国が最優先に取り組むべきは、外交?経済?震災復興?福祉?その他? ブログネタ:国が最優先に取り組むべきは、外交?経済?震災復興?福祉?その他? 参加中
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外交、経済、震災復興、福祉…これらは、国に先進国の一員としての有効な手段がすでにありやるべきことをやっていないといけないものばかりだ。優先もクソもない。国際的に協力して、金融や経済をモニタリングして、災害があれば復旧して、困った人がいればできるかぎり手助けをする。

世界三位の経済圏とかいっていて、これだけ基礎的なところができていない(最低限必要なことさえ何が優先かもめるほどにおぼつかない)のでは、最初からお話にならない。

これらのことを、当然のこととしてできているという前提のもとに、今国が何を最優先にしなければならないかは、自明の理であるはずだ。

まず、国は将来に向かって持続的に進んで行かなければならない。世界を見ても、経済や消費はとめどなく増え続け、いずれは食料不足になることが目に見えている。限りのある資源もどんどんと底をついていっている。

国としては、個人個人の能力が及び得ない先見の明を持ち、将来的に確実に起こる食糧危機、燃料危機、水不足など国民の多くが大打撃を受けうる危険性を予防する努力をすべきだ。

少子化を憂うなどとんでもない話だ。日本という国土がどんなことがあっても持続的に維持していける人口は今の何分の一しかないはずだ。

日本には、世界に例を見ない実用的な技術とそれを実現する知性がある。江戸時代には、人類史上唯一ほぼ完璧な持続型社会を実現していた。

これだけの技術力があれば、この近代社会でも再び持続型社会を実現することは不可能ではないはずなのだ。

しかし、そのためには生産と消費が、持続的にバランスをとらなければならない。

何らかの方法で、人口は今の数分の一、数十分の1にまで減少させる必要がある。生産は自動化技術を極限までつきつめて、人口に頼らない生産技術を開発していくべきだ。

何はともあれ、人間は雨風をしのぎ食事をすることさえできれば、基本的な生活はしていける。人類は悠久の昔より、自然エネルギーだけを利用してその基本的な生活を行なってきたのだ。

代替エネルギー技術が完成するまでには、まだまだ時間がかかる。それまでに、できるかぎりエネルギーを必要としない近代社会を実現していく必要がある。

国家をあげて、それを事業にすることだって可能なはずなのだ。

国に緑を。そして、海洋資源も回復させるだけの余裕を与える必要がある。

人間が増えすぎたのが近代社会の問題の大半なのだ。

国民を大切にしたいという気持ちが少しでもあるのなら、世界の未来への軌跡の上にある日本のあるべき姿を示して欲しい。
家内がアメリカ人ということもあって、僕はあまり平均的な行動を取らない。それでもたまに人と同じ行動をとってみると、人々の行動が非常に巧みに制御されていることが分かる。

例えば、年末の安売り。商品を大量にさばくために、期間を限定して消費者を操っている。

ピグライフなどのゲームサイトもそうだ。何万人という人が、ゲームサイトが提示する期間内に同じ行動を繰り返し繰り返しとるように仕向けられ、その中で一定の性向を持つ人がお金を落としてくれるような仕組みになっている。

もし行動制御に逆らおうとしたとしても、そこにいるだけでなんらかの時間をとられる行動をとらなければならないような環境が作られている。

お金で貢献できない場合には、時間と存在で貢献するように設計されているのだ。いくらお金を払ってでもゲームをやりたい人がいたとしても、場ががらんどうになっていたのでは食指も動かない。

お金を払わないで楽しむ人達も、お金儲けの片棒を担がされているのだ。

それによって、我々は何を得るか…パチンコと似たような無為無作為な時間つぶしだ。

失った時間は戻ってこない。ミヒャエル・エンデのモモにも出てくる灰色の時間泥棒が知らない間に時間を盗んでいってしまうのだ。

まあ、特に何かを達成しなければならないというものがないのなら、時間を盗まれるのもまた一興。行動を自由自在に操られるのも知っていさえすれば悪くはない。

問題は、近代社会には知らないうちに行動を制御し、時間を盗んでいく要素があまりに多すぎるということだ。ビジネス手法の中に組み込まれてしまっているからしかたがないのだろうが。
別にずっと眠り続けていたわけではないのだが、年末からブログもピグライフもお休みになっていた。

新しい年を気持よくすごせそうだ。

家内はコーヒーをこよなく好む。年末には、メリタのミルクフォーマーを購入したのだが、これが非常に具合がいい。

カプチーノタイプの細かい泡用、ラテタイプの大きめの泡用、そしてホットミルク用のみっつの部品がついてきて、65度のホットミルクと冷たいミルクを作れるので、5種類の使い方ができる。(少しかき混ぜた冷たいミルクを飲みたければ6種類)

エスプレッソマシンは棚にいれたままにしているので、泡立てたミルクをコーヒークリームがわりに入れる。

カルシウムを多めに摂取できて、クリームを買わなくてすむのが助かる。

家内はかならずおめざにコーヒーを淹れるのだが、僕は飲みたくない。

コーヒーの目覚めは、カフェインで体のストレスレベルをあげて頭をはっきりとさせる目覚めだからだ。ストレスが高まるせいで、胃にも影響がでる。

目が覚めたときには、心身ともに一日で一番リラックスしている。せっかくリラックスしている体にわざわざストレスをかけてイグニションをいれようというのは矛盾しているように思えてならない。

僕は、さらに体から一晩かけて処理された疲労物質をスムーズに追い出すために、たっぷりと水を飲みぬるいお風呂に入る。

体に少しでも固い処があれば、これで柔らかくなるし、血行が刺激されて頭がはっきりとする。これで、柔軟体操をして関節の状態を向上させる時間の余裕があればさらにいい。

おそろしく贅沢な目の覚まし方だとは思うが、体を壊し10年以上全身が膠着したままの状態を改善させるためには必要だった。最初からこれらを全部していたわけではないが、10年継続した研究の成果だ…
1種類だけ動物と話せるとしたらなにと話したい? ブログネタ:1種類だけ動物と話せるとしたらなにと話したい? 参加中
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うちにはプードルが一匹、スコティッシュフォールドが二匹いる。

一種類だけというと、犬か猫の二択…悩ましいところだ。

でも、言葉がなくても心は通じ合っていると思うし、彼らは彼らなりの言葉や表現で話しかけてくる。わざわざ、人間の言葉を話して欲しいと思うのは、人間のおごりだろう。

そこで、犬でも猫でもなくもっと実益のある動物を考えてみた。

どこにでもいて、なんでも見ていて、情報通で、タフで放射能にも負けない…そんな動物とお知り合いになったら、非常に有益だと思う…人間社会で言うと、それはGだ。

一匹みたら百匹いると思えというほどに、どんなところにもGはいる。寒いところにも暑いところにも、人間がいるところにはGはいる。クレムリンにもホワイトハウスにもいることだろう。

Gとコミュニケーションが取れるようになったら、世の中の情報はすべて筒抜けになるような気がする。
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私は大丈夫派!

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血行はいい方らしい。昔から周りの人達がしもやけに悩まされているときも、手袋ひとつせずに歩き回っていた。

零下20度の極寒のミシガンで、Tシャツ一枚でひょいと外に出て、死んでしまうぞと脅されたことがある。

そんな季節でも大学では授業がある。朝に弱かった僕は、授業の直前にシャワーで目を覚ます。

雪の中を歩くのに、スニーカーを履いていったのではすぐに傷んでしまう。サンダルをつっかけていったらかなりびっくりされた。

頭を乾かす暇もなかったある朝、そのままアパートを出ると、一瞬で髪の毛が硬くなった。フリーズドライのようなものだ。これは具合がいいと思って教室に行き、座っていたら髪の毛の氷がとけて、だらだらと顔に垂れてきて恥ずかしい思いをした。

こんな環境で平気だったのだから、僕は多分寒いのは大丈夫な方なんだろうと思う。

寒いのは苦手?
  • 苦手
  • 大丈夫

気になる投票結果は!?

Evernote から Evernote Food というアプリケーションが出た!

僕がこのブログを始めた動機も、自分が食べるものの管理をしたかったからなのだが、このアプリひとつでレストラン、食べたもの、レシピなどを一括管理できる。そのすべてのデータを Evernote に落とし込めるのだ。

最初はちょっと混乱した。

まず、レストランと食べた食事の記録は、まあまあスタンダードなやり方だ。

しかし、レシピに関しては驚いたことにこれまで Evernote に貯めこんできたレシピが英語、日本語に関わらず自動的にEvernote Food に表示されてしまった。

どうやら、Evernote アカウントに入っているデータを解析して、レシピかどうか判断してくれるらしい。しかし、アプリには新しくレシピを追加する場所がない。

ふと考えて、Evernote から、レシピタイトル、材料、料理法などをインプットしてみたら、それがレシピと判断されて、自動的に Evernote Food のレシピにシンクされた。いたれりつくせりだ。
投稿写真

家内も冬休みに入り、やっと薪ストーブが活躍する季節がやってきた。

春からほったらかしになっていた灰を今更ながらのように掃除し、猫の爪とぎに火をともし上に薪を載せた。

轟々と燃える炎だけが新しく見えた。


マックのディクテーション機能は、翻訳にも十分活用できる程度の能力を持っている。文字変換はたったの一種類しか選択肢がないので、ちょこちょこと変更を加えていく必要はあるが、ほぼ八割は全く触らずに使うことができるのでストレスがない。

普段の僕の執筆スタイルは、頭を中で考えることを指がタイプで自動筆記しているようなものだ。

タイプしている間は全く文章を意識していない。ところがディクテーションというステップが間に入ると、ほぼ同じぐらいの速度で入力ができるのだが、何故かその間に文章を推敲するようになった。

これが仕事にとっていいのか悪いのか、またよくわからないが自分でタイプするよりも静かな気持ちを保てるのは間違いない。疲れにくいので、いつまでも継続することができる。

なんのかんの言っても、このディクテーションはすばらしい機能だ。スピーチを正確に聞き取っているかと言えばそうではないが、文脈から次に使われる言葉を推測しているような趣がある。

純粋にスピードだけを取ってみれば、習熟したタイピストのほうがずっと早い可能性はある。しかし執筆スタイルが変わることによって得られる大きなメリットがあるような気がしてならない。
もうかれこれ20年以上もネットワーク活動をやっている。最初の頃は自分でエントリーを書くことさえためらわれたものだ。

えらいもので、他人と意見を交換し翻訳でも文章を20年間書き続けてきたら、頭に浮かんだことが次の瞬間には文章になるようになった。

SNSはその20年前に参加していたパソコン通信のやりとりに似ている。たとえ、自分自身のスペースやあったとしても周りにいる人々 、特に自分とつながりのある人々を意識せねばならない。

あまりたくさんエントリーがあると、その人たちのつながりをリストの中に自分の名前があまりにも多く表示され、迷惑をかけてしまうのだ。

反面、僕は何か1つのことを考え始めるとアイディアが止まらなくなることである。パソコン通信のフォーラムや、 SNSのような環境ではどうしても遠慮が働き書きたいだけ書けなくなってしまう。

その点、ブログのような比較的繋がりが希釈な環境は僕にとって非常にありがたい。

全く遠慮なくアイデアを書き綴ったところで誰からも文句は言われない。否、文句を言っている人はいるかもしれないのだが、自分の耳に届く事はないので気は楽だ。

アメリカン20年住んで戻ってきたばかりのときは、アイデアはあってもそれを日本語にすることができなかった。第一、極度の筆無精で悩んでいたのだ。

パソコン通信の活動では、誰かの発言にコメントをつけると言う受動的な活動しかしていなかったように思う。

それがいつの間にか自分のアイデアを形にしてことができるようになり、アイデアもつきることがほとんどなくなってしまった。

これも一種の学習なのだろう。