座る瞑想で、サティが上手く入りだすと、言葉が全然間に合わなくなる時がしばしば出てきた。

インタビューで質問すると、「そういう時は、知っている、知っている、とサティして気付きなさい。」という事だった。


しかし言葉があまりにも遅くて、必死に早くサティしたいのに、

し~~~~~、、

い~~~~~、、

て~~~~~、、

い~~~~~、、

る~~~~~、、

くらいに、なんともまどろっこしくしか念じられないのだ。


一つの「知っている」のサティの間に、ブワーーーッと、しかもチラリチラリチラリチラリと細切れに、何百か数千の現象が起きている。なんだこれは!と気付きつつも、ただ、し~~~~~、、い~~~~~、、て~~~~~、、を続けるしない、、


そんなまどろっこしい状態のある時、ふと息が上がってきた。膨らみ縮みのスピードが上がる、さらに念じる言葉は追いつかない。ハアハア、ハアハア小さく口を開けて小刻みに呼吸する。でも全く苦しくは無いのだ。体が自分の体じゃないみたい。調子外れな人型のおもちゃみたい、とそう感じる思考も、ただ、し~~~~~、、い~~~~~、、て~~~~~、、と続けていった。彼女の過呼吸の訳はこういうことだったのか、、


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