毎年関東大震災のひが来ると母のことを思い出す。
関東大震災の日、大正7年生まれの母は5歳だった。その当時本所区柳島元町のガラス工場を経営している義父の養女となっていた。
母の父の姉の嫁ぎ先の養女になったようだ。
数年前、昔の住所と現在の地図を見比べながらその場所に行った。目の前に巨大なスカイツリーがそびえたっていた。
火災が収まってからその義父は工場に居た「こぞうさん」をそれぞれの国に返した。それから、5歳の母を連れて母の実家の奥沢を目指して東京を横断した。本所区から隅田川を渡らなくてはならない。どこの橋が通れたのか。隅田川までの間には、死体置き場もあった。隅田川を渡ったとしても浅草、上野までもどこまで道路が通れるかわからない。記録によると台風の風で二日間燃えつずけたようだ。火災の後を避けた道路を選んだに違いない。