何となく型月ネタを書きたい気分です。
・・・ということで今日は『らっきょ』の主人公「両儀式」と『月姫』シリーズの主人公の「遠野志貴」の『直死の魔眼』の違いについてうんちくをしようかと思います。
型月作品のゲームしてる方や小説を読んでいる方はちょっとは興味もってくれますかね・・・?
上に書いた通り「両義式」と「遠野志貴」の『直死の魔眼』は似ているようで実は異なる眼です。
そもそも『魔眼』とは「魔術師が持つ一工程の魔術行使。受動機能である眼球を外界に働きかける能動機能に変えたもの」です。
そのほかに眼球と脳の認識能力が向上することで得られる能力があります。これは『石化』『直死』など強力な能力で、こういったものは魔術で再現できない生まれついてのもので『超能力』と呼びます。こちらは術者が視るだけでいい。またこれら『超能力』の眼は『~の眼』と呼ばれる。
つまり「式」と「志貴」の眼は後者にあたり、『魔眼』ではなく『超能力』にカテゴライズされます。
2人の『眼』の違いは、「式」は蒼崎橙子に制御法を教わってからは自分の意思で制御できる高度な直死の保持者です。しかし常に死が視えている状態ではありますが「志貴」のような頭痛はありません。「式」は『点』を視ることができず、意識しなければ生物以外の『死』も視られないみたいです。
また「式」は概念を切ることが出来ますが、「志貴」には出来ません。これは脳のスペックの違いで、「志貴」は『概念』を捉えることに向いていないせいです。「式」は『「 」に触れて事象の視覚化に特化』し、志貴は『死に沈んで生物殺しに特化』したからです。しかしそんな「式」でも何でも殺せるわけではなく、本人が『生きている』と認識するものしか殺せません。
厳密に言うと「遠野志貴」のものは『浄眼』、「両儀式」のものは『直死の眼』と呼び、『眼』の能力が全開の時、瞳の色が蒼くなるのが特徴です。
・・・こうしてうんちく書いてると奈須さんの世界観・・・ホントに深いと思います。