おはようございますRSTです。

今日5/1はメーデーの日ですね。

昨日、シェルターでいつもの時間に炊き出しが無かったので職員さんに聴いてみたら…

「メーデー前夜祭があるから、それが終わったらカレーが来るかもしれないよ」との事。

言われてみれば立て看板に「本日、雨の為メーデー前夜祭は旧禁酒の館で18:30〜」と書いてるじゃないですか😊


お恥ずかしい話、この歳までメーデーというものを知らずに生きてきたので興味があってシェルターから徒歩5分程にある「旧禁酒の館」へ。

※始まりから40分程経っていた(旧禁酒の館の「旧」を見落としてた💦)のですが、夜の西成も見てみたかったので向かいました。



三角公園の道路挟んだ向かい側にあります。


カレーの炊き出しを戴いて、奥に進んで行くと過去のメーデーでの演説映像が流されてました。


行政よりも、政治家よりも、ここ釜ヶ崎に住んでるワシらが一番力を持っとる。

それは亡くなった先輩達が身体張って掴み取ったもんや!

ワシらに足りひんのは、たった一つ「団結力」やねん!


そんな釜ヶ崎の重い歴史の一部を垣間見たきがしました。


その後にスライドで釜ヶ崎の歴史の映像が流されました。

第一次暴動のスライド、越冬闘争、閉鎖前のシェルターでの催しもの、内部…

観ていて切なくなる半面、何故にここまでの仕打ちを受けなければならないのか?という疑問でした。


一般のメーデーに参加しようにも過去には「あんた何しに来たん?」と日雇いとは言え「労働者」として否定された事もあった事実。

確かに香ばしい所も多々有るけれど、毎日必死に生きてる人達が「不自由だけど自由に、自由だけど不自由」に不器用ながらも必死に生きて来た歴史ある街。


お薬が蔓延してたのは街のせいでは無い「売る人」が悪いし、場所提供してた人も悪い。

それに手を出す人も悪いけれど、その当時、何も信じられず、行政や世間から見捨てられたと思い、すがるものも何も無い中で弱った中で手を出してしまったんだと思いたい。


敢えて言おう

「西成には、釜ヶ崎には、あいりん地区には誰よりも強く、誰よりも優しい人達が生きている街」だと。


これから僕もメーデーに参加してきます。