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<普賢岳大火砕流>20年…犠牲者43人へ復興誓う
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かつて取材ポイントだった「定点」で、犠牲者の冥福を祈る人たち。中央奥が普賢岳方面=長崎県島原市で2011年6月3日午後4時39分、山下恭二撮影
 43人が犠牲になった長崎県雲仙・普賢岳の大火砕流から丸20年を迎えた3日、同県島原市の島原復興アリーナで5年ぶりの犠牲者追悼式が開かれた。102人の遺族や消防団のほか、横田修一郎市長、中村法道知事ら約600人が出席し、鎮魂の祈りをささげた。

 式典では、消防団員だった山下日出雄さん(当時37歳)の長男で中学教諭の譲治さん(33)が遺族を代表してあいさつ。「家族の大黒柱を失った悲しみは癒えることはなく、あの大惨事が頭から離れない。しかし、噴火活動の終息後、希望を持って再建の道を進むことができた。島原の復興が皆様の支援に応えられるよう頑張っていきたい」と述べた。【古賀亮至】

    ◇

 写真記者ら社員3人が犠牲になった毎日新聞社も慰霊行事に参加。西部本社幹部らが現地で献花後、東日本大震災など自然災害取材での「安全の誓い」を述べた。

 ◇午後4時8分、サイレンで黙とう

 大火砕流が発生した午後4時8分。市内全域に防災行政無線でサイレンが鳴り響いた。遺族らは、亡くなった消防団員が詰め所にしていた「北上木場農業研修所」(同市上木場地区)跡と、報道関係者が撮影ポイントとしていた「定点」(同)で一斉に黙とうをささげた。

 研修所跡では、消防団員だった佐原俊秀さん(当時26歳)の父広利さん(80)が半鐘を突き「鐘の音はきっと天国まで届いたでしょう」と語った。消防団員の鐘ケ江公和(ひろかず)さん(当時32歳)の長女で会社員の明子さん(23)は初めて参加。20年前の記憶はなく「写真で見る父は私を肩車していた。(亡くなった後も)これまで家族を守ってくれたと思う」と話した。

 日本テレビのカメラマン、小村幸司さん(当時26歳)の兄哲也さん(48)=和歌山市=は20年ぶりに定点を訪れ「最期まで仕事を続けた弟を誇りに思う」。定点の目印の三角錐(すい)に向かい「熱かったやろ」と言葉をかけた。【古賀亮至、下原知広、蒲原明佳】

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