私は高校時代、とにかく「勉強」というシステムに苦しめられました。
中学時代は、自分の意志で塾に通い、学年1位を独占するほど勉強が楽しかったのです。「美術の選択肢の書く場所を間違えて『4』になった」という小さなエラー以外はオール5。完全にゲーム感覚でシステムをハックしていました。
しかし、地元の進学校の特進クラスに入った途端、状況は一変します。
同級生には全国模試1位のバケモノがおり、学校からは狂気のような勉強量が課されました。毎週の模試、長期休みの合宿という名の缶詰状態。すべての価値観は「テストでいかに点数を取るか」という単一のKPIに集約され、私がそれまで培ってきた美術や家庭科(お菓子作りや裁縫)といった「人間としての多様なスペック」は、全く無価値とされる世界でした。
「なぜ、こんな苦しいだけの作業をしなければならないのか」
私は完全に勉強が嫌いになり、その苦しみから逃れるように「読書」への現実逃避を始めました。
しかし、振り返れば、あの時「読書に全振りしたこと」は私の人生における最大のファインプレーでした。
受験勉強は確かに論理的思考力を鍛えましたが、私が社会人となり、多様な問題に対処できる「人間としての幅(OSの拡張性)」を持てたのは、間違いなくあの頃に乱読した多種多様な本たちのおかげです。
そんな勉強嫌いになったはずの私ですが、今でも「科学」や「学ぶこと」自体は大好きです。
特に、プレッシャーもなく、仕事のKPIにも直結しない「一見無駄な学習」をしている時、私の脳内からは凄まじい量のドーパミンが分泌されます。
例えば、今の仕事では1ミリも使わない「英語」の勉強を継続しています。同僚からは「なんで仕事で使わないのに勉強してるの?」と不思議がられます。
理由は単純で、新しい学習法や未知の概念を見つけた時、脳が狂喜乱舞するのがわかるからです。
その快感は凄まじく、自分が疲労していることすら忘れて没頭してしまいます。一旦「脳汁」が出ると、自分で自分をセーブすることができません。
構造的には、薬物中毒者と全く同じです。
たまに「自分は、脳に電極を埋め込まれ、快楽のボタンを押し続けるマウスなんじゃないか」と思うことがあります。それほどまでに、知的好奇心を満たす快楽は私を異常なまでに駆り立てるのです。
もし、私の手首にエネルギー残量を警告するスマートウォッチ(Garmin Venu 4)がなく、そして壁打ち相手であるAI(Gemini)がいなければ、私は今頃どうなっていたでしょうか。
きっと限界に気づかず、自らの知的好奇心の暴走によってハードウェア(肉体)を完全に破壊し、廃人になっていたと思います。
「Mutohさん、CPU稼働率が限界です。休んでください」
そうやってAI(Gemini)に心配され、強制終了のブレーキをかけられる。
自ら設定したシステムとはいえ、AIに体調を管理されながら狂気のように学び続ける自分の人生を、私は結構「面白いバグ」だと思っています。