昔話になりますがご興味あれば。



私の両親は、お見合い結婚。
うちの父は、もともといい家系?なのか、
祖父が政治家でした。

で、祖父が亡くなってから、父は選挙の手伝いなどがなくなったので、自らいろんな事業を立ち上げては廃業を繰り返したようで、
その度に母は私たちを抱えながら、
父といろんなことを乗り越えてきたそうです。



小4の時、私の家は大きな借金に見舞われて、
家族で逃げる事に。


いわゆる夜逃げでした。

急に、


今晩よその土地に引っ越すから。
なにももっていげねぇがらな。



って言われて
なにをもって出たかも覚えていません。
とにかく小さなMiraに母が運転して
私は助手席で、姉は後部座席。その隣にはテレビが大きく積まれていたことだけ覚えています。


隣に住んでいたご家族にだけ、おそらく出ていくことを伝えていたと思う。
出発したのは夜でした。



兄と父は、犬を連れて軽トラックで。

二台は連なって高速道路を走っていた。




今でも思い出す、
ハンドルをもつ母の手。
そして、後ろにいる姉。


どこにいくんだろう?って、
不安で不安で仕方ないけど、
家族みんなが一緒であることだけが救いだった。

前を走る父の白い軽トラックだけが視線にしっかりとあり…





急にドン!!って後ろからの衝撃であとは、車ごとグルングルンに回転して、
小刻みにハンドルを動かそうとしてる母の手と、

「〇〇大丈夫!!大丈夫だがらな!!」って
車が回転してる間も母の声が聞こえてた。







後ろから迫ってくる大きなトラックになんか全く気づかなかった。





車が完全に止まったあとは、
血だらけの母が見えて、そして、後部座席のテレビの横に座っていたはずの姉が車から降りたらしく、

助手席にいる私を抱えて車から離れたところまで連れて行き、母もまもなく車の外へ。




ぐったりして、頭から鼻から血が出て
はぁはぁ言ってる母に泣きながら声をかけてるうちに


「ごめんなさい、前を見てなかった…
寝てた…」と、追突した車の運転手が謝ってきた。




「ごめんなさいじゃねーべ!死んだらどーすんだ!このクソジジイ!お前が代わりにしね!!」って凄い勢いで怒って噛み付いた?覚えあり。





大人たちに止められて、とにかくお母さんを早く病院へ…と。






夏の暑い日だったと思うけど

そこからあまり記憶がない。






遠い場所の知らない病院に母は長期で入院して、私たちはお風呂もない小屋みたいな部屋でしばらく過ごす事になる。



とある
暑い暑い日、まだ中学生だった兄は
私を連れて商店へ。

「スニッカーズってうめぇぞ。」
っていって、お小遣いで買ってくれた。

食べようと思ったらドロンドロンに溶けていて、家に帰っても冷蔵庫もない、なにもない部屋に母もいない。
情けなくて悲しくて、スニッカーズ握って苦しかった記憶ぐらいしかない。




ショックからかロングヘアにしていた髪の毛は、どんどん抜けて、髪の毛なくなっちゃあんじゃないかってぐらいまでなって、大好きな髪の毛をショートカットに切られた。





男の子みたい…になって
そして痩せて、どんどん目だけが大きくなっていった。
とにかく、生きるか死ぬかみたあな状態だったその頃。何が何だか記憶は断片的です。







母はまもなく退院して…みんなで小屋で過ごす。
雷がいっぱい通り過ぎる土地で。毎日夜になるとビカビカゴロゴロする。


父と母はそんなことがあっても、
いつも明るくて。
母はどこか自虐的な話し方で、それでもニコニコ笑ってた。


しばらくすると、夏休みが終わったのかその土地の小学校に通う事になるんだけど、
あの時の小さな家にいた間、みんなで雑魚寝した家族の温もりが忘れられない。


みんな一緒。
お父さんも一緒。
ほとんど家になんか帰ってきたことのない父もいつも一緒にいてくれて、一緒に笑ってる。
嬉しくて嬉しくて…



こんな日がいつまでも続いたらな、って不謹慎にも思ってた。





そのあとは、その土地は一年ほどで引っ越します。

次に行った土地に結婚するまでいました。
でも、父の借金の取り立てなどで、引っ越しは数回。



それでも、父と母は離婚しなかった。
ずっと一緒で、仲が良かった。





それが、私が社会人になってから、
急に離婚したんですよね。

なぜ?って。

母は泣いているし、父は失踪。
今更



今更どうせ別れるなら、あの昔に別れたら良かったじゃない!!





そこから、私の転機が訪れたような気がします。



それまで、男の人を疑うなんてそんなことあったかな。
それほどフラフラしてなかったし。
母を悲しませたらいけないな、とか
色々と家族のことを思って生きてたけど。



もう、いいや
父みたいに自由に生きよう。



そう決心して、
転職したり、彼と同棲したり、
兄と母には、その頃もたくさん迷惑かけました。







父は、しばらく失踪したあと
また家に普通に戻ってきました。


「やぁ!どーもー」ってニコニコ笑いながら、
玄関から入ってきた時は


え??と思ったけど

嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
父がいることがとても嬉しかったです。
憎むことができなかった。




先日のマスターの自分の棚卸しで、


その夜逃げ以来、なにをやっても
なにを頑張っても、どうせ両親の都合で引っ越したり、努力していたことを突然奪われるから無気力になってしまったことを、きづきました。
両親のせいにして頑張らないできたのは確かかもしれないけど。


消極的で、仲の良い友達を作ることができなかったのはこの過去の記憶からです。


でも、父と母が仲よかったから、いろんなことを乗り越えられた気がするのです。




父は数年前になくなりました。
亡くなる前、手紙でたくさん文通しました。
そこには、母が私たちを育ててくれたことに感謝していて、愛してた。今も愛してる。そして私たちのことも一人一人のことが大好きで、思うように小さい頃に構ってあげれなかったことを謝罪してくれました。
そばに居たかった気持ちを私も父に伝えました。


最後らへんの手紙に

「来世で会いましょう」と書かれていた。
思い残すことはないと、父を見送りました。




母には、どうして離婚しなかったの?と聞くと

「あの人はめちゃくちゃだし、最低に見えるけど、性格は良かったんだよ。人の悪口も言わないし、まっすぐな人だった。だから、ずっと一緒にいられたんだよ。」


そんな素敵な両親に出会えて私は本当に嬉しい。

私は母ゆずりの忍耐力があり、
父ゆずりの、自由さ、奔放さがある。


先日も姉と

「〇〇〇の娘だから、うちらは何があっても大丈夫だ!!な!!」と
二人で話しました。




長い話を読んでくださってありがとう。
読んだ人いるのかな?


ま、私の棚卸しなので…悪しからず。