創立150年の小学校の新校舎がやっと完成した。下から見ると3階建てに見えるが4階建でさらにその上にガラスでおおわれた建物がある。
関東大震災で壊れた校舎が1930年に鉄筋コンクリート3階建てになった。いわゆる復興小学校で地下には給食の調理室、ボイラー室があり、当時スチームの暖房もあったらしい。
私の父、兄姉、子供もこの小学校に通った。
太平洋戦争末期に「建物疎開」があり小学校の周り50メートルにある家は強制的に取り壊された。我が家の隣まで。
地元の人の話では、「xxさんちは新築の家だったのに」と言っていた。子供の時はそんな事があったなんて考えもしなかった。
なぜか原っぱが多かったのもそのせいだった。コンクリートの壊れた家の地下に住んでいる家族もいたことも思い出した。
私が小学校に入学したときは50人学級が6組まであった。校舎が足りず木造モルタル2階建の校舎を増築した。暖房用のスチームはすでになく配管の後だけあった。戦時中に回収されたに違いない。階段の手すりの冷たさとか、壁面のざらざらしたタイルの手触りとか、屋上から見えたお化け煙突や徳川邸の巨大な樹木の風景。真新しい校舎を見ても頭の中の古い記憶がそれを覆い隠す。
